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    江本勝  
江本勝の日記
2006年4月

30日 ナッソーセミナー
27日 タンパセミナー
23日 いろいろ有った4月23日
22日 ヘイハウスコンベンション 作家の為のディナーパーティーにて
21日 トロントにて
19日 シアトルセミナー
17日 グラスバレーセミナー
15日 サンタクルーズセミナー
13日 再びアメリカ、ヨーロッパツアーへ
9日 第2回波動医学セレブレーション
5日 プエルトリコ記(4)
3日 プエルトリコ記(3)
1日 プエルトリコ記(2)


2006年4月30日(日)  ナッソーセミナー

とても大変な体験をして、神様がご苦労様と、配慮してくれたかのように、次のセミナー地バハマ・ナッソーは、誠に伸びやかでかつ美しく、2泊3日の滞在ですが、すっかりくつろがせて頂きました。

ここでのセミナーは、ヨガ団体シバナンダ・アシュラム・ヨガ・リトリートのご招待で、29日と30日の2部制で行われました。独立国バハマ諸島は、無数の島から成り立っており、私たちは5年半ほど前に、そのうちの一つビミニ島をイルカスクールから招かれて訪れたことがあります。主にアメリカ人がバケーションで多く訪れる、観光地です。


セミナーはこんな、いかにも南国の島のヨガ研修所という
感じのところで行われました。


ナッソーの港は、大型クルージング船の母港のようでした。


この方が責任者のルクミニさん。イスラエルの方だそうです。来年も又来てくれる様に、依頼されました。セミナーが終わってすぐの事ですので、嬉しい事です。

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2006年4月27日(木)  タンパセミナー

実はあの後も大変でした。
ジェームズタウンの方はナタリーさんが頑張ってくれて、130名ほどいらしたお客様も不平を言うことなく、無事に終わったと言う連絡がご本人からありました。終わったあと30名ほどの人が残って、彼女を囲んで熱く話が盛り上がったそうで、それを聞いて、私は本当に感動しました。アー、やはり波動インストラクター制度を作った事は間違いではなかったんだ、と。

さて、こちらとしては、1度傷が付いてしまった感じのアメリカ入国、当然2回目の拒絶は許されません。
皆さんのアドバイスも有って、いろいろな弁護士を紹介してもらい、また必要な書類もそろえて、トロントのアメリカ領事館に、連絡を入れましたが、なかなか繋がりません。
結果的に24,25日は、ホテルで無為に時を過ごしました。そしてその間インターネットで次のセミナー予定地であるフロリダのタンパの主催者のホームページを開けた所、なんと27日の僕のセミナーはソールドアウトと大きく書いてあるではありませんか!!500人の人が僕が来るのを楽しみに待っているわけです。

それを見て僕は奮い立ち覚悟を決めました。”よし、明日(26日)は絶対タンパに行くぞ。”と。
必要最少限度の書類を持って翌朝早く、トロント空港に向かいました。カナダからアメリカに入る時はカナダを出国する時に、すなわちトロントで入国手続きがあります。右手首に愛・感謝と日本語で書いてあるゴムのリストバンドをして(サンタクルーズでアメリカ人のファンから貰ったもの)、何があっても愛・感謝の想いだぞ、と自分に言い聞かせてイミグレ担当官の前に立ちました・・・・。

結果、何事も無くノーチェックでイミグレを通過する事が出来たのです。ワーイ、万歳!!と言うような気分でした。でも、どうしてこんなにスムースに行ったのだろうか? 
後で聞くところによると、一部始終を聞いていたIHMの社員が皆で祈ってくれていたそうです。きっとそのせいに違いありません。みんなありがとう!!

で、今日のセミナーに晴れ晴れとした感じで臨んだところ、最初に僕に対する表彰式がありました。地元の「LOVE FOUNDATION」と言う団体が、私の日ごろの世界行脚の講演活動に対して「LOVE AMBASSADOR・・・愛の親善大使」と言う大変ありがたい称号を授与してくれたのです。いろいろ有っただけに、本当に来れて良かったなあ、とつくづく思ったしだいです。


