2006年3月
31日 プエルトリコ記
30日 さようならコロンビア また訪れる日まで
29日 コロンビア記(4)
28日 コロンビア記(3)
26日 コロンビア記(2)
24日 コロンビア記(1)
20日 写真日記
19日 メキシコ記(3)
18日 メキシコ記(2)
17日 メキシコ記(1)
16日 メキシコ世界水フォーラム
14日 エジプト記
9日 究極に近いと思われる波動機器との出会い
7日 ドイツからの報告
6日 ついにアラブ圏へ
5日 船井メディア10周年記念講演会
2006年3月31日(金)
プエルトリコ記
昨日は朝6時20分にホテルを出て、8時半発のマイアミ行きに乗り、予定より若干早くマイアミに着きました。しかし、そこでイミグレーションでコンピューターのパンクのため1時間以上も待たされて、結果的に予定していたプエルトリコ行きの飛行機に乗れず、サンファン空港に着いたのは夜の9時ごろで、くたくたです。
どうも最近のアメリカの空港のイミグレーションは、コンピューターの能力が悪く、同じような経験を何度もしています。私は係りの人に、日本製のコンピューターに切り替えるよう提案してきました。
今日朝起きたら、ご覧のように、綺麗な砂浜の向こうに始めて見るカリブ海が有りびっくりです。


ここでも早速早朝のテレビ出演が待っていました。妻にはホテルで待っているように言い、その妻が写した番組の模様です。時刻は7時45分を示しています。そうまた朝6時起きで、7時には局入りしたのです。

その後いったんホテルに戻って朝食をとった後、10時半から弁護士会館での共同記者会見に出席しました。写真の右は在プエルトリコ20年の芝ひろみさん、私の左は第2期波動インストラクターのカルメンさん、その左が結晶をテーマにして私のために素敵なポスターを描いてくれた、地元ではとても有名な画家の方です。

その絵に二人でサインをしているところ。
この絵の収益金は全てEMOTOプロジェクトに寄付をしてくれるとの事です。

記者会見後、昼食もそこそこに、30分ほど離れた小学校に行きました。そこには大感動が待っていました。
まず校舎に入ってすぐの廊下には、ご覧のようなポスターが貼ってあり、それを目ざとく見つけた私は、そこに描かれている絵や文字を見て、びっくりです。
お水さんを愛します・感謝します・尊敬しますと言う言葉とともに、多分江本勝先生ようこそ!といった内容と思われるスペイン語が書かれてあったのです。

私を待ち受けていた子供たち

なんとも可愛い子供たちばかりでした。

皆それぞれに手に紙を持っていましたが、それは私に対しての質問票でした。
そしてとっても純真で、それだけに素晴らしい質問をしてくるのです。
最初の質問は、「どうして水を大切にしなければならないのですか?」でした。

そしてそのあと、皆が毎日行っていると言う、水に対しての祈りのセレモニーです。水の下には、皆が描いた水の結晶の大きな敷物代わりのポスターが置いてあります。

その水に対して皆で想いを捧げます。そしてその想いの言葉は何と「お水さん愛しています。お水さん有難う。お水さん尊敬しています」だったではありませんか!!
私は感動で胸が熱くなり、涙を禁じえませんでした。

私と妻とカルメンさんは、水に対しての祈りが終わったあと持ってきた結晶シールを一人一人のおでこに貼ってあげました。



参観に来たお母さんも自ら貼っていました。
教室には国内のいろいろな所で、子供たちが採水してきた水が置いてありました。この水にも毎日祈っているとの事です。

最後は先生方お母さんたちとの記念写真です。私の左側が校長先生です。
”学校の現場に、まだ科学的とは言えない結晶写真を教育の教材に持ち込むのはけしからん”とのたまわっている、日本のどこやらの物理の先生方に、是非体験していただきたかった、実に感動的な臨時授業でした。
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2006年3月30日(木)
さようならコロンビア また訪れる日まで
ボコタ空港にて 最簿の最後まで護衛をしてくれた国家警察官との記念写真
このあと外務省職員の誘導で、チェックイン、イミグレーションもVIP扱い
でも次回来る時は、護衛のことはお断りしようと思います。なぜなら、この国は今とても安全で、もうちょっとフリーにこの国を満喫したいからです。

おまけの写真、なんて言ったら怒られますが、第3期波動インストラクターのマイケルさんです。彼はカナダトロントからわざわざ追っかけ的に来てくれました。
独身だし、体格も良いから次に来る時は彼にガードマンで来てもらおうかな。
というわけで、誠に充実した、実り多いコロンビア訪問でした。
なにせ、大統領夫人との朝食会で始まり、大統領閣下との昼食会で終わる。その間の4回のセミナーで合計2000名の来場者、更にメジャーなテレビ、ラジオ、新聞、雑誌の取材や出演が10数回もありました。
コロンビアで水のエネルギーがはじけそうな予感です。
ヴィヴァ コロンビア
ムーチョ ムーチョ グラシャスです。
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2006年3月29日(水)
コロンビア記(4)
江本会長ご夫妻コロンビア滞在最終日のクライマックスです。

私がプレゼントした、妻の誕生日祝いのコロンビア産エメラルドのネックレスの公式お披露目は、素敵なコロンビア男性から招かれた、昼食会でした。 この紳士はどなたでしょう?なんとコロンビア大統領ウリベ閣下です。

