2006年1月
29日 第3回HADOインストラクター スクール IN HILO
27日 ヒロセミナー
25日 コナセミナー
21日 LAXマリオットホテルにて
20日 レインメーカー
19日 オクラホマシティー行き
18日 出国
15日 帰国
12日 学校でのセミナー
11日 病は気から
5日 皆様新年明けましておめでとうございます
2006年1月29日(日) 第3回HADOインストラクター スクール IN HILO
第3回HADOインストスクールは写真でご紹介しているような、素晴らしい環境のヒロで行われます。

ヒロ ナニロアホテル 全景
ここで第3回HADOインストラクタースクールが開催されます

この写真の最上階の部分が研修会場です
きれいなオーシャンが両サイドに展開していて最高の景観です

ホテルのそばには、散歩には絶好の美しい日本庭園があります。
ゴルフ場も歩いて3分

広い日本庭園に有る巨大なガジュマロの木

オーシャンを一望する前庭は、新しい世界の仲間と語るには絶好の場です

瞑想の場もあります
HADOインストスクールは定員を1回当たり30名までとしていますが、今回はまだ数に少し余裕がありますので、この際この場を借りて何故HADOインストラクターを募集しているのかをご説明し、一人でも多くの方に参加いただくように、お願いしたいと思います。
ご存知のように、私は昨年6月に第1回、11月に第2回の国際HADOインストラクタースクールをロサンゼルスで開催し、計60名の新しい仲間を得ました。その国籍はアメリカだけでなく、カナダ、メキシコ、プエルトリコ、コロンビア、オーストラリア、香港、日本と本当に国際的になってまいりました。
そして参加者の職業も多様で、医師、建築家、教師、各種コンサルタント、芸術家、ヒーラー(セラピスト)、各種デザイナー、公務員、水質管理者、心理学者、右脳開発研究者、ホリスティック医学従事者・研究者・教師 大学講師、編集者、出版社経営、ウエブデザイナー、エンジニア、言語学者、サウンド研究者、主婦、無職のかた などなど となっていて実に多彩です。
今後、このスクールはヨーロッパ、オーストラリア、アジア、中南米、アフリカの順で行ってゆく予定ですが、2008年までにはグローバルネットワークとなるべく、計画を進めてゆきたいと思っております。
何故このような構想を持ち、進めているのかは、やはり現代社会がこのままの状態で進んで行けば、犯罪や事故の日常化、大小の自然災害、経済恐慌、戦争、疫病の蔓延、などを経て、究極的にはこの地球に健全な状態で生きながらえる人の数は、非常に限られるであろうという予測を私は水から教わることになったからです。
そして私と同じように将来の、それも5年とか10年という単位で、人類社会に対しての危機感を持っておられる方々が、本当に多数おられることを、この5年に及ぶ世界講演行脚を通じて知りました。“よし、それならばその様な人たちと具体的に連携しうる場を作ろう。私は水の研究者で、その水は万物の源である。だから私が音頭を取って良いのだ。いや取らなければ成らないのだ”と自分に言い聞かせ、この構想を発表し、昨年の6月から実施している訳です。それでは具体的にどのような方に参加していただきたいのかといえば、それは前述したような危機感をもたれ、世界に本当の平和が来るように、何らかの形で参加したいと、真剣に思われている方のみという前提で具体的には次のような方々です。
- HADOというものを水の結晶映像を通じて、そしてそのメッセージを世界の人々に伝えることを一緒にしていってくれる人。
- WPWPプロジェクト(子供向け「水からの伝言」を世界の子供たちに6億5千万部配るというプロジェクト)を推進してもらえる人。(国に応じての出版手配、ディストリビューション手配、スポンサー・ドネーション手配)
- 自分たちがすでに持っているHADOの技術、考え方(あらゆるヒーリング含む)を、仲間と共有し普及する場を求めている方
- フリーエネルギー技術を開発中の方で、それを仲間と一緒に考え具現化する場を求めている方
- あらゆる産業に様々なHADO技術の応用を図る為のコーディネーター的仕事が出来る方
- 水についての研究を本格的に行いたいと志する方
- いわゆる超科学なるものを社会に認知せしめるために、仲間及びテストマーケットを必要とする方
- 現在の職業を離れて、新しい波動的な仕事を求めている人
- 出版、編集業を現在行っている方で、波動の会の会報編集をしてみたい方 あるいは独自の広報活動を企画されたい方
- 現在お持ちの波動商品を世界に普及したいと思われている方
- ただ純粋に波動とは何かを勉強なさりたい方
- 自分が所属する会社の仕事に波動的技術、思考を導入したいと考えている方
- その他真に世界平和を求める活動に、どんな形でも良いから、参加したいと考えている方々
第3回目のスクールは前述したようにハワイビッグアイランドのヒロで行われますが、詳しいことは下記ウエブサイトをご参照いただくようお願いします。
日本語:http://hado.com/event/page.htm
英 語:http://hado.net/hado_instructional_school.html
なお、今回は急な告知ですので、参加したいが日程的にどうにもならない、という方は第4回は6月中旬にアメリカ本土の東海岸、第5回を6月下旬のインドネシアのバリ島で予定しておりますので、あらかじめお知らせしておきます。
日記をインフォメーション代わりに使って恐縮でした。皆様のご理解をお願いするものです。