タンパセミナーの会場風景
最後を熱烈なるスタンディングオベーションで終えて、とても幸せでした。


主催者のパティーさんにはとても心配をかけましたが、
彼女は私が来れる事を信じて疑わなかったようです。
いろいろご迷惑おかけしました。有難うございました。

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2006年4月23日(日)  いろいろ有った4月23日

この日はいろいろ有ってとても長い1日でした。

まずはヘイハウスコンベンションの僕の基調講演が9時30分から始まりました。この時僕を紹介してくれたのは、あのルイーズ・ヘイさんで、彼女が舞台に出るや、人々は予期していなかったようで、大興奮の歓声が上がりました。そして僕がびっくりしたのは彼女が次のように言ってくれた事です。
「私は久し振りにカナダまで来ましたが、それはこれからお話をしてくれる江本先生にお会いしたかったからですよ」と。
世界的に有名なあのルイーズ・ヘイさんからこのように紹介されるとは、本当に感動でした。

ですから、僕の舞台は最初から盛り上がり、皆さん本当に楽しんでくれました。あっという間に過ぎた90分でしたが、最後に今朝報道された、アフガニスタンで亡くなった4人のカナダ兵士のために祈りましょうと、皆さんに合掌の形をとって貰って、一緒にお祈りをしました。

皆さんとても素直に手を合わせ、真剣に祈ってくれました。

セミナーを終えて、お昼は昨年モントリオールで知り合いになったDR,シャーさんとそのスタッフの方々との昼食会です。美味しいカニ料理をご馳走になりました。シャーさんは超が付くほどの気孔師で、その力を世界平和のために使っていらっしゃる方です。最近本を出版され、僕がその推薦文を書かせてもらいました。
そして今後定期的に大規模な平和の為の祈りの集会を、もう一人の女性平和運動家とともに行ってゆきたいので、僕にも参加してくれるよう、熱く話されていました。

ここまでは順調で楽しかったのですが、この後大変な事が待ち受けていました。
私たちは3時にトロントを出て、次の目的地アメリカ ニューヨーク州にあるジェームズタウンに車で出かけました。その町に住む、波動インストラクターマイケル君の要請で、急遽小さなセミナーが開かれる事になったからです。(マイケル君は3月の末、私のいるコロンビアまで出かけてきて、その時に出た話)
そしてアメリカに入るボーダーのイミグレーションで、私と妻は、つまらない誤解がもとで入国を拒否されてしまったのです。

もちろんこちらにも、書類上の不備があり悪かったのですが、私の下手な英語のものの言い方が、女性担当官のご機嫌を損ねてしまったようで、まるでプロ野球の審判員のように、”退場!!”と、ヒステリックに宣告されて、もう後は取り付く島がありません。
私と妻はその後犯罪人のように、10本の指の指紋を丹念に取られ、顔写真もたっぷり撮られて、非常に惨めな2時間を過ごさなければなりませんでした。そして挙句の果てに、トロントへとユーターンです。

さてどうしたものか。
明日に予定されているセミナーには急な告知にも拘らず、200人ほどの予約があるようで、明日の事なので中止の連絡も完全には出来ません。
その時に、同乗していたブリーさんが、ナタリーさんというやはりトロントの郊外に住む波動インストラクターが、ジェームズタウンのセミナーにも来ると言っていた、と話してくれました。
そうだ彼女に頼もう!!と僕はすぐに思いました。今日のヘイハウスの僕のセミナーにも来てくれていて、その話の内容を、一部始終知っている筈だからです。

ナタリーさんは私でよければやらしてもらいます、と電話の向こうで答えてくれました。私は彼女に明日ホテルに来てもらうように頼み、そこでリハーサルをやろうと言う事になりました。
とりあえず明日の段取りを済ました後、私たちは12時過ぎに床に付きましたが、本当にしんどいながーい1日でした。

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2006年4月22日(土) 
  ヘイハウスコンベンション 作家の為のディナーパーティーにて

前回のオーランドの時もそうでしたが、ヘイハウスが主催する「I CAN DO IT」コンベンションに参加しスピーチする作家の懇親会をかねたディナーパーティーが今夜ありました。

ヘイハウスはアメリカで自己ヒーリング系の出版社では最大手であり、「僕の水伝3 自分を愛すると言う事」を出版してくれている関係で、昨年のオーランドに続いて2回目のコンベンションへのご招待です。(この後、5月6日にラスベガスでもありそれにも参加します。)

写真はこの出版社の創業者でありオーナーでもあるルイーズ ヘイさんとの2ショットですが、今年10月に80歳になるとは思えない、若々しく、そして母親を思わせるような暖かい波動を持った方で、さすがうわさどおりの人だなと感じさせられました。

