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2005年12月


28日 年末年始の休暇 .
27日 被災の跡を回る
26日 カオラックに行く
25日 プーケットに行く
24日 カマラヤで日本語をしゃべる人
23日 カマラヤの食事
22日 サムイ島 カマラヤ(3日目)
21日 サムイ滞在記(2)
20日 タイ サムイ島滞在記(1)


日記について


10月20日より、約2ヶ月も日記が滞ってしまいました。この間訪問してくださった方々には誠に申し訳ありませんでした。伏してお詫び申し上げます。何故2ヶ月も休んでしまったのか、理由は超多忙すぎたスケジュールを作ってしまったためで、さすがの私も少々ばてました。
そして、来年も凄いスケジュールが待っています。このままの形態では、もはやこのホームページを維持してゆくことは至難の業でしょう。
そこで考えました。これから日記はやめて、週報とさせていただきたいと思います。もちろん緊急のことや1日も早くお知らせしたい事があったらこの限りでは有りませんが。また写真の場合はそれほど手間がかからず送れますので、良い写真が撮れ次第、簡単な説明を付して、送ろうと思います。

 
         

12月28日(水) 年末年始の休暇

日本では通常明日から、1月4日まで会社はお休みです。私の会社IHMもそうです。この日記もIHMと関連会社の社員の協力によって毎日立ち上がっていますので、読者の皆様には申し訳ないのですが、この間お休みとさせていただきます。

次回は1月5日にアップとなります。さてその間私の血糖値との戦いはどうなっているでしょうか?全世界の糖尿病に悩む同士の皆さん、固唾を呑んでお待ち下さい。
では皆さん、来るべき年が、皆様にとって良い年となるよう、暖かいサムイからお祈りしております。


皆様、良いお年をお迎え下さい

愛・感謝    江本 勝


12月27日(火) 被災の跡を回る

昨夜の食事はセミナーの後と言うこともあり、妻からビール1本呑んでも良いというお許しが出ました。久しぶりのビールをゆっくりと美味しく頂きながら、ホテルの近くのシーフードレストランで、真奈美さんと3人で食事をしました。お客様は外国人ばかりです。

部屋に帰って恒例の血糖値を計ってみると、何と277に減っています。25日の夜は禁酒したのにも拘らず、367でしたから“やったぜ!!”です。やはり僕にはセミナーが一番の健康法のようです。それとも、適度の飲酒はかえって血糖値には良いのかも分かりません。(なーんちゃって、勝、甘いぞお前は)

それはともかく今日は4時50分の便でサムイに帰るのですが、それまで津波被災地の現場を見て回るスケジュールを真奈美さんが作ってくれていて、彼女とともにマレーシアから来たお友達のカップルと5人で、ひどかった地域を見て回りました。
実際に現場に来て見ると、あの時の津波のエネルギーがどれほど恐ろしいものであったかが偲ばれます。


カオラックの海岸で 波は椰子の木の枝のすぐ下まできたそうです


岸から500メートルぐらいも離れたところまで運ばれた漁船


同じく 700メートルまで


こちらは岸から1キロも離れたところまで運ばれた水上警察の船

おそらくこれらの船は将来の子孫のためにも、それぞれの地に永久保存されると思いますが、普段は穏やかで美しい海のそばに生きている時、とかく忘れがちな自然の脅威を忘れないためにも、津波記念館的なものの建設も大切なことで、それらの費用は、全世界の市民のドネーションによって賄われれば良いなと思います。

夜、7時ころカマラヤに帰館、みんながお帰りなさいと出迎えてくれました。もうすっかり家族の一員ような感じです。

今日の血糖値・・・357 はてさて、これはどうしたもんだろう。?

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12月26日(月)
 カオラックに行く

プーケットのホテルを朝の7時に出て私たちは、湯川さんがチャーターしたタクシーで、カオラックに向かいました。カオラックはプーケットの市内から1時間半ほど離れたところにあるビーチで、今回の津波で、1000人とも、2000人とも言われる犠牲者が出たところです。


丁度1年前にあの津波の大被害があったカオラックのビーチ。
何事も無かったように、観光客が海水浴を楽しんでいました。


カオラックの海岸で。
ここで津波に呑まれた方々に慰霊の花が手向けられていました

多くの犠牲者の中には、外国人が多く、それも、北欧の人たちが多かったことで知られています。現地に来て、サムイでもプーケットでもまたこのカオラックでも北欧の観光客が沢山来ているのをこの目で見ることが出来ました。長い冬、日照時間の少ないかの地の人々が、暖かい陽光を求めてこの地に来るようになったことは、とてもよく理解できます。