さあ皆さん いらっしゃい いらっしゃい 待ってますよ!!
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2006年1月27日(金) ヒロセミナー
ビッグアイランドはハワイ諸島の中で一番大きな島です。ですから大きな町が二つあります。一つは西側のコナ、もう一つは東側に位置するヒロです。日本の移民が最初に来たのはヒロ側で、その昔はカメハメハ大王の王朝が有った所でもあり、したがって歴史的にはヒロの方が古い町です。
しかし近年コナ側のほうが異常とも行ってよいほど開発がすすみ、国際線もコナ空港に取られ、ヒロそのものは、どちらかというと寂れてきている町と言えるでしょう。
でも私はヒロの方がコナよりも好きです。まず名前が良い。実は私の父は博(ヒロシ)と言いました。私たち夫婦の仲人のお名前が(博友(ヒロトモ)さんでしたし、私たちの下の息子の名前も博正(ヒロマサ)です。またIHMの社長も廣次(ヒロツグ)、常務も明宏(アキヒロ)、もう一人の役員も昭浩(アキヒロ)で他に「ヒロ」とつく名の社員が3人もいるのです。まさに私はいつも「ヒロ」に囲まれて助けられていますので、当然ヒロが好きなのです。
名前だけでは有りません。コナは溶岩が流れて作られた土地でありビーチであるのでとてもごつごつしていて、自然の緑もあまりありません。川もあまり見たことは有りません、そして最近の開発ラッシュのせいで車がとても多くいつも幹線道路が渋滞しています。
それに反してヒロは何よりも緑が多く、町も風情が有り、海岸やビーチもゆったりしています。そして日本庭園を初め、カメハメハ記念公園など美しい公園も多く、いつも出張先で散歩コースを探すのに苦慮している私にとっては、山坂の多いコナよりもはるかに好きなところなのです。(コナの人にはごめんなさい)
さて、そんなに大好きなヒロで行われた去年に続く2回目のセミナーは、残念ながら去年の3分の1の人しか来てくれませんでした。やはり町のエネルギーそのものがコナに比べてみると確かに低い感じで、人口もひょっとしたら減っているのかもしれません。

人数が少なくてもいったん話し始めると、熱がこもってゆきます。
私のセミナーの時のモットーは「一期一会」です

ですから、昨年に引き続きスタンディングオベーションをいただきました。

ちなみにこれが昨年の同じ会場での雰囲気
日本人、特に沖縄の方が最も多く、古くから移民し築かれた町ヒロ、町のあちこちには往時のご苦労を偲ばせるものが沢山見受けられます。ハワイを訪れる観光者の方々、是非ヒロにも足を伸ばされてください。
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2006年1月25日(水) コナセミナー
22日にロスをたってハワイコナ島に行きました。
ハワイ各地、計5回のセミナーと2月13日から18日まで行われる第3回HADOインストラクタースクール出席の為です。
コナ空港にはHADOインストラクターであり、スクールの通訳者でもあるビッグアイランド在住のアンディー長谷川君が迎えに来てくれていました。

HADOインストラクターでビッグアイランド在住のアンディー長谷川さんが
レイを持って迎えに来てくれました

同じく秘書の古谷君にもレイ・・・やはりレイは若い女性のほうが似合いますね

1日遅れで合流した妻にもレイ・・・
彼は私が始めて2年前にこの島に来た時、マウナケアーの星空観測ツアーに参加したのですが、その時の日本語ツアーガイドで、私が大変気に入りその縁で第1回のHADOインストスクールの時から通訳をお願いしている青年です。
お父さんが日本人、お母さんがアメリカ人の彼は日米両言語をネイティブとして話すことはもちろん、科学的なセンスを持ち合わせ、その方面の知識も豊富で、現在はマウナケアーの山頂近くにある日本の天体観測所「昴」で働いています。実は何とかしてそこから引き抜いて将来IHMUSAの社員となってもらおうと、私はイメージしています。
23日に1日遅れで日本から来た妻は、写真のように翌日早速スノーケリングを楽しみました。
彼女は泳ぎが得意で、どこに行ってもすぐに海に入るのですが、このコナの海のキャプテンクックの慰霊碑がある付近の海は今までで最高のスノーケリング場だったようです。

到着した翌日 早速スノーケリングを楽しむ妻
“こんなに魚が一杯いてきれいなところは初めてだわ”
しかし妻が元気に楽しそうに遊んでいるのを、ボートから見ているのは楽しいものです。