日本でも彼女の本はかなりの数で出版されていますが、そのうちの一つPHP研究所刊の「全てがうまくゆく安らぎのことば」より、そのプロフィールを引用ご紹介させていただきます。

出版社/著者からの内容紹介
全世界3、000万人の人生を変えた、愛、成功、豊かさ、健康のための現代のバイブル。言葉でがんを治した著者が贈る奇跡の言葉。
「ありのままの自分を愛し、認めよう」「わたしの世界ではすべてがうまくいく」…シンプルな言葉を唱えるだけで、自分を愛し、思い込みを捨て、やがてすべてがうまくいうようになる。最も簡単で、最も効果がある「やすらぎの言葉」を紹介した本書は、刊行されるや否や絶大な反響を呼び、アメリカで800万人、全世界で3、000万人の人生を変える現代のバイブルになりました。
特に話題を呼んだのは「病気を癒す言葉」。約250種の病気をとりあげ、それぞれを根治させる言葉が連ねられています。たとえばうつ病ならば、「わたしが自分の人生を作る」という言葉などがあげられています。著者は手術も薬物投与も受けず、言葉の力だけでがんを治してしまった経験の持ち主。それだけに、ひとことひとことが力に満ち満ちていて、こころにあたたかく響いてきます。
愛、成功、豊かさ、健康をもたらす、世界一の癒しの書です。山川紘矢・亜希子夫妻推薦!

例の映画”BLEEP”に出ておられたCandice Pertさんとも、去年の春サンタモニカの「預言者会議」以来の再会でした。


有名な作家Gregg Bradenさんと。オーランド以来です。

超能力者であり、ヒーラー、作家のSonia Choquetteさんとは初めてお会いしました。なかなか感性の素晴らしい方で、この方とは今後何かがコラボレーションが始まりそうな予感です。

愛感謝のエネルギーをいろいろな角度から分析立証されてくれている、若手のヒーラーDarren Weissman and his wife, Saritさん夫婦と。この人とも何かが始まりそうです。

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2006年4月21日(金)  トロントにて

昨日カナダ、トロント入りしました。飛行場には妻が元気な顔をして待っていました。今回は彼女は日本でやることが沢山あり、10日ほど遅れての合流です。互いに久しぶりの再会なので人目もはばからず,熱い抱擁、そしてブチュッと行きたい所ですが、古いタイプの私たち日本人夫婦、そうは行きません。”やっ!”と軽く言い、ちょこっと頬を合わせるのが精一杯です。

一夜明けて、今夜は波動インストラクターのブリーさんが企画したパーティーに参加の為、郊外の有機農場ファームに出かけてゆきました。


中央の青いブラウスの方がブリーさん

”車で3,40分だそうです。”と同行の宮澤君から言われて、重い腰を持ち上げてゆく事にしたのですが、ホテルを7時に出て、着いたのは8時半。どうも外国人の方と我々日本人の時間の観念は相当違うようです。

しかし、現地についてワインを頂き集まっていた善男善女と会話をするうちに、だんだん私のご機嫌も癒されてきて、皆さんの前で楽しくショートスピーチやサイン会をさせてもらいました。


僕の話に熱心に聞き入るみなさん。子供さんも5人ほど見えていました。

また、2期の波動インストラクターのナタリーさんとカルビンさんご夫婦、第3期のマイケルさんも参加してくれて、100人ほどの集会に3人もインストラクターが参加してくれた事が私の機嫌を直した大きな要因でもありました。

更にこのファームのオーナーであるGAYさんと親しくお話をさせていただいたのですが、彼女は最近1000エーカーほどの農地を有機農業のために取得され、近所の高校生などに手伝ってもらいながら、初めての栽培、収穫をつい先週済ませたそうで、将来の構想を楽しそうにお話していました。


農場のオーナー GAYさん。この人に毎年会いたいものです。

その中で、わたしはヘンプ(麻)の栽培をお勧めし、是非ヘンプのモデル農場となって頂けないかと、お話しました。そしてもし、そうしてくれたら、毎年1回来させてもらいますよ、と言ったら、彼女は是非そうしましょうと言ってくれました。カナダでももちろんこの植物の栽培は認可制となっているようですが、もしそうなったら私は本気で毎年ここを訪れたいと思っています。そして素晴らしいヘンプの効用を世界中にアピールする為のイベントを毎年行いたいと思うのです。