もちろん私も仲間入り、大統領は妻の腕を優しく、しっかりとエスコートしてくれていたそうです。

大統領は私のショートプレゼンテーションを熱心に聴いてくださいました。

昼食の席でお隣に座ったチャーミングな女性環境大臣と。
昼食後のお茶会で大統領は熱心に水浄化に関して、私の意見を聞いてくれました。当初1時間の予定でしたが45分もオーバー、充実した時間でした。

出席者との記念写真撮影 妻だけが自分のカメラの方に視線を向けています。

大統領官邸の庭にいた犬
このあと妻は守衛さんに写真を撮ることをたしなめられました。

午後サンチャゴさんのクリニックに行きました。
彼はジオメトリーエネルギーの研究家でもあり、なかなかの実績をお持ちで、
これから一緒に何かが出来そうです。

クリニックの庭で雑誌社の写真撮影
水の先生だけに、どうしても水をバックにしての撮影が多くなります。

その夜行われたコロンビア最後のセミナーも満席となりました。

そして最後をスタンディングオベーションで飾る事ができました
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2006年3月28日(火)
コロンビア記(3)
3月30日の妻の誕生日を控えて、誕生祝をボコタ市内の宝石店に買いに行きました。その店の店主と。

清水の舞台から飛び降りたような気持ちで買った、コロンビア特産のエメラルドのネックレス。これであと10年は大丈夫でしょう。

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2006年3月26日(日)
コロンビア記(2)
再び写真日記です。コロンビアのカリ市に移動し、祈りのセレモニーや講演を行いました。

3月26日 カリ空港到着
空港にはすでにカリ国家警察のセキュリティーの方が待機してくれていて、ご覧のようにぴったりと車のそばについてくれて、護衛してくれました。(カリ滞在中ずっと)

カリはDRフリオさんの地元です。
そのクリニックの待合室にあった見事な蘭。

その前の街路樹にあった人面?

警備の人との記念写真 彼は軍曹さんだそうです。

カリ郊外の自然保護林の中にある渓谷
ここで水へのセレモニーをやりました。

護衛の国家警察官二人も、祈ってくれました。これには感激しました。

カリ市を見下ろす高台から。 山面のほとんどが違法住宅との事です。

又 妻は犬と戯れています。

夜8時から行われたカリ市でのセミナー
600名余りが来てくれましたが、プロジェクターとパソコンが合わず、大慌て。私がトークだけで1時間もたせ、ようやく画像がつながった時、今度は音が出ず、音楽は私のカラオケでごまかしたりして、冷や汗と疲労困憊の2時間半でした。
アーもうカリカリでした。
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2006年3月24日(金)
コロンビア記(1)
江本会長は、3月23日にメキシコから南米コロンビアに移動し30日まで滞在ですが、引き続き過酷なスケジュールをこなす毎日です。よって、代わりに秘書が写真とコメントで現地の盛況ぶりを取り急ぎご連絡致します。

コロンビアでの最初の予定は大統領夫人との朝食会
子供用水からの伝言を見る大統領夫人 とても素敵な方でした。
右は今回の企画を全て立ててくれた、医師のサンチャゴさん
大統領家のファミリードクターでもあられます。
僕からのPC上でのレクチャーを熱心に聴く大統領夫人。
真ん中は通訳の矢口さん左はコロンビア日本大使林さん
大統領夫人、林大使を交えての記念写真
左から二人目が僕のフロリダでのセミナーを聞いて、
今回のコロンビア訪問のきっかけを作ってくれたフリオ医師
大統領夫人の執務室のソファにおいてあったナマケモノの人形と記念写真
恐れ多くも大統領夫人のお机を借りて、カリ(次の訪問地)の新聞社からの
電話インタビューを受けているところ

首都ボゴタの町の風景
人々はとても親切で、全く治安は良かった。
日本の外務省の広報に書かれてあるのと大違い。
あれは5年以上前の情報ではないか?

この国でも多くのテレビ、ラジオ出演、そのほかのメディアの取材がありました。
そのうちの一つのテレビ番組 生放送で1時間たっぷりの出演でした。
真ん中は在コロンビア42年となる村松さん

スペイン語を話せる同行の、リヒテンシュタイン研究所のラスモス君も
インタビューに応じていました。彼のスペイン語たいしたものです。

25日の夜行われた講演会には1100名もの人が来てくれました。

講演の最後は大断言を日本語で皆で唱和し、世界平和を祈りました。

皆さん大変感動してくれて、最後はスタンディングオベーションで終わりました。

26日は水道局の人を初め30余名で水源を訪れました。

そこで私は水への祈りの指揮を取らせていただきました。
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2006年3月20日(月)
写真日記
引き続き多忙な江本所長に代わり、写真とコメントだけを取り急ぎ掲載させて頂きます。3月20日のユネスコ主催世界子供水フォーラムでの講演模様とその後のメキシコ観光です。


3月20日、メキシコ・オリンピック記念ミュージアムで行われた、
ユネスコ主催の世界子供水フォーラムにおいて。

世界各国から、100名あまりの子供たちが参加していました。

日本からも7人の子供たちが参加していました。

子供フォーラムのあと、皆でメキシコ・ティワティワカンのピラミッドに行きました。
今回初めての観光です。

又パフォーマンスをしています。

皆で記念撮影
左から、メキシコの波動インストラクター アントニオさん、同行の林美智子さん、
僕、妻、アントニオの奥さん、葉坂IHM社長

沢山の人が頂上を極めようとして、ご覧のように鈴なりの人です。
仲間は、最初トライしようとしましたが、あまりの人の多さに中途で断念して
帰ってきました。

太陽のピラミッドのほかに、ご覧のように月のピラミッドもあり、
そこも人がいっぱいでした。
明日3月21日は春分の日で祝日、約60万人の参拝者が来るそうです。

ピラミッド観光が終わり、アントニオさんが美味しい
メキシコ・シーフードレストランに我々をご招待してくれました。
中央は今回ボランティア通訳で大変お世話になった、
地元に25年も住む、竹西智恵子さんです。