妻は学生時代水泳の選手でした。水を得た魚のようです
(今年かぞえで60になるとは思えません
そして今日25日私のセミナーがコナのアロハ劇場でありました。

1年ぶりに来た コナ アロハ劇場 アメリカのいろいろなところにまだ昔のままで残っている映画館 僕はこのムードが好きです アメリカ人でないのになぜか郷愁を感じます
昨年ほどの人ではありませんでしたが、それでも300人以上の人が来てくださり、楽しんでいただきました。
しかし最初に去年も着てくれた人の挙手をお願いしたのですが、その数何と10名ほどで、ちょっとショックでした。やはり私はいわゆる芸能人的ではないようです。
2006年1月21日(土) LAXマリオットホテルにて
今日はこのホテルで ウォーク オン ウォーター という名前のシンポジウムがあり、私はキーノートスピーカーということで、午後1時から講演をさせていただきました。会の名前が名前ですので、私は、自由に意識と水の関係について楽しくお話をすることが出来、来場のお客様も、喜んで聞いておられたようです。

今年初めての正式なセミナー ロサンゼルス LAXマリオットホテルにて

walk on waterのスピーカーたちと
僕の左側が主催者のレジー・ジョンソンさんです
さてそれが終わって少しくつろいでいる時、かねてからアポイントのあったお客様が2人の仲間を連れて訪ねてこられました。ご本人はDr.ビゲルソンさんという方で、今年の4月17日にセミナーが予定されている北カリフォルニアのグラスバレーというところから、もう1人はサンディエゴから、更にもう一人の方は、遠くインデイアナポリスからお見えになり、私との会見に相当な期待をされて来られたという感じです。
話が始まって、10分もたたないうちにその理由が分かりました。Dr.ビゲルソンさんはお医者様で、血液をある特殊な視点からもう25年も研究されてきておられ、その成果の一部をパソコンで画像を見せながら、一生懸命説明してくれました。氷結こそさせませんが、暗視野方式で顕微鏡を駆使されて、血液の情報イメージを観察するという研究です。そして25年にわたる研究の結果、人の感情や意識によって、その血液のイメージが見事に変わってゆくということを、突き止めたのです。
当然それは私が研究してきた意識と水との関係に、オーバーラップするものです。ですから彼らが私を訪ねてきた理由は、是非お互いにデータを持ち寄って、共同研究をしてゆこうではないか、という趣旨でありました。
もちろん私に異論があるわけではなく、具体的には4月にグラスバレーに行った時、彼の研究所を訪れ、打ち合わせすることとなりました。

とても気のあった人と又会えました Dr.ビゲルソンさんと私
昨年訪れたスペイン バレンシアのエクスローデ先生といい、今日の先生といい、やはり世の中にはまだ世間には認められてはいないが、素晴らしい研究をされている方がいるということを再確認し、自分がその様な方々と連携をとって、それを人々に理解してもらうような、役割をしたいなと再び思ったのでした。
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2006年1月20日(金) レインメーカー
IWLFの第1回理事会は今日の午前10時、私たちの宿泊先のホテルの最上階の会議室で行われました。写真はその出席者の面々との記念写真です。

この模様については近々セットアップされる予定の同協会のウエブサイトで報告されると思いますから、そちらをご覧いただければと思います。とにかく正式にその活動を推進していただける執行役員が承認され、いよいよスタートを切った記念すべき日となったのです。
それよりも、面白い話題をお伝えしたいと思います。それは私が地元のテレビと新聞合計3社から、レインメーカー(雨乞い人)としての取材を受けたことです。
実は昨夜空港まで迎えに来てくれた方が、地元のマスコミ業界に精通している人でした。私を空港からレセプションの会場まで送ってくれる車中で彼は私に話しかけてきました。“実はこの町はもう3ヶ月ほど雨が降らなくて、乾燥がひどくあちこちで野火などの火事が発生して困っているんです。ほとんど毎日のように起きるのですから。何か良い方法はないでしょうか?”もちろん私がウオーターマンであることを知っていての相談でした。
私はよせばよいのに、“じゃ、ここでやってみましょうか”と言っていつものように“雨が降りました。ありがとうございました。”と車の中から、もうすっかり暗くなって、何も見えない空を見上げながら手を合わせました。これが良かったのか悪かったのか、今日私は地元のテレビ局と新聞社から、それぞれ取材を受けることになりました。
と言うのはこのパフォーマンスの結果(?)オクラホマシティーは昨日まではまったくの快晴だったのに、今日は朝から空にいっぱいの雲が広がり、又湿度も急激に上昇して今にも雨が降り出しそうな天気になってしまったのです。そしてその方が知り合いの記者に、車中での私のことを話したものですから、すわとばかりにそれぞれ雨乞い人の取材に駆けつけたという訳です。