そんなわけで、ホテルに帰ったのは真夜中を過ぎていました。さすがにクタクタです。でも充実していたかな。

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2006年4月19日(水)  シアトルセミナー

シアトルは、2年前始めて西海岸から東海岸の13都市をツアーで回ったときの、最初の興行地(?)でした。そしてシアトル空港に出迎えてくれた主催者のEAST WEST書店の女性の名前がクリスタルさんで、そのセミナーも満員御礼の盛況、そしてその後の12回のセミナーも全て大盛況であったと言う事で、僕にとってはとてもげんの良い町です。

今回で3回目となる今日のセミナーも、ご覧のように多くの方が来てくれて、また楽しんでくれました。
前回までは例の映画”WHAT THE BLEEP”の一時的な人気かなと思ってもいたのですが、皆さんの反応を見ていると、どうもそれだけでなく、純粋に結晶の事、水のこと、そしてそれに伴う私のいろいろな仮説について真剣に考え、ともに考える、というような来場者が多くなっている様に思います。とても幸せなことです。


笑顔、笑顔のお客様

今日は、隣の州オレゴンのユージンと言うところから、昨年の暮れ、タイのサムイ島でお会いしたシャンティーさんが車で6時間の道のりを応援の為駆けつけてくれました。その時の日記をお読みいただければ分かるように、彼女は私の依頼で塩谷信男先生の”大断言”に節をつけてくれて歌ってくれたのですが、それを今日の会場で披露してくれて、私たちはそれを全員で日本語で唱和したのです。


シャンティーさんが日本語で大断言を歌っているところ


最後に全員で立って大断言を歌った直後の写真です。

何でしょうか?手前のロープのようなもの、そして数条の光、単なる手振れによるものでしょうか?もちろんその前に、1999年7月25日に琵琶湖での水の浄化セレモニーの模様、そしてその結果の新聞報道を塩谷先生の写真とともにご紹介したのは言うまでもありません。私はこれからもチャンスがあったら、このように塩谷先生の大断言を世界中に、日本語で広めてゆきたいと思っています。

最近は残念ながら塩谷先生に直接連絡が取れませんが(現在104歳のご高齢なので、ご家族の方が大事にケアーされているようです。)どなたか連絡のつく方は、このニュースを是非先生にお伝えいただけたらと思います。先生が大変お喜び頂けると思いますので。

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2006年4月17日(月)  グラスバレーセミナー

グラスバレーはサンノゼから車で3時間半ほどのシェラネバダ山脈の麓にある町で、昔は近くに金が沢山取れてにぎわった町と聞いています。現在は周辺の町合わせても2万人ほどの人しか住んでいない、とてもローカルなところですが、そんな町に私が呼ばれた理由は、そこは最近代替医療関係の人が多く移り住むようになり、いわばアリゾナのセドナのような色彩を帯びた町に変身した為です。
その町で精神世界系のリーダー的役割をされている、スージーさんという素敵な女性が、私を呼ぶ企画を立ててくれたのです。

前日サンノゼのホテルには、そのスージーさんから頼まれたと言う、ハリマン高代さんという日本人女性が私たちを迎えに来てくれました。彼女は浜松の出身で日本で現在のご主人であるハリマンさんと知り合い結婚。12年前に当地に移り住んだと言う事です。いつもの事ですが、どんなところにも日本人の女性がたくましく生きておられるんだなと、また思わされました。

途中の道のりは緑がとても美しく、カリフォルニアも北のほうに来ると全く様変わりで、この国の広さと奥深さをつくづくと感じましたが、グラスバレーに近づくにつれて天気が悪くなり、雨が激しく降り始めました。そしてそれは高原に入ってくると雹にかわり、おまけに雷鳴までなり始めました。

おい、おい、とんだ所に来たもんだな、こんな所でセミナーやって一体どれだけの人が来るんだろうか、と私は不安になりました。ホテルに着いたのはもう薄暗くなった頃で、町には人通りも余りなく、食事を済ませた後、早々にベッドに入りました。そして雨は激しさを増し夜中も降り続ける物ですから、わたしは明日の事を思いやりながら、また、羊が1頭、2頭・・・・・と数えるうちにいつの間にか寝入っていました。

しかし翌日目が覚めてカーテンを開けると眩いばかりの日の光が差し込んできました。そして外に出てみると空気は誠に清々しく、緑もたっぷり、色とりどりの美しい花が咲き誇る素晴らしい景色が寝ぼけた目に飛び込んできました。山の天候はかくも変わりやすいものであったわけです。