お腹いっぱいになって、レストランを出たら、その番地は、330番地、妻の誕生日3月30日と同じでした。実は、皆さんからハッピバースデイトゥーユーの歌を歌ってもらったばかりでしたから、皆びっくりです。

先の写真を撮り終えて、ふと隣を見るとそこには日本食レストランが。そしてその家紋の”丸に鷹の羽”はわが江本家のそれと同じ。またまたびっくりでした。

葉坂社長が、ピラミッドのおみやげ物屋さんで、こんな素晴らしいものを見つけて、僕の為に買って来てくれました。水晶で作られた、ピラミッドを二つ重ねたデザインで、これが水の結晶の原型に違いないと、僕がかねてから、言っていた形のもので、早速次のセミナーから使おうと思います。
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2006年3月19日(日)
メキシコ記(3)
昨18日は一般向けのセミナーが午後8時から、今日19日はロングセミナー(4時間)が午後5時半からそれぞれ、ワールドトレードセンターで行われました。前者には約600名、後者には約60名の人が参加してくれました。


前回11月に来た時も同じ場所で行ったのですが、実に1200名もの人が来て、えっ!このメキシコで何故?と私自身びっくりしたものですが、きっとあの映画(WHAT THE
BLEEP)を見たばかりの人が多くて、一種のブーム状態の時であったのでしょう。
しかし、入場料を考えると今回でも本当に沢山の人が来てくれたと思います。一般セミナー500ペソ(日本円で5500円、ロングセミナー1300ペソ(15000円)なのですから。日本での一般セミナーは高くても3000円で、相場は2000円と言うところですから、ちょっと考えられません。やはりメキシコの経済がかなり上向いていると言う事なのでしょうか。
さて、今回メキシコに来るに際して、メキシコ国歌を水に聞かせそれをビデオで撮ったものを持ってきていました。すなわち結晶が成長する様を動画で曲とともにお見せする趣向です。その映像はとても美しく、曲を聴きながら見るとメキシコ人ならずとも感激します。
それを今日は私の話をする前に最初に皆さんにお見せしようと思いました。そしてそれを始めたらすぐに全員が起立して美しく成長する結晶を見てくれ、終わった時には嵐のような拍手が起きて、私自身が大変感動させて頂きました。
何とセミナーでは、メキシコ国歌の映像にお客様が全員立ち上がりました。
感動の瞬間です。
実は「君が代」の動画映像も持ってきていたのですが、日本人のお客様が見当たらなかったので、お見せしませんでしたが、日本でもしこれを皆さんにお見せしたら起立どころか、中には拍手もしてくれない人が多いと思ってしまう事は、悲しい事ではありますね。
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2006年3月18日(土)
メキシコ記(2)
3月16日のセレモニーの興奮が覚めやらない間に、私は翌17日の早朝から夕方まで、イベント屋さんのクローディア氏が企画したスケジュールどおりに、沢山のインタビューを受ける為に、ラジオ、テレビ局、新聞社を訪れました。
テレビ局の可愛いキャスターからの取材を終えての記念写真

そしてそれは、ワークショップが予定されている19日まで続き、その件数は、ホテルまで取材に来てくれた雑誌社やテレビ、ラジオ局も含めると15件ぐらいになったのでしょうか、前回もそうでしたが、クローディアと言う人はメディアを使っての人集めが大変上手な若者です。
さて17日の夜7時から、今回の私にとってのメインエベントである、水フォーラムにおける公式なプレゼンテーションが1時間半ほどありました。
最初は50〜60人ほどの規模の部屋が用意されていたのですが、それが次には、100人ほどの部屋に、更に最終的には400人規模の部屋に変更されました。事務局の人の話では、私に関する講演の問い合わせが日に日に多くなり、その様な処置をとったと言う事です。
しかし、結果としては120名ほどの人に留まりました。やはり夜の7時からと言う時間に問題があったようです。それと昨日書いたように一般市民の参加はほとんど期待されず、問い合わせの多くはその方々からのものであったようです。
もちろん私としては人数はあまり問題ではありません。3年に1度の世界水フォーラムに出席し、そこでお話をする、あるいはその機会をいただけるということが、とても大事な事だと思っているからです。私は次のようにその話を始めました。