地元新聞者のカメラマンが僕に傘を持たせて雨乞いのポーズを撮る
私たちは3時過ぎの便でロスに戻りましたが、どうやら一部の地区で雨が実際に降ったようで、とりあえず面目は保たれたようです。しかしもう2度と軽はずみに雨を降らせましょうなんていうことは、言うまいと思った、オクラホマシティーでの体験でした。
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2006年1月19日(木) オクラホマシティー行き
1前日ロス入りし、1泊したあと朝早い便でデンバー経由オクラホマシティーに向かいました。今回の出張の最初の仕事はIWLFの最初の理事会に出席の為です。事務局長を引き受けてくれたリン・ ハ―ディンさんがオクラホマシティーの方なので、そこが本拠地となり、今日は理事に就任してくれた皆さんと初めての顔合わせの日です。
デンバーに着いたのは予定どうりの11時過ぎでしたが、そこは一面の銀世界、雪がかなり降っていて、なにやら悪い予感のトランジットです。案の定12時25分発のオクラホマシティー行きは欠航となってしまっていました。ところがそれは天候の為ではなく、機体故障の為ということで、次の3時50分発と6時15分発は、予定通り出るということですが、前者の便はすでに満席、キャンセル待ちの人が16人もいるということで、ほぼ絶望的な状態でした。
結果、後者の便で行くしかないわけですが、それですとオクラホマ着が午後9時過ぎで、5時から予定されている支援者によるレセプションには絶対に間に合いません。前者の便ですら到着は6時半ごろになってしまい、レセプションが終わるころにしか着けないわけですから、もうNO WAYです。同行秘書の古谷君にリンさんに、その旨電話をしてもらいました。
ところが同じく同行しているIHMの社長の葉坂君が、あきらめずに最初は何がなんだか分からない英語で、次には古谷君に通訳させて、グランドシュツアーデスになにやら交渉しています。どうやら3時50分の便のウエイティングリストの順番を私と古谷君の分を1番先にして欲しいと、頼み込んでいるようです。夕方オクラホマシティーで大講演会があり、1000名の人が待っているからといったりして。(実際は60名!?)
しかし、何の確約も得られなかったようでしたし、その後キャンセル待ちの人は更に増えて、席を次の便に譲ってくれるボランティアを募集します、というアナウンスが何度も放送されて、私としてはもう完全に諦めていました。そして搭乗時間となりお客様が搭乗を始めその列が終わりの方になった時、場内アナウンスが私と古谷君の名前を呼びました。慌てて古谷君がカウンターの方に走ってゆきすぐに引き返してきました。“所長!!私たち乗れますよ”と言いながら。
葉坂君の陳情が功を奏したのです。私たちは葉坂君に“ありがとう、じゃ先に行っているから、現地でね。”と言い残して機内に入りました。そして席に座りベルトを締めて一息ついていると古谷君が叫びます。“あれ!一番最後に社長が乗ってきた!”と。みると葉坂君がニコニコしながら、乗り込んできたのです。“なんで乗れたの?”と私が聞くと“イヤーまだだいぶ人は並んでいたんですが、最後の切符を手にした彼女が私の顔を見て合図して、これ貴方にあげるわ、という感じでくれたんですよ、ハハハ”とあっけらかんなものです。
やはり、最後の最後まで諦めてはいけないのですね。まさにラストミニッツならぬラストセカンドな男です。おかげで何とかレセプションに間に合うことが出来ました。60名の人たちは一人も帰ることなく、2時間も待ってくれ、私たちが到着すると拍手で迎えてくれました。良いマネージャーを持ったものです。ありがとう葉坂君。

遅れても待っていて下さった皆さん

リンさんや支援者に囲まれて

支援者との記念写真

レセプションが行われた豪邸
ここでも取材を受けました
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2006年1月18日(水) 出国
今この原稿は、成田空港ANAラウンジで書いています。ということは、又出張です。今度はアメリカでオクラホマ、ロサンゼルス、ハワイ島、マウイ島、カウアイ島、オアフ島です。オクラホマはIWLF(国際生命の水財団)の設立理事会出席の為、他はセミナーです。
更に2月13日から18日までハワイ島において第3回HADOインストラクタースクールを開催する為、帰国は2月20日となります。たった3日の日本で、又1ヶ月もの海外出張は大変だろうと思われるかもしれませんが、本人はいたって元気で、喜んで旅立ちますので、どうぞご安心下さい。
さて、今回の出張の中での一番の楽しみは、何と言ってもハワイ島で行われるHADOインストラクタースクールです。

昨年11月開催したHADOインストラクタースクール・イン・ロサンゼルス記念写真です
昨年の6月、11月に引き続いて3回目となるこのスクールは、今私にとって一番生きがいを感じる行事です。何故そのような感じを持つのか、今回のスクール参加者を募集するに際して書いた次の呼びかけの文章の中から、その思いをお読み取りください。
波動インストラクタースクールは“共鳴磁場”を作り学ぶ場

「共鳴磁場」の掛け軸はいつもステージに
第2回波動インストラクタースクールは、11月の初旬にロサンゼルス エアポート ヒルトンで34名の参加者を得て行われました。そして6月に行われた第1期生の中から7名の先輩たちも参加してくれて、総勢41名のスクールとなりました。