さらに、夜の7時から町の退役軍人会館で行われたセミナーにはご覧のように何と600人もの人が来てくれたのです。一体何処からこの人達は現れたのかと思うほどでまさに驚きでした。そして人々の反応は誠に思いやりのある、暖かいものでした。

実はこの日の物販担当はHADO LIFE USA(HADO PUBLISHING USAを社名変更しました)で、そのためにご覧のような商品を持ち込むため息子の博正がロサンゼルスから一人で車を運転して、9時間もかけてグラスバレー入りしました。
お蔭様でそれらも売り切れが続出して、博正はまた一人でロスまで元気良く帰ってゆきました。
有難うございます、グラスバレーの皆さん、そして主催者のスージーさんです。

会場にはそれぞれ3時間半もかけて第1期のHADOインストラクターの鯉沼征代さんがペタルマから、第3期のナンシー・ゴータさんがサンノゼから駆けつけてくれました。見知らないところに行って、インストラクターの卒業生と会うのは大変な喜びです。


左:ナンシーさん、右:スタッフの宮澤君子

そう言えば、今回のLAセミナーの時にも第2期のエーミー ハローズさんが来てくれていました。


エーミー ハローズさん

ところで、今日のセミナーにはゲスト講師が登場しました。今年の1月21日の日記でご紹介したDR、ミケルソンさんです。血液の顕微鏡写真を25年間研究してきた結果、血液の中にその人の身体的、精神的情報を視覚的に見る事ができる、と言うその発表は、会場の人たちに十分に理解をしていただけたようです。

このような形で、その研究が余りにも先鋭的でありすぎるが故に、まだ世に認められていない研究者をステージに上げてさし上げることも、今後の私の役割のうちの一つなのかもしれません。


二人による対談

その結果、皆さんから喝采を頂きました。良かったですね、DR,ミケルソン

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2006年4月15日(土)  サンタクルーズセミナー

ロスから1時間ちょっとのフライトで、サンノゼ空港に着きました。そこには去年と同じように主催者ゲートウエイ書店のドジーさんが迎えに来てくれていました。


向かって 右がドジーさん、その左はいつも司会をやってくれる、サリタさん

この書店はインド、アシュラム系の人たちの運営によるNPO形態の書店で、もちろん精神世界系です。ドジーさんもヨガのインストラクターをされているそうで、ご両親はインドから半世紀ほど前に移民としてアメリカに来られたそうです。店内には書物だけでなく、さまざまなグッズが置かれており、日本の書店にはまだない、徹底した店造りです。アメリカにはこのような精神世界専門の本屋さんが意外に多く、それがまた、どこもとても繁盛しており、アメリカ社会の2重構造性が見受けられます。

私の関係の書籍やグッズも、ご覧のように多数並べられており、今やこの店ではそれらが、メインの商品となっているとのことです。

セミナーは去年と同じ私の好きな、いわゆるアメリカの良き時代に立てられた映画館で行われました。昨年の2月に此処に来た時は、何と680名の席が全て埋まり、開場前に200人ほどの長い列が出来て、私のことをニューロックスターと誰かが言い始めたそうで、以来この町での私のニックネームはそれになっているそうです。

今年はもちろんその様な現象は起きませんでしたが、それでも400名ほどの人が来てくれて、とても良い雰囲気の中で話を始め、終わる事ができました。そして皆さんが、”また来年待ってますよ”と口々に言ってくれた事を、とても嬉しく思いました。

昨年の日記をご覧になりたい方は次をクリックしてください。2月12日の分です。
http://www.masaru-emoto.net/japanese/jdiary200502.html#santa

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2006年4月13日(木)  再びアメリカ、ヨーロッパツアーへ

7日の夕方に戻り、5日ほど我が家で寝て、12日の夕方再び機上の人となりました。今度はかなりの長丁場で、戻りは6月7日の予定です。スケジュールは次の通りです。

4月
13日 アメリカ ロサンゼルス・・・
    ラーニング アネックスセミナー(アメリカ一番のセミナー屋)
15日 サンタクルーズ・・・地元書店主催セミナー
17日 グラスバレー・・・ヒーリングジャーナリスト主催セミナー
19日 シアトル・・・地元書店主催セミナー
23日 カナダ  トロント・・・ 
ヘイハウス主催コンベンション、アメリカの有名な作家20名ぐらいが一同に会して行われる3日間のイベント。(ヘイハウスはアメリカの精神世界系大手出版社・「水からの伝言3」を出してくれています)
27日 アメリカ セントピータースバーグ(フロリダ)・・・
     ユニティーチャーチ主催セミナー
29日 バハマ ナッソウー・・・地元ヨガ団体主催セミナー
30日    同