「3年前、京都での第3回水フォーラムにおいても、私はお話をさせていただきました。しかしその日は3月21日で、丁度その日にアメリカのイラク攻撃が始まり、会場の雰囲気は一気に緊張し、海外からの記者さんたちは、大型のテレビモニターの前に釘付けとなり、水フォーラムの事など吹っ飛んでしまったような感がありました。その約1ヶ月前に私の初孫が誕生していましたが、その孫の将来を思う時、とても不安な思いとなり、あの水フォーラムの講演以来、私は世界平和をはっきりとその目標に掲げ、世界を歩くようになりました。そしてそれから3年が経過して、今日又この水フォーラムの舞台に立っているわけです。しかし昨日又アメリカは開戦以来最大の攻撃を反政府軍に対して行ったと言う報道があり、世界の人々が平和を願っての水の会議をしている時に、それを嘲笑するかのように、何故このような攻撃をするのか、誠に理解する事ができません。・・・・」と。
私はいつでもどこでも繰り返し言っているように“自分たちは水なんだ、水がなければ全ての存在は無くなる。そしてその水の本質は振動と共鳴であり、愛と感謝である。”と力説し、その事を世界の子供たちに伝える為に、今後十年間の間で世界の65000万人の子供に子供用「水からの伝言」を無償で配ります、と再度宣言し講演を終えました。もちろん会場からは沢山の拍手を頂きましたが、アメリカ軍の再攻撃の報になんとなく自分自身白けたような感じがして、更に3年間具体的に行動して3年後の水フォーラムに、それがどこで行われようとも、又必ず参加し、世界の平和度のチェックをしようと思い会場を後にしたのでした。

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2006年3月17日(金)
メキシコ記(1)
秘書の市瀬君が書いてくれているように、この1週間は大変でした。
14日の午後のフライトで、私たちはカイロを飛び立ち、フランクフルトのホテルに着いたのは9時過ぎでそこはしんしんと冷えていました。そして翌朝9時半のフライト11時間半かけてでヒューストンへ。フランクフルトからメキシコシティーまで直行便はあるのですが、その予約が取れず、ヒューストン経由でのメキシコ入りです。ところがそのヒューストンでコンチネンタル便が機体故障で2時間遅れで結局5時間も待たされ、更に2時間半のフライトで、ホテルに着いたのが夜の11時過ぎ、都合20時間かけてのメキシコ入りでした。もうへとへとです。
翌16日は午前11時から開会式に参加、皇太子殿下のご挨拶を緊張感を持って伺いました。
第4回ウォーターフォーラム 開会式の模様 右から3番目が皇太子殿下

世界中から報道陣が詰め掛けていた

皇太子殿下のご挨拶
やはり外国で自国の皇太子殿下のお話を直接に伺うと言う事は、何か違います。とても感動し、誇らしいような気持ちになります。お話は英語で行われましたが、誠に落ち着き堂堂とされていました。良い体験をさせてもらいました。
そのほかにもオランダのアンドレア皇太子などの要人の話がありましたが、それにしても今回の水フォーラム、あまりにもセキュリティーが厳しく、又入場料が高く(3万円以上)、そして通行証の取得にとても面倒な手続きが必要な事など、一般のメキシコ市民にはほとんど縁のないイベントになってしまった事は、とても残念な事です。平和の象徴である水の世界会議が、このような形で行われなければならないところに、現代人類の抱えている問題が投影されているように思いました。
その直後に、私たちはそこから10分ほどのところにあるチャプルテペック公園に行きました。

そして写真にある古代遺跡の前で、地元の先住民の方、アリゾナのホピの方、一般市民の方、海外からの応援の方、多数のメディアの方々が集って、踊りや歌、あるいは笛太鼓を奏でていました。