皆さん興味津々な表情
1期生は24名でしたから何と3分の1近くの人が、再び参加してくれた事になります。それもハワイやウイスコンシン、サウスカロライナなど、遠い州からの人が多く、4日間のスケジュールの間、ずーっと一緒に同じホテルに滞在して、授業を再履修してくれたのです。
その中で、私がとても感動したことがありました。それは二日目の夜に行われた懇親会での、先輩たちの挨拶の内容でした。どなたもが、第1回スクール終了時に与えられた500枚に及ぶ結晶写真のパワーポイントを利用して、それぞれの地域で、それぞれの施設や学校で、大小のセミナーを企画し、お話された体験談を語ってくれたのです。最初はとても緊張したこと、しかし今では楽しくてしようがないことなどを・・・・・
それは、まさに私が期待し、イメージしていたことでした。それを語る彼らの顔は、子供のように純粋で、青年のように嬉々としていました。ああそうか。彼らはこのことを後輩たちに伝えたくて来てくれたのかと思った瞬間、私は胸にジンと来るものを感じ、思わず涙してしまいました。
そしてそれを聞いている、34名の後輩波動インストラクター達、みんな希望や憧れに満ちた眼をキラキラさせて、じっと先輩たちの話を聞いています。

聞いてる方にも笑みがこぼれます
私には何かその姿から、ようやく来るべきところに来た、やっと出会うべく人たちに出会えた、と言う安堵と喜びの波動が感じられました。
水、そして波動、さらには江本勝という共通のキーワードの下に集まった人々は、まるで前世からの同志・同胞でもあったかのように、すぐに、さりげなく打ち解け、輪を作ってゆきます。この中にこそ我々の探求テーマであり、フリーエネルギーの大原則である、共鳴磁場が生まれるのです。
さあ、あなたもこの場に入って、困窮する地球、人々のために、愛と感謝のエネルギーを恒常的に与える仲間となりましょう。

第3期波動インストラクタースクールは、そのためには絶好の場、ハワイ島ヒロでの開催です。前世からの友である貴方をお待ちしています。
というわけで、皆さん元気に行ってまいりまーす!!
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2006年1月15日(日) 帰国
本日の朝6時半の成田到着の便で、約1ヶ月ぶりに我が家に帰ってきました。

帰る日みんなが送ってくれました

固い蕾だったプールのそばの蓮の花も、
別れを惜しむかのようにその蕾を開いてくれました。

この人がカマラヤの社長のジョンさん。
彼にはインタビューしましたので月刊「Hado」でご紹介します。
お昼まで寝たあと、妻と二人で近所の韓国料理屋に行き食べたかった石焼ビビンバを美味しく頂いた後、妻は買い物に、私は駅までの道20分を歩いて散髪屋に行きました。
床屋代を払った時、サムイで通訳をしてくれたハワードとの会話を思い出しました。10日ほど前、彼が頭をすっかりきれいに刈り込んできたものですから、“やーなかなか良いね。似合いますよ。ところで散髪代はいくらですか、こちらでは?”と聞きますと“100バーツです。日本円で300円ですよ、安いでしょう。“300円!?それはまた安いな。”という会話です。
私が今日払った散髪代は4100円、タイバーツで約1300バーツですから約13倍にもなります。一般的にその国の物価と自分の国の物価を比較するのには、散髪代を基準とすると良いと私は思います。原価はほとんど掛からないから、純粋に1時間あたりの人件費比較が出来ます。私が払った4100円という散髪代は日本ではほぼ平均的値段だと思いますから(日本では従来から1ヶ月の新聞の購読費と散髪代はいつもほぼ同じ・・・現在新聞代は3900円)、別の表現をすれば、タイサムイ島の一般市民と日本の一般市民とのリッチ度は1対13と言えるのではないでしょうか。
ここで、私は最近私が講演会でよく言っていることを思い出しました。
“最近の自然災害は地球上におけるエネルギー格差が顕著になってきた現象と言えるが、それは地球上における地域によっての経済格差がもたらしているものかもしれない。これを、バランス化するのには全ての根源である水の、物理的特性に習うべきであろう。つまり、水は常に高きところから低きところに流れるが、経済の根源であるお金も、それに習うべきである。然るに現状では、お金は低きところより、高きところに流れており、その逆でエネルギー格差をますます、増大させている。”
現在の資本主義体制を否定しているわけではありませんが、はっきりと言えることは、リッチな人(国)はそうでない人(国)に援助をし続けることが、とても大切なことだと思いますよ、という意味で皆さんにお話しているのですが、今日の散髪代の件で、このことにますます確信を持ちました。ですからとりあえず私たち日本人が出来ること、それは同じアジアでまだリッチでない国々に、どんどん旅行に行って、大いにお金を使ってくることだと私はお勧めします。そしてそこには、私たちが失いかけている素晴らしく美しい自然と、素朴で暖かい人の情が待っていて、私たちを癒してくれるのです。世界平和に貢献しながら、自分も楽しめ癒される。今の日本人は、誠に得をしています。