結果としてそのカオラックのビーチに集まってくれた人は、残念ながら20名ほどの人でしかありませんでした。やはり、インフォメーションが上手に行き届かなかったようです。それにこの日は、このあたり数箇所の浜辺で国家的規模の慰霊式典が行われていましたので、無理からぬことでもあります。しかし、湯川さんは“人数は問題ではありません。私は事前にインターネットで沢山の人に呼びかけ、とても素晴らしい反応を頂きました。例えば、日本からは七田チャイルドアカデミー450教室3000名の生徒さんが今この瞬間一緒に参加してくれています。日本人が今立ち上がらなければいけないと思うのです。だから私はこの企画を立てたのです。”と、めげません。なかなかポジティブな考え方を持つ女性で感動しました。

それで、私は心をこめて次のようにセレモニーをご指導させていただきました。
“今日は私の師である、塩谷信男先生が考案されたスートラ「大断言」を、皆さんで唱和しましょう。大断言とは、次のようなものです。

「宇宙の無限の力が凝り凝って、まことの大和の御代が成り力成った。」
つまり、宇宙にはエーテルあるいはフリーエネルギー帯と言われるゾーンがあります。そこに意識を集中して共鳴現象を得ることが出来れば、それは、本当の調和のエネルギーを我々の目の前、この海にそれを齎してくれるのです。言葉が過去形になっているのは、純粋にそのことを信じますという決意の表現です。

さあ、これからこれをみんなで10回唱和しましょう。“


浜辺で行われた慰霊の儀式。大断言を水に託しました。

人数は少なかったけれど、皆さん耳慣れない日本語であるのに、私の後を大きな声でフォローしてくれました。そして次に“お水さん有難う”“お水さん愛しています“”お水さん尊敬しています“を日本語、英語、タイ語、中国語、マレーシア語、スウェーデン語(たまたま観光客のスウェーデン人夫妻が参加してくれました。)でみんなで唱和し、最後に”喜びの歌“をみんなでハミングして終わったのです。

そのあとすぐに私の記念セミナーが始まり、私は2時間かけて「人はいずこより来て、何のためにここに存在し、死んだらどこに行くのか」というテーマについて、朗々と語ったのでした。


たまたま、取材のために来ていたアニタさんが私のセミナーに参加してくれました。
バンコクの国連で緑化関係事業に携わっているとのことで、話が合いました。

セミナーの参加者は40名ほどでありましたけれど、この時に、この場所で、この話が出来たことは、私にとってとても宿命的なことであったと思います。湯川さんのおかげです。真奈美さん有難う。   


真奈美さんのマレーシアの友人たちとお別れのランチを食べたレストランで

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12月25日(日) プーケットに行く

妻と二人で、初めてのアルコール抜きの慎ましやかなクリスマスイブを過ごした私は、389という裏切られたような血糖値の高さにもめげず、午後の便でプーケットまで飛び立ちました。かねてからの約束、プーケットで津波の犠牲者のための慰霊セミナー参加のためです。

サムイ空港から40分あまりでプーケットにつきましたが、途中上空からでも、あーあれは、津波の傷跡だな、と思わせるところが、何箇所か見受けられました。また、海岸線に生えている背の高い椰子の木が海の水に反射してできるシルエットが、まるで蜃気楼のような人柱に見えて、しかもそれが長い長い海岸線にずっと続くものですから、私は思わず機上から目を瞑り手を合わせ、犠牲者の霊よ安かれと、祈らせていただきました。

プーケット空港には今回の企画立案者の湯川真奈美さんが出迎えてくれました。


この方が湯川真奈美さんです

彼女は、マレーシア七田教育スクールに勤めておられる方で、昨年12月の津波の災害を見て、自分も絶対何かをしなくてはならないと思われて、今回の企画を一人で立ち上げられたのです。

組織も何も持たない彼女のこの企画は、無謀とも言えるものでした。彼女は、被災地プーケットに住んでいるわけではないし、タイ語が喋れるわけでもありません。マレーシアにきてからもわずか1年余り、知人友人の数もまだまだ少なかったはずです。

しかし、私は彼女の情熱に打たれて、参加を約束しました。先にも書いたようにダライラマ法王のご縁でサムイ島に来る事を決めたばかりの時でも有ったからです。
空港で会った彼女の第1印象は、“あれ、こんなに若い人だったのか”というものでした。聞けばまだ30そこそこの独身ということです。しかも話しぶりなど、とつとつとしていて、いわゆる仕切り屋というタイプではまったく有りません。正直ちょっと心配になりました。

空港からは、まっすぐにプーケット国立病院へタクシーで直行です。そこで病院関係者のためのセミナーが予定されているからです。
プーケットはサムイと比べるとはるかに都会でした。もう暗くなっていましたから、海岸線を走っているのかどうかも分からずでしたが、町に入ってゆくと沢山の人、車、バイクそして電飾看板で普通の町となんら変わることはありません。病院も国立病院と名のつくところですので、まことに立派な近代的なビルでありました。