その直後の報道陣からのインタビュー
私がここに来た理由は、2005年10月22日の日記と2006年3月6日の日記に書いてありますが、更に詳しく説明すれば次のような催し物が計画されており、それにご招待を受けてのことです。愛と感謝プロジェクトの根本君からの呼びかけの文章を引用させていただきます。
===============================
水と生命に敬意を表するための伝統的なダンス
水を祝福するためのホピ族−アステカ族によるダンス・セレモニー
3月16日(木)正午
メキシコ・シティのチャプルテペック公園内
人類学博物館そばにて
===============================
メヒカ族、オトミ族、テオティワカン族、ケツァルコアトルの生誕地アマ
トランのダンサーたち、マサワ族の女性たち、テノチティトラン(メキシ
コ・シティー)の伝統的なダンスのグループによって儀式が行われ、その
中で、ホピ族の走者たちが迎えられることになっています。ホピ族の走者
たちは、第4回世界水フォーラムに向けて、“水と生命に対する敬意”と
いうメッセージを運んできてくれます。
ホピ族の人々は、世界中から水を集めて、ランとともにメキシコに持って
きてくれます。この水は、儀式の中で、メキシコにおける水の守り手であ
る先住民族の女性たちに手渡されます。
==============================
水と生命に対して敬意を表するために
さまざまな文化の人々が一堂に会する
3月16日(木)に
チャプルテペック公園(CHAPULTEPEC PARK)にて
アステカ族のダンスは午前11時に始まります。
水のセレモニーは正午に始まります。
チャルチウィトリクエ女神(Chalchihuitlicue)の前にて
(訳注:チャルチウィトリクエとはアステカの神話における水の女神)
==============================
この集まりは、水を生命の本質として捉えていくという本物の愛と感謝の
スピリットで満ちているので世界中から、同じ思いを持った人々が集まっ
てきます。この祈りが持っている力強い意図と心からのメッセージは、江
本勝博士が参加されることによって、さらに拡大されていきます。
江本博士は、水が、私たちの想念や祈りに反応するだけではなくて、人々
を回復させたり、癒したりすることのできるクリスタルの宝石に変容する
こともできるのだ、ということを明確に示しており、この結果を世界中の
人々に贈り物として伝えてきているのです。
ホピ族の走者たち、伝統的なダンサーたち、江本博士、そして“水への感
謝の祈り”に直接参加してくださる方々とともに、世界の人々が思いを一
つにしてくださることを、皆様にお願いしたいと思います。世界中で同時
に、私たちの意図を合わせていくことによって、水の滴の一つ一つがすべ
て喜びとともに、光り輝いていきます。
===============================
数千年間にわたって、あらゆる文化の人々は、水に敬意を払ってきました。
===============================
お客さんを受け入れる側のダンスのグループは、自分たちの民族の伝統的
な方法に従って、ホピの人々を受け入れるために、4つの州からやってき
ます。彼らは、自分たちの歌とダンス、そして水の神様トラロク(訳注:
古代メキシコのトルテカ人の神話における雨の神。その妻がチャルチウィ
トリクエ)に対する捧げ物を持ってきます。彼らは、ホピの走者たちと長
老たちが然るべき形で歓迎されることを望んでおり、運ばれてきた水が、
伝統的なメキシコ人たちによって、聖なる形で受け取られるようにしたい
と思っています。
以下は、メキシコ人の間で口づてに伝わっている歴史の一部にまでなって
いるエピソードです。ホピ族のランのコーディネーターであるルーベン・
ソーフキー・シニアさんが最近メキシコに来た時に、彼は、メキシコ人た
ちのダンスのサークルで話をするように頼まれました。そして彼は、ホピ
族の人々がランを行う意図と理由を自分の言葉で語りました。人々は皆、
心を開いて彼を受け入れました。ちょうどこの時、雨がポツポツ降り始め、
その後、小雨になり、グループ全体と、ダンスの後に残った花々に祝福を
与えました。雨は、町のその場所だけに降りました。そしてこれは、年間
を通じて乾季のちょうど最中に起きた出来事だったのです。これは、この
ランがとても重要なものであることを、そして水のスピリットがホピ族の
人々の努力をサポートして欲しいと望んでいるということを、示している
サインであることは、その場の誰にとっても明らかでした。“平和と尊厳”
のランとクアウテモクのランを経験した熟練の走者たちもまた、助けと支
援を提供してくれています。テオティワカンの伝統的なダンスのグループ
や、アステカ族・メヒカ族のテオティワカンやオトミの伝統的なグループ
なども、3月16日の正午に、メキシコ・シティの人類学博物館のトラロ
クの像の前で儀式を行って、ホピ族の走者たち、長老たち、イーグル・ダ
ンサーたち、そして彼らの水のスピリットからのメッセージを受け入れる
ことを申し出てくれています。ダンスは午前11時に始まります。
この日には、さまざまな文化背景を持った人々が集まるでしょう。そして、
この場に参加できない人々もまた、世界中の人々と思いを合わせていくで
しょう。そして私たちは、この贈り物である水―それは集合的な私たち自
身でもあります―を祝福していきます。一人一人が、生命そのものでもあ
るスピリット、すなわち水に対しての感謝と祈りと尊敬のメッセージを、
心の中から表現していくのです。
=================================
このように、メキシコ時間で3月16日(木)の正午に行われる水とダンス
のセレモニーに、江本勝・代表が招待されており、皆のために、いつもプロ
ジェクトで行っている、以下の“水の祈り”をリードして欲しい、と頼まれ
ております。
お水さん、愛しています。
お水さん、ありがとう。
お水さん、尊敬しています。
皆様方におかれましても、是非、このホピ族とメキシコのアステカ族、オト
ミ族、テオティワカン族によって開催されるセレモニーに合わせて、セレモ
ニー会場(メキシコ・シティのチャプルテペック公園)に向けて、あるいは
世界の水に対して、愛と感謝の波動を送っていただければ、大変ありがたく
思います。
*****
このようなシチュエイションの中で、私が到着した時、皆さんは大きな拍手と歓声で私を迎え入れくれて、儀式は粛々と行われてゆきました。そして最後に私の水への感謝の言葉を捧げる番になったとき、私は、次のようにご挨拶しました。
「私はここへエジプトから参りました。アラブの皆さんも、私の水からの伝言に素直に共鳴してくれました。そしてアラビア語で水の事をマヤと言う事を始めて知りました。この国にもピラミッドがあり、マヤ時代がありました。何か世界は水を半導体として繋がっているように思います。
さあそれでは皆さん一緒にご唱和下さい。
・ アグア テ アマモス(お水さん愛しています。)
・ アグア テ ラスグラシアス(お水さん有難うございます。)
・ アグア テ レスペタモス(お水さん尊敬しています)
と、あらかじめメモしていたスペイン語を高らかに読み上げ、皆さんはそれに続いたのでした。それは3回続き、祭りは最高潮に達しました。笛、太鼓、踊り、歓声が一段と大きくなりフィナーレを迎えようとした時、誰かが空を指さしながら、叫んでいます。
“あっ、鷲が飛んでいるぞー!!”と。
(この写真はイメージです)
慌てて、上を見上げるとまさに立派な大きな鷲がゆったりと我々の真上を旋回しています。その旋回は6回ほど続いたでしょうか、やがて西の空のほうに去っていきました。その姿はまるで、天から私たちのセレモニーを応援しているよ、その願いを天空の神にきちんと伝えますよ、と言っているように私には見えました。私は全身が総毛立つのを感じ、感動一杯で涙がこみ上げてくるのを禁じえませんでした。誰かが言っています。“普段メキシコ市内に絶対に鷲など現れないのに、これは奇跡だ!!”と。
アメリカのトライブ、ホピ族とメキシコのいくつかのトライブとの、近世紀になって初めてと思われる融合、それはやはり水が仲立ちをしたのです。この日はそういった意味で実に記念すべき日となる事でしょう。先住民族が手を取り合って、人類のご先祖様からの叡智を、我々少し俗化しすぎてしまった現代人に、慈愛の心を持って惜しみなく与えてくれる事になる、契りの日であると思うからです。
水の伝道者を自認する私も、全てのトライブの更なる仲立ちのために尽くしてゆこうと、誓った日でも有りました。
それにしても、ホピの若者ルーベン君、良くアリゾナの居留地からメキシコシティーまで走りぬきました。そしてそれを支えてくれたバーナンさんをはじめとする長老達、さすがです。有難うございました。
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2006年3月16日(木)
メキシコ世界水フォーラム
江本所長の代理で秘書が書いております。現在メキシコで開催中の第四回世界水フォーラムにおいて、江本所長がまた大盛況をおさめました。新聞ニュース等でも伝えられておりますが、日本の皇太子殿下も同ステージでスピーチされていらっしゃいます。現地での江本所長のスケジュールは過酷な為、日記文章は当分書けないようです。よって、送付された写真とコメントだけですが皆様に現地の感動を取り急ぎお伝え致します。