僕がカマラヤにいることを聞きつけて尋ねてきた人たちと、お話会
みんな”BLEEP”を見ていた。あの映画のFANはいまや世界中にいる。
(DVDも出ているからか)
ところで、血糖値のその後の報告です。これをもってサムイ島報告を終わらせていただきます。サムイの皆さん コップン クラップ!! ありがとうございました。 又行きますね。
1月13日・・203 最後の晩ということで妻と日本料理屋さんに行き、久しぶりのビールと日本食を楽しんだにしては、まあ良い数字でした。

久しぶりのビールは困ったことにやはり旨かった
1月14日・・機内で焼酎お湯割り2杯 うどん 測定できず
1月15日・・279 昼間の石焼ビビンバ、夜、妻が、僕の大好物のカキフライ(4ケ)、イカフライ(2ケ)、ホタテフライ(1ケ)を久しぶりに(1年ぶりか)に作ってくれたのでそれを美味しく食べた。酒なし。ご飯1杯。 でも、あーあ、又もとの数字に戻っちゃった。・・・・・よし、又明日からお昼はBEマックスだ。頑張るぞーっ!!
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2006年1月12日(木) 学校でのセミナー
9日のセミナーが終わったあと、私たちはイオンさんの奥様クリスティーナさんの実家に招待されました。

ご家族と一緒に
そこで家族の方々と楽しいディナーをご一緒させていただきましたが、前日担当の先生からタイ料理は砂糖を沢山使うからあまり食べ過ぎない方が良いですよ、と言われていたので、抑え目に食べたつもりだったのですが、やはり血糖値は昨日の185から229に上がってしまい、待望の100台もたったの1日で終わってしまいました。

ご馳走の山・・・・
ちなみに、翌10日の日も、ここの社長のジョンさん夫婦のご招待で、ここに来て初めての日本料理(寿司)をご馳走になりましたが、やはりお寿司のほうが、血糖値には良いようで、前日比21ポイント減の208でした。いずれにしても、糖尿病の場合食事療法と運動療法しかないわけですから、食事に誘われても、鬼のような強い意志でこれをお断りしなければならないのですが、僕の場合すぐにこれを受けてしまう、しかも喜んで。この性格を何とかしなければいけないのは分かっているのですが、これが又大変難しいのです。
さて、話がそれてしまいましたが、クリスティーナさんの実家はオランダ人で教会関係者のお父さんと、タイ人の奥さん、そして8人の子供たちと大変な大家族で、音楽一家のようでもあります。

クリスティーナの家族は実はトラップ一家、オズモンドファミリーのようだったのです
翌日(10日)島内の小学校で僕のセミナーがお父さんの紹介で行われました。それにも子供たち全員が前座として、唄を歌ったり踊りを歌ったりのパフォーマンスをやって子供たちから大喝采を貰っていました。

セミナー前の子供たちによるパフォーマンス
セミナーに参加したのは、5年生と6年生の約150名でしたが、雪を一度も見たことの無い彼らに水の結晶のことを説明するのは、とても難しく冷や汗ものでした。そして思うことはサムイの子供たちは、年齢に比してとても幼いという印象を得ました。やはり常時暖かい気候のせいでしょうか。でも最後に日本から持参した結晶シールを全員にプレゼントすることが出来ました。彼らはそれを好奇の目を持って手にしていましたが、先生の説明を聞いて(多分良い言葉を使いましょうね、と言ったのだと思う)全員でハーイ!! そしてアリガトウ!!と言ってくれた時は、思わずジーンと来ました。彼らはそのシールを今後いろいろな人に見せてくれて、雪の無いサムイ島に結晶旋風が巻き起こることになるかもしれません。
この子達の前でセミナーをしました

小学校(会場)の校庭だというのに祀ってあったものはなんと、爺岩
そして今日は私たちがいるリゾートから5分ぐらい離れたリゾート(少し古い)で、島内のある高校の生徒50名が参加している英語研修合宿でのセミナーです。

高校生相手のセミナー風景
私が日本語、ハワードさんがそれを英語で、それを又学校の先生がタイ語で子供たちに話すと言うスタイルで行われたそれは、対象が高校生だけに、そして英語を勉強したいという生徒さんたちだけに、とても熱心に聴いてくれて良く理解してくれたと思います。特に音叉の実験が面白かったようです。

初めて、ハワードさんとコンビ(講演者と通訳)を組んだのですが、大成功でした

セミナー終了後、生徒代表から英語でお礼の言葉を言われました
このように私はどこにいる時でも時間が有れば、そして求められれば、子供たちのいるところに行くようにしています。特に今後はEMOTOプロジェクトの本も出来上がりますので、それを持参してまいりますので、どうぞ遠慮なく声を掛けてください。