5月
1日 アメリカ ニューオリンズ・・・
   地元波動インストラクター主催セミナー
4日 ヒューストン・・・地元教育団体主催セミナー
6日 ラスベガス・・・ヘイハウスコンベンション    
8日 カナダ モントリオール・・・
    地元で30年の歴史を持つ文化サークル主催のロングセミナー
9日  同 セミナー
11日 オタワ・・・ラーニングアネックスセミナー
13日 アメリカ バーモント・・・個人の方(女性)主催セミナー  
14日 バージニアビーチ・・・エドガーケーシー本部主催セミナー
16日 ニュージャージー・・・地元健康団体セミナー
20日 オ−ストリア グラーツ・・・
     スピリチュアルコンサルタント主催セミナー
23日 ドイツ ニュールンベルグ・・・地元書店主催セミナー
24日 ミュンヘン・・・地元書店主催セミナー
25日 フランクフルト・・・地元精神世界系イベント屋主催セミナー
28日 シュツットガルト・・・地元書店主催セミナー   
29日 ハノーバー・・・地元書店主催セミナー
31日 イタリア ヴィセンチア・・水伝イタリア語出版社主催セミナー

6月
3日 オランダ アムステルダム・・・娘の家へ 孫の顔を見に。
7日   日本帰国

そして今日その第1回目のロサンゼルスセミナーがご覧のように、無事スタンディングオベーションを持って終わりました。今日の特記事項は私が自分の話を、ほとんど英語で話したと言う事です。

今後日本語から現地語への通訳者がいないところにも行くようになると思いますので、それに備えての事です。でも、疲れるし、やはり私の英語はまだ下手です。今後の修練が絶対的に必要となりますが、果たして・・・?
今後の旅日記、ご期待下さい。

下手な英語にも拘らず、スタンディングオベーションで苦労をねぎらってくれました。

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2006年4月9日(日)  第2回波動医学セレブレーション

1昨日、合計24時間を要してプエルトリコから帰宅しました。そして昨日土曜日も、今日のセミナーの下準備と、急遽それに参加してくれる事になった、ハンスシンドラーさん(3月9日の日記参照)がオーストリアから来日されましたので、そのミーティングのために会社に出ました。さすがにくたくたです。

本日行われた第2回波動医学セレブレーションには、写真のように沢山の人が参加してくれました。この会議は医者の要らない社会作りを目指す特異な医師、東京女子医大の川嶋朗助教授が会長を勤められているもので、私も最高顧問という形で応援させてもらっています。川嶋先生は私が主宰している波動インストラクターの一員でも有るからです。

寺山心一翁先生とも久しぶりにお会いしました。先生はなんと前日に交通事故に会われ、普通の人なら入院しなければならないような怪我をされたのですが、元気に出てこられ、オープニングの挨拶をされていました。さすがに予定されていたチェロの演奏はありませんでしたが(指を骨折された模様)最後の懇親会まで出席され鉄人ぶり健在です。

急遽スピーチをお願いしたハンスシンドラーさん。通訳はIHMの甲斐富紀子さんです。
私が以前から捜し求めていた言霊波動スキャン器、ETA-SCANのお話をしてくれました。この機器のことについてはいずれ改めて本欄でご紹介いたしたいと思います。

ご都合で参加出来なくなった、オーストラリアのヘーゼル博士に代わって、IHMの根本泰行君がプラニック・ヒーリング についての話をしました。

IHMのブースでサインをする私。波動関係の古くからの友人にも沢山会えて、楽しい1日でした。


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2006年4月5日(水)  プエルトリコ記(4)

4月4日に、サンファンから車で1時間半ほどの、プエルトリコ第2の都市ポンセのこれもやはり、立派な美術館でセミナーをやった後、翌日5日は、プエルトリコのファーストレディー、Sra. Luisa Gandara de Acevedo Vilaさんのお招きで、由緒あるガバナー官邸にお邪魔しました。

厳重な警戒のゲートです。ゲートの前の路 ここからしか官邸には入れません。

プエルトリコはスペイン人によって1493年、すなわちコロンブスの新大陸発見の翌年、開かれました。ですから、500年以上の歴史が有る国なのです。従って、街並みや建物には、とても驚かされました。