第4回ウオーターフォーラム 開会式の模様 右から3番目が皇太子殿下

世界中から報道陣が詰め掛けていた

皇太子殿下のご挨拶

ホピランナーがチェムナンガ公園に到着し、セレモニーが始まる


その直後の報道陣からのインタビュー

セレモニー風景3

取材を受けるべく来た新聞社ロビーでのパフォーマンス1

パフォーマンス 2
こんな馬鹿をしょっちゅうやってるから、過酷なスケジュールがこなせるのかも。
手にしているのは、スペイン語版「水は答えを知っている」メキシコ国内で、とても良く売れているようです。

我々の宿泊先のホテル、各国の要人が滞在している為、ホテルの周囲はテロに備えての警官が多数警戒していた。

テレビ局の可愛いキャスターからの取材を終えての記念写真


何とセミナーでは、メキシコ国歌の映像にお客様が全員立ち上がりました。
感動の瞬間です。




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2006年3月14日(火)
エジプト記
3月10日、ミュンヘン空港は大雪の為1時間ほど閉鎖し、私が乗ったフランクフルト便は2時間も遅れてしまいました。フランクフルトではアムステルダムの娘のところに行っていた、妻と待ち合わせでカイロに行く事になっていましたが、その便の時刻まであと15分と言うところで、滑り込みのセーフ、妻はどうしてよいか分からず、ほとんどおろおろ状態だったようですが、私がヨチヨチ走りこんできたときは、キャーキャー言ってまるで少女のような素振り、又神様に守られたと言う感じでした。
4日間滞在した始めてのアラブ圏内、結論から言って大いなる成果を上げる事が出来たと思います。写真をご紹介しながらエジプト記を綴ってゆきたいと思います。

今回のエジプトへの旅は、この写真のドクターカリムが企画し、招待してくれたものです。カリム博士は元カイロ大学の教授で専門はジオメトリー、形態場論で、リヒテンシュタイン研究所責任者のガゥプラスモス君のお父さんの友人という関係から、私も昨年リヒテンの研究所を訪れてくれた先生とお会いしています。とても温厚な人柄で、又エジプトではお父さんの時代から著名な方で、とても顔の広い方です。私の結晶技術をとても高く評価してくださり、電磁波対応機器などの基礎研究を共同で行っているところです。

始めてみるナイルは予想に反して、都会的な環境の中にありました。思ったほど川幅は大きくはありませんでしたが、それでも大型の客船や、貨物船が行き来をしており、このあたりでは、ヨーロッパのドナウと趣きを同じようにしている感じです。しかし、この川が有るからこそ、砂漠の中にこのような近代的な都市が存続しうるわけで、水の偉大さを改めて感じさせられました。

3月11日に行われた講演会の会場、ムバラク大統領夫人記念図書館の前で、ドクターカリム夫妻と記念撮影。この日会場には、沢山のお客様や、メディアの方が来てくれました。みんなカリム博士の知り合いで先生が招待状を出されたものです。

講演中の私ですが、講演は英語で話し、それをカリム博士がアラビア語で通訳するという形で行われました。英語で講演をするたびに、自分の英語力のレベルの低さに恥ずかしくなります。これからはその様な機会が多くなる事でしょうから、もう少し英語の勉強をしなければなりません。

前列一番左側が、ラスモス君のお父さんのガウプさんです。

立ち見も出たほど沢山の人が来てくれました。真ん中の左側はサウジアラビアから来た水伝3のアラビア語の出版者の社長のハッドさん、その右はエジプトでの高名な精神的指導者の方と言う事で、取材に来たテレビ局4社が、全て終わったあと彼に感想を求めてのインタビューをしていました。

前列右側がリヒテンシュタインの責任者ラスモス君 お客様も選りすぐれた方々ばかりであったように思います。

翌日12日に行われたテレビ番組生出演。サウジアラビアのテレビ局製作の「カイロ便り」で2時間半の大型番組。1時間ほどの出演で終わったのは11時半ごろで大変疲れました。

翌13日の夜の10時から、これはエジプトの国営放送で行われた、ほとんどの国民が見ているというテレビの生番組に呼ばれました。司会者の方が美しく知的で、あっという間の30分でした。
確かに翌日の朝、ホテルで見も知らぬ人二人から、声を掛けられました。


3日間の忙しかった滞在を終えて最終日の午前中、妻と念願のピラミッド見物に行きました。妻はキャーキャー言いながらラクダに10分ほど乗っていましたが、私は大事な身体、とりあえずの写真を撮ってもらいました。でもなかなか似合っていると思いませんか?まるで、“アラビアのマサル”みたいでしょ?