子供たちと記念写真です
今日の血糖値
6時40分に食事を終え、7時にセミナー会場に出発 そして戻りが9時でそれから測定したので、いつもと基準が違うのですが、122と言う理想の数字でした。やはりセミナーは良い健康法だ!!
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2006年1月11日(水) 病は気から
サムイ島カマラヤリゾート滞在も、本日で3週間を過ぎました。果たして血糖値はその後どうなっているのでしょうか、まずは結果発表です。
1月5日・・・207 昼 BEマックス 夜 魚とご飯
1月6日・・・392 昼 BEマックス 夜 インスタントうどん
1月7日・・・262 昼 BEマックス
1月8日・・・185 セミナー 昼 カレー 夜 魚とご飯
1月9日・・・229 セミナー 昼 カレー 夜 タイ料理
1月10日・・・208 昼 蒸し魚とご飯 夜 寿司
1月11日・・・225 昼 BEマックス 夜 魚とご飯
ここで注目すべきは、1月6日の数字です。

食後1時間(11時半)の数値
何故この日急に前日に比べて185も上がってしまったのでしょうか。お酒でも沢山飲んでしまったのでしょうか?いや、今年になってまだアルコールは一滴も飲んでいません。ではご飯を食べ過ぎた? いや食べるどころか、食べる時間が無くて日本から買ってきた、インスタントうどん(お餅1ケ入り)を11時少し前に一つ食べただけです。
そしてたまたまこの日は、実験的に食事前の血糖値を自分で計っていました。(普段は夕食のあと1時間後に計ります。)それによると、 18時・・183 19時・・177 20時・・146でしたから、もう間違いなく待望の100台に突入かと、期待に胸膨らませて、その日日本から帰ってきたばかりの妻に測定をしてもらいました。その結果があの数値です。思わず、妻は疑わしそうな顔で僕を見つめます。あわてて僕は“いや絶対これはおかしい。何かの間違いだ。君がいない時も僕はいい子だったんだから。毎日運動しているし、お酒も一滴も飲んでないし、お昼もBEマックスだけだし。だいたいが、8時に計った時は、146だったんだから。”と僕はそのメモリーを妻に見せました。

8時の数値
それを見て妻も納得したようで、“おかしいわね、確かに。じゃもう一度計ってみましょう。”と僕の耳に器具を当て、ブチリと針を刺します。でも結果はほとんど変わらず、二人で“どうしたんだろう”という沈黙が少し続きました。
結果として、この異常に高い数値の原因は私の急激な過度のストレスによるものであると、考えざるを得ません。妻は12月30日に一時帰国し、その日、6日に帰ってきました。何も妻が帰ってきたからというストレスではありません。
妻はその日の夜7時50分サムイ空港着の、バンコクエアラインで、帰ってくる予定でした。私は当然迎えに行くべく、フロントに予約をを入れてありましたが、手違いで、その車が私を乗せないで、妻を迎えに空港まで先に出発してしまったのです。
それで仕方が無いので、部屋で夕食も取らず一人で待っていました。空港からリゾートまでは40分ぐらいですから、妻が帰ったら一緒に夕食をとるつもりでいたのです。しかし、お昼もダイエット食しか食べてませんから、どんどんお腹がすいてゆきます。ですからイライラを紛らわす為に、空腹時の血糖値を計ってみようということで、6時、7時、8時と自分で血糖値を計っていたのです。
8時になってフロントを通じて迎えの車の運転手に電話をしてもらい、7時50分到着予定の便が着いたかどうか、確認をしてもらいましたが、飛行機は1時間10分遅れの9時着になったようだ、と折り返し連絡があり、私のストレス(心配波動)が始まりました。
私は妻が僕と離れて一人で飛行機に乗ると、必要以上に心配してしまうたちで、これはいつものことなのですが、その日に限ってはその度合いが凄かったのです。というのは、その後飛行機は更に1時間遅れたのです。本来は7時50分につく予定が2時間10分も遅れてしまった。その間、僕の心配劇場は勝手に筋書きを作り、どんどん進行してゆきます。しかも空腹状態で、酒も飲めずに。それはそれは凄いストレスがまるで大津波のように、私の体を襲っていた、妻の顔を見るまでの3時間だったのです。
妻がリゾートについたのは10時40分、すでにレストランはクローズしてしまいました。で、仕方が無いので妻が日本から買ってきたカップ麺を二人で食べた後、恒例の血糖値測定を行ったところ、とんでもない数字が出てしまった、という訳です。
実は今夜も、夕食前の空腹時に血糖値を測定しました。122という立派な数字でした。その後、少しご飯を多めに食べてしまったので225という結果となりましたが、それでも、その上げ幅は103です。あの日(6日)空腹時測定が146でカップ麺を食べた後に100上がったとしても、250程度であるはずが392.つまり140ほどが、食事によるものではない要因であったのではないかと考えられるわけです。もちろんそれは、あの日の私が極度に持ってしまった心配波動ストレスによるものと、私は考えた次第です。
きっと血糖値だけでなく血圧も同じような傾向を持つのでしょう。だから脳梗塞や脳溢血を起こす最終的な発症の引き金をもたらすもの、それは私たちの日常生活における過度のストレスによるものであるということが言えると思うのです。
やはり、たまにお酒飲んだほうがよいのかな!?
それと待望のセミナーが8日と9日にあったのですが、8日の日は初めて100台に突入しました。このセミナーはランチつきで(ということは私もランチを皆さんと一緒に食べました。それで184はたいしたものです。やはり僕にとってセミナーは一番の健康法のようです。)