官邸の中をご案内しましょう。お見せするものは、今でもガバナーが実際に使っているものです。

まず、控え室です。

鏡の間

書斎

美しい中庭

どこの間もゴージャス

ジャクリーンケネディーさんが泊まった寝室
ケネディーさんが使った寝室もありましたが、妻が写真を撮り忘れました。

官邸はサンファン湾を一望にするところにありました。

厨房まで見せてもらいました。 
めったに見せてもらえない所だそうです。

同じく厨房にて 
このクッキー私たちのために作ってくれていたのでした。
(あとで、ファーストレディーとの会見の時出てきました。)

こちらの間も素敵でした

また鏡の間です。

公式の食卓 次回は此処で・・・・

何か僕に似合うお部屋だと思いませんか?

此処がファーストレディーと会見したお部屋

右がプエルトリコのガバナーの奥様
ご自身の発案で、5歳までの子供に毎年1回本をプレゼントされていると言う事で、僕の水伝子供版に大変興味をもたれました。
プエルトリコでもすぐに出版されそうです。

またショートプレゼンテーションが始まりました。
僕の左がファーストレディー、熱心に聴いてくれました。

官邸の屋上でファーストレディーと

早速、皆で前の水に対して愛感謝を送りました。

港には豪華船が2隻も入港していました。

2時間を越すファーストレディーとの会談を終え、近くのカフェでお疲れ様のビールを頂きました。隣は波動インストラクターのカルメンさん、彼女の企画で、今回のいろいろな事は実現し、大成功に終わったのです。

そしてその夫君のサルバドーレさん。弁護士さんですが、精神世界のことも良く勉強されていて、仲むつまじい夫婦で、1週間があっという間に過ぎました。皆さん有難う!!

打ち上げの為に入ったレストラン「ドラゴンフライ・・とんぼ」の店主は何と私のファンでした。

そしてこの彼女も!後を追ってきての2ショットです。
南の島の小さな島にも「水からの伝言」は伝わってきているのです。もう感激です。
さあ、明日は日本に帰れるぞ。皆さんまたこのページでお会いしましょう。

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2006年4月3日(月)  プエルトリコ記(3)

今日は首都サンファンでのセミナーの日ですが、それに先立って同じ会場の美術館の綺麗なお庭で、1時間半に及ぶ、テレビ局のインタビューがありました。その模様です。

インタビューは、質問は英語、答えは日本語で行われました。 
右は通訳のひろみさんです。

会場の美術館兼音楽堂は、7,8年前に建てられたプエルトリコ自慢の設備で、毎年ここの大ホールで国際カザルス音楽祭が開かれているそうです。(カザルス・・・スペインが誇る世界的チェリスト。60歳の時この島で、20歳のプエルトリコの娘と結婚し、以後此処に本拠地を置くようになった。)
僕のセミナーはその中の小ホールで行われました。


ご覧のように、沢山の人が来てくれました。

主催者の波動インストラクターカルメンさんは、粋な計らいをしてくれました。
知人のギタリストに開演前に「さくら」の演奏を依頼していて、それがとても素晴らしく、私をしてある行動をとらせる事になりました。


そう、私は「さくら」を朗々と歌い始めたのです。
「妻は3月30日、桜が咲き誇る頃に生まれました。そのせいでしょうか、彼女は桜が異常に好きです。今この時点で、日本は桜の満開の時期ですが、実は彼女は、この6年間、ほとんど桜を見る機会が有りません。私をケアーする為に一緒に世界を旅するようになったからです。
ですから今日は、彼女への罪滅ぼしを兼ねて、この歌を皆さんの前で、歌わせてください。」 と言いながら。

素晴らしい音響効果の音楽堂でしたから、とても気持ちよく歌えました。歌い終わった後深々とお辞儀させてもらいました。

そんな訳ですから、セミナー終了時も大変な拍手を頂きました。いつも妻には何かと世話になっています。

 

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2006年4月1日(土)  プエルトリコ記(2)

プエルトリコ2日目。ラジオの生放送や湖での祈りのセレモニーなど行いました。

今日は午後2時から、カルメンさん夫婦とともに、オールアメリカに電波が行くスペイン語放送に生出演しました。

通訳無しの、何と2時間半の長丁場で大変でした。病気に関する質問もあり、僕の英語力では正確に答えられないこともあったと、思います。今後は出来るだけしっかりした通訳をつけて貰いたいものです。