又おどけています。どこに行っても同じ事をやっていますね。

恐る恐るラクダに乗る妻

でもすぐになれてご覧のように楽しそう。我妻ながら若いね
スフィンクスの前で。スフィンクスは狛犬みたいに1対いるのかと思っていたら、一つしかありませんでした。どう考えても、これは大事な王の墓を守るガードマンにしか思えないし、そうであれば、昔はきっと狛犬のように1対だったのに違いありませんが、地元の人に聞いたところ、そんな事は聞いた事がないと言う人ばかりでした。どなたか真相を知っている人いらっしゃいましたら教えてください。
初めてのエジプトの旅は、以上のような状況で、楽しく又充実して終えることが出来ました。全てはカリム博士のおかげですが、アラブの人たちの生活慣習や宗教観は私の結晶写真の解説と異なるものは何もなく、素直に受け入れてくださった事は、今後のこの地区に対しての私の思いは、とても大切なものになり、良く訪れるようになる事でしょう。
4月のはじめには「水からの伝言NO3」のアラビア語版が当地で出版されますので、その評判によっては、年内に今度はサウジアラビアを訪れて見たいと思っています。
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2006年3月9日(木)
究極に近いと思われる波動機器との出会い
もう一つの情報はETASCANと言う名前の波動機器です。この波動測定器及び波動治療器は、ハンス・シンドラーさんと言う方によって開発されました。この技術の源流はロシアと言う事ですが、それをハンスさんが、見事に纏め上げたものです。
もともとロシアは波動機器類の宝庫です。旧ソビエト時代に、東西の冷戦が甚だしき頃、スパイの養成、洗脳、自白、転向などのために、波動技術は秘かに研究され、ある高いレベルまでに達したと言われています。
冷戦終了後、それは平和利用に供され、いろいろな波動測定器や治療器の出現となっているのです。考えてみれば20年前、私が最初にIHMで扱ったアメリカからの低周波治療器もチェコの亡命科学者が作ったもので、痛みをとるという面において、大変に効果があった治療器でした。
さて、今回ミュンヘンのホテルで私がお会いした、ハンス・シンドラーさんが開発をされた波動機ETASCANは、私が今までいろいろな機器を紹介され見てきているのですが、その中で最も進んだものであるということができます。
写真をご覧下さい。

私は25年間糖尿病を患っていますので、その原因を見てもらうべく、膵臓の波動を見てもらいました。ご覧のように黒い四角のポイントが表示されて、かなりその機能が衰えているのが分かります。この機器はそれに対して、どのような治療法が良いか、どのような食品が良いか、どのような薬が害をもたらさないで有効かを、ステレオを聞くときのイヤフォーンを装着する事によって、耳から与えられた情報がフィードバックされ、それがすぐにヴィジュアルで見る事ができるのです。
そして私を驚かせ、興奮させた事は、この機器にはアルファベットで言葉を入力するソフトがついており、その言葉で現されたものが、その部位の疾患に対して、良いかどうかを、瞬時にヴィジュアルで見せてくれるという、オプションも付いているのです。つまり言霊治療も出来るのです。
写真の下の写真は、私がaikansyaと言う言葉を入れてもらって、私の膵臓を再検査して貰った所、ものの見事に黒い部分がなくなりほとんど赤に転化しました。つまり私の膵臓には愛感謝の思いが足りない、膵臓に対して感謝の思いが少ないが故に、その機能を弱めてしまったと、言う事ができるのです。愛感謝の大切さが理論的には分かっている私ですが、本音の部分ではまだまだその思いに不足していると言う事に気がつかされ、反省している次第です。
この機器は、医療機と言うより私の水の結晶と同じく、未来の教育機器装置として活躍する事になるでしょう。
私は早速彼を日本に呼ぶ事にしました。彼も急な依頼にも拘らず、スケジュールを変更して日本に来てくれることになりました。
4月9日(日)一ツ橋ホールで行われる日本波動医学研究会に是非お越し下さい。明日の世界に希望が持てる日となるでしょう。
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2006年3月7日(火)
ドイツからの報告
3月6日、夜遅くミュンヘン空港に着いたなら、そこは一面の銀世界で、雪は絶え間なく降り続いていました。

朝起きてみたら、外はご覧のように白銀の世界でした。
(ミュンヘン中央駅を望む)
遅い時間にも拘らず出迎えてくれた、コーハ出版の社長であり、ヨーロッパの良き友であるコンラッドさんの話によれば、今年のドイツは全土に渡って大雪が続き、まったくの異常気象であること、特に北よりも南ドイツの雪がひどく、3週間前には市内でも1メートルの積雪があった事、また2日前から降り始めたという事です。日本も記録的な大雪に見舞われているんですよ、と話をしましたが、なにか静かだが不気味な足音が聞こえてくるようで、ちょっと気を引き締められたドイツ入りとなりました。
翌7日からは早速いろいろな人とのミーティングや取材が予定されていましたが、その中で、とても興味深い情報が2つほどありましたので、今日はまずそのうちの1つをご報告させていただきましょう。
石の楽器の演奏
まず写真をご覧下さい。