1月8日、9日 カマラヤで行われた初めてのイベント
島外からも多くの人が来てくれました
料金は日本円で6000円程度だったのですが、両日とも40名以上の人が来て、皆さんに大変喜んでいただきました。中には本土からわざわざ飛行機で来られた方もおり、そのほとんどは、欧米の方々で、国際色あふれるリゾート地でのセミナーとなりました。
このセミナーで特筆すべきことは、ヴォイスヒーラーのシャンティーさんに“大断言”に節をつけて、ことたまのマントラとして歌ってもらい皆さんもこれに続いてもらったことです。

シャンティーさんが大断言を日本語で歌ってくれました
もちろん日本語での発音です。なかなか感動的な歌となりました。テープを取ってありますので、日本に持ち帰りどんな結晶が撮れるの、水に聞かせたいと思っています。

地元のマスコミのインタビューです
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2006年1月5日(木)
皆様新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
実は12月30日に妻は日本に一時帰国しましたので、今年の新年は、たった一人で南の島で迎えました。妻は6日には帰ってきますが、こんなことは結婚して初めてのことです。
妻がいないと自分ひとりで健康管理がうまく出来るかと、妻も私も心配でしたが、それが結構出来ているんです。
それではお待ちかねの血糖値の発表をしましょう。この島に来たのは12月20日でしたから、その日からの推移をあわせてご紹介します。
12月20日・・・388
12月21日・・・305
12月22日・・・308
12月23日・・・357
12月24日・・・389
12月25日・・・367
12月26日・・・277
12月27日・・・357
12月28日・・・236
12月29日・・・219
12月30日・・・288
12月31日・・・279
2006年
1月1日・・・257
1月2日・・・264
1月3日・・・210
1月4日・・・203
他人の血糖値のことなどはどうでも良いとお叱りを受けるかもしれませんが、実際に私の周りには糖尿病で苦しんでいる人が多いものですから、その人たちの為に、少しでも参考になればと思い発表しています。どうぞご勘弁をお願いします。
特筆すべきことは、1月1日からお昼はBEマックス(http://www.rakuten.co.jp/hado/515414/521248/)というダイエット食品に切り替えたということと、お酒を一滴も飲んでいないことです。さらにプールで毎日4〜50分ほど水中歩行をしていることでしょうか。もちろん散歩もしています。

タイの料理はかなり美味しい でも血糖値には・・・・・

「身を捨ててこそ 浮かぶ瀬あり」
ですからここのところ安定して数値が低くなってきているのだと思います。妻が帰ってくる6日の夜には何とか100台の数値を見せたいと願っています。
ところで一昨日面白いことが有りました。一人の白人の青年がたどたどしい日本語で話しかけてきました。
「コンニチハ エモトセンセイデスカ?ワタシハ ベントイイマス。ニホンカラキマシタ」

群馬県前橋で教員をしているベン君
何が面白いかというと、彼はニュージーランドの青年で群馬県前橋の中学に英語の先生として、昨年着任しました。で、冬休みに暖かい島に旅をしようということで、いくつかのタイの島をめぐる旅の最中であったのですが、このサムイの前の島で、レンタルDVDをホテルで借りて見ました。それがたまたま「WHAT THE BLEEP DO WE KNOW?」だったのです
彼はもちろん日本人のエモトという人のことは知りませんでしたが、最終予定地のこのサムイに来て、始めてあの映画で紹介されていた私がここに滞在中であることを、リゾートのチラシ(8,9日ここで僕のセミナーがある)を見て知り、私を探し出して声を掛けてきたという訳です。映画を見たその翌日に、しかも全然関係の無い南の島で出会うなんて、もう驚き以外の何物でもありません。
前橋といえば僕が中学生の時に父親の転勤の関係で1年住んでいた所で僕のとても好きな町です。赤城山や利根川のそして美しい敷島公園の話で盛り上がり、又の再会を約して別れたしだいです。しかし大変な確率での出会いでしたが、最近僕にはこのようなシンクロニシティー現象での出会いというものが、とても多くなってきたようです。

12月31日に行われたパーティーにて 新旧美女二人と

あれ?手に持っているのは何?

サムイにはこんなところもありました

サムイ島にはかなり野良犬が多かった。でもみな大人しい。

タイの大仏様 何か愛嬌がある顔をしています

夫婦岩ならぬ爺婆岩の爺岩の方!
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