しかし、これでまた、スペイン語圏での反響が多くなる事でしょう。

それが終わって、今度は6時からご覧の湖の湖畔での祈りのセレモニーに参加しました。この湖はカライソ湖と言って、プエルトリコ市民の大切な水源、しかし近年汚染のせいでしょうか、外来産の植物が異常繁殖して、その生態系を壊しているとのことで、市民も参加してのセレモニーが企画されていました。

ご覧のように沢山の市民が参加しました。(約150名)もちろんプエルトリコでは始めての水に対しての祈りのセレモニーと言う事ですが、昨日の小学校の校長先生や児童父兄も来てくれて、大変盛り上がりました。

私はいつものように、水に対しての愛感謝そして尊敬の効用を説明し、音頭を取らせていただきました。

皆さんとともに祈り、最後は「喜びの歌」をみんなでハミングで歌いました。


子供さんから貰った、プエルトリコの国旗とともに。
湖を覆うばかりに茂っている草が、問題の草です。

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2006年3月31日(金)  プエルトリコ記

昨日は朝6時20分にホテルを出て、8時半発のマイアミ行きに乗り、予定より若干早くマイアミに着きました。しかし、そこでイミグレーションでコンピューターのパンクのため1時間以上も待たされて、結果的に予定していたプエルトリコ行きの飛行機に乗れず、サンファン空港に着いたのは夜の9時ごろで、くたくたです。

どうも最近のアメリカの空港のイミグレーションは、コンピューターの能力が悪く、同じような経験を何度もしています。私は係りの人に、日本製のコンピューターに切り替えるよう提案してきました。

今日朝起きたら、ご覧のように、綺麗な砂浜の向こうに始めて見るカリブ海が有りびっくりです。

ここでも早速早朝のテレビ出演が待っていました。妻にはホテルで待っているように言い、その妻が写した番組の模様です。時刻は7時45分を示しています。そうまた朝6時起きで、7時には局入りしたのです。

その後いったんホテルに戻って朝食をとった後、10時半から弁護士会館での共同記者会見に出席しました。写真の右は在プエルトリコ20年の芝ひろみさん、私の左は第2期波動インストラクターのカルメンさん、その左が結晶をテーマにして私のために素敵なポスターを描いてくれた、地元ではとても有名な画家の方です。


その絵に二人でサインをしているところ。
この絵の収益金は全てEMOTOプロジェクトに寄付をしてくれるとの事です。

記者会見後、昼食もそこそこに、30分ほど離れた小学校に行きました。そこには大感動が待っていました。

まず校舎に入ってすぐの廊下には、ご覧のようなポスターが貼ってあり、それを目ざとく見つけた私は、そこに描かれている絵や文字を見て、びっくりです。

お水さんを愛します・感謝します・尊敬しますと言う言葉とともに、多分江本勝先生ようこそ!といった内容と思われるスペイン語が書かれてあったのです。


私を待ち受けていた子供たち


なんとも可愛い子供たちばかりでした。

皆それぞれに手に紙を持っていましたが、それは私に対しての質問票でした。
そしてとっても純真で、それだけに素晴らしい質問をしてくるのです。
最初の質問は、「どうして水を大切にしなければならないのですか?」でした。

そしてそのあと、皆が毎日行っていると言う、水に対しての祈りのセレモニーです。水の下には、皆が描いた水の結晶の大きな敷物代わりのポスターが置いてあります。

その水に対して皆で想いを捧げます。そしてその想いの言葉は何と「お水さん愛しています。お水さん有難う。お水さん尊敬しています」だったではありませんか!!
私は感動で胸が熱くなり、涙を禁じえませんでした。

私と妻とカルメンさんは、水に対しての祈りが終わったあと持ってきた結晶シールを一人一人のおでこに貼ってあげました。


参観に来たお母さんも自ら貼っていました。

教室には国内のいろいろな所で、子供たちが採水してきた水が置いてありました。この水にも毎日祈っているとの事です。

最後は先生方お母さんたちとの記念写真です。私の左側が校長先生です。
”学校の現場に、まだ科学的とは言えない結晶写真を教育の教材に持ち込むのはけしからん”とのたまわっている、日本のどこやらの物理の先生方に、是非体験していただきたかった、実に感動的な臨時授業でした。

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