重い石の楽器をわざわざザルツブルグから持ってきて、
演奏をしてくれたクラウス・フェスマンさん。
石はハープ状に削られており、その側面を撫でる事によって、高質のオーバートーンの音が奏でられます。写真の左側にボウルが置いてありますが、この中に水が入っており、それで絶えず手を濡らしながら石を撫でないと音が出ません。そしてその水の質によって、よい音ともなり、悪くもなるそうです。
石を撫でて音を出しているのは、ザルツブルグの音楽大学でピアノを教えているクラウス・フェスマンさんです。ひょっとした事からこの楽器と出会い、今はピアノ演奏よりもこの石を持っての演奏会や、講演旅行に出かけていることが多いそうで、演奏会の時は1メートルぐらいの大きさのものを使うと言う事です。美しい音を求めて行けば行くほど、その境地に深く入り込み、なかなか極められないと仰っていました。もちろんそのヒーリング効果を結晶で見てみたいと言う事で来られ、3枚ほどのCDを置いておかれました。
私としても、いつかは石(意思)と水との関係を研究する事になるだろうという予感を持っていましたので、早速そのCDを日本に送って結晶を撮ることにしました。とにかく水を手につけて石を擦らなければ音が出ないと言う事は、私の仮説“水だけが振動を運ぶ事ができる”と言う事を裏付ける現象だと得心したしだいです。
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2006年3月6日(月)
ついにアラブ圏へ
今日、3月6日(月)から又1ヶ月ほど、世界一周の旅に出ます。今回は、ドイツ、エジプト、メキシコ、コロンビア、プエルトリコの5カ国ですが、それぞれとても重要な意味合いを持つ訪問で、多少緊張しています。
まず、ドイツですが、例の映画“BLEEP”が昨年暮れからドイツ国内でも上映されるようになり、アメリカ国内と同じように評判を呼んでいて、その結果ミュンヘン郊外の町ローゼンハイムと北部の港町ハンブルグの映画館で、映画上映後QAと小セミナーが8日、9日と急遽行われることになりました。
10日から14日まではエジプトで、アラブ圏で始めての講演やテレビ出演があります。カイロ大学の元教授カリム博士と言う方が招いてくださったのですが、アラビア語での水伝3が丁度出版される頃でもあり、イスラム圏内で水の結晶がどのような説得力を持てるのかが、大げさに言えば、今後の世界平和を占うポイントにもなるような気がして、緊張しています。
15日には大西洋を越えてメキシコに行きます。第4回世界ウオーターフォーラムで(3月16日〜22日まで)講演する機会を得た為です。前回京都で行われた時もお話をさせていただきましたが、それは一般参加という形で申し込み、許可を得たものでしたが、今回はメキシコのフォーラム事務局からの正式なご招待で参加するもので、責任重大です。確かわが国の皇太子殿下も出席されると聞いております。
私の話は、17日の午後7時から1時間半ほどですが英語とスペイン語の同時通訳つきと言う、これも初めての体験で、今からワクワクしています。
又20日には、ユネスコが主催する子供水フォーラムでも1時間ほど話をする機会をいただきました。例の“世界の子供たちに水からの伝言子供版を配ろう”の正式な立ち上がりの時となりそうです。
更に開会式が行われる16日に、アメリカアリゾナ州から世界の国々から送られた水をマラソンで運んでくるホピの若者たちが到着するのですが(その距離3000キロあまり)それを記念して行われる、水に愛感謝を捧げるセレモニーでその音頭をとるという大役を仰せつかまっています。
メキシコで、いくつかのセミナーを終えたあと今度は南アメリカのコロンビアに始めてまいります。このご縁は昨年マイアミで行われたセミナーに出席してくれた、フリオさんというお医者様が作ってくれました。そして彼の医者仲間の一人がコロンビアの大統領の主治医と言う関係から、コロンビア滞在中に大統領の奥様からご朝食のご招待を受けました。ひょっとすると大統領ウリベ閣下と接見できる機会があるかもしれません。もしそうなれば、つまり一国の元首とも会うことが出来る様になったということは、やはり世界は本気で水のことを考え始めるようになった、と言えるのではないでしょうか。
その関係から、先日、目黒にあるコロンビア大使館に行って、大使のフランシスコ・ホセ・シエラ閣下からお招きを受け、お会いしてきました。閣下はコロンビアの現状を優しく丁寧に説明してくださり、妻が若干持っていたコロンビア国内の旅行者の安全性に対する不安感を、すっかり払拭してくれました。どうも日本の外務省が発行している同国の安全情報は、かなり古いものであるようです。

駐日コロンビア大使フランシス・ホセ・シエラ閣下と
右の柱に掛かっているのが大統領の写真、まだお若い方です。
コロンビアのあとはプエルトリコに参りますが、これは第2期のHADOインストラクターで同国人カルメンさんのアレンジによるものです。これからHADOインストラクターの波が大きく広がるにつれ、彼らの企画によるイベントが、世界の各地で行われるようになり、私はますます忙しくなることでしょうが、この忙しさこそが求めていたものでもありますので、むしろそれは私にとっての癒しとなることでしょう。エジプト、メキシコ、コロンビアと張り詰めた気持ちで飛び回ったあと、カリブの浜辺で、レゲエを聞きながら、ビールを楽しみたいと思っています。
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2006年3月5日(日) 船井メディア10周年記念講演会
船井幸雄先生の著書に紹介されたお話
結晶写真の美しさをご覧いただきました

約900名の方々が聴いて下さいました。
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