ですから、なんとなく拍子抜けの感がありましたが、気を取り直して、いつもの様に話し始めました。でも、自分としては最後まで盛り上がらずに、よい出来ではありませんでした。通訳にも問題があったのかもしれないのですが、まったく笑いが出てこないのです。タイ人の国民性なのかもしれません。

来場者の中に日本人の僧侶の方が、弟子を5人ほど連れてお見えになっていました。


プーケットの国立病院内のホールで行われた、
チャリティーセミナーには在タイ35年となる
プラミツオ師が弟子を連れて参加してくれました。

後で聞いたところによると、名前をミツオさんと仰って岩手県雫石の出身の方で、もうこちらに来てから35年も経つとのことです。今回の湯川さんの企画をいろいろと応援してくれたようで、明日のカオラックの現場でのセレモニーにも参加してくれるとのこと、有難いことです。

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12月24日(土) カマラヤで日本語をしゃべる人

世界を歩いていていつも思うことは、日本人女性のたくましさです。こんなところにも日本人がいるのかと、いつも驚かされます。そしてそれは絶対的に女性なのです。このバンコクから南へ600キロ離れた秘島と言われる、サムイ島にもそのたくましい日本女性はいました。


唯一の日本人社員の伊原木綿子さん。
彼女は13年前に、このサムイに来て現地の方と結婚、
現在は2児の母で頑張っておられます

伊原木綿子さんは13年前にバンコクに来て、そこで一人のタイ人と恋に落ち結婚、ご主人様のふるさとであるこのサムイ島に来ました。そして二人の子供さんに恵まれて、子育て真っ最中のところにこのリゾートがオープンするに当たって、関係者から声を掛けられて就職することになったのです。それ以来、子育てはご主人様の担当となったようです。

もちろん、経営者側としては日本からも沢山のお客様が来ること見込んでの採用です。確かに、一人でも日本人がいるのといないのとでは、訪れる立場の者からしたら大違いで、私たちも彼女がいるおかげで、コミュニケーションについては何不自由なく過ごすことが出来ています。

日本語をしゃべるといえば、ここにはもう一人不思議な人がいます。
ハワードさんといって、彼は日本語がペラペラだけでなく、中国語も堪能なのです。


右が本リゾートの投資家の一人であるハワードさん 
日本語、中国が堪能なユニークなアメリカ人彼とは何かが始まりそうだ

どうやら他にもスペイン語、ポルトガル語も堪能なようで、語学が大変お好き、そしてその才能もある方のようです、
彼はこの施設の従業員ではなく、出資者の一人ということですが、独身であるがゆえに、特に仕事が無いときは、好きなこのサムイ島で過ごすようにしているとの事です。

私は1月8日、9日にここで宿泊者、および地元の方々のためのセミナーを行うのですが、今日はそのためのリハーサルを行いました。彼に僕の通訳をしてもらう予定だからです。
そのあと僕と彼とで、来るべき中国セミナーに際して注意すべきことを語り合いました。中国に何度も行っている彼は、なかなかの中国事情の理解者です。きっと、これからその方面での良きパートナーとなることでしょう。

今日の血糖値・・・389
ここに来て最高値!? 今日も禁酒をしたのに。フィットネス歩行も40分に延長したのに。 何故?

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12月23日(金) カマラヤの食事

ここに来て3日たって、ようやく此処がどの様な所であるのかが分かってきました。一口に言えば高級療養施設、エグゼクティブ・リフレッシュメント・リゾートというところでしょうか。

まだすべての施設が出来上がっているわけでは無いので、軽々には言えませんが、何か身体や心に問題があって、それを何とか癒したい、癒されたいと願っている方々向けの、新しいタイプの高級リゾートといった感じです。

例えば食事は、フランス人のエリック(ERIC)さんがシェフとして着任されていますが、彼の作る料理は、有機野菜をオリーブオイルやカレーソースを中心として調理されたものばかりで、フランス料理特有のバター、チーズ、ミルク、クリーム系の味のものはまったくありません。一見ミルクのように思えるものもありますが、それはココナツミルクで、フランス料理が苦手な私でも、美味しく頂くことが出来ます。


自分の菜園のそばで 
フランス人シェフのエリック(ERIC)さん

野菜が中心のメニューですが、魚料理や鳥料理もあります。しかし、今までのところ、豚肉や牛肉料理はまだお目にかかったことがありません。ですからどちらかというと、ハーフベジタリアン向けの食事といえます。

毎日シェフのアレックさんが、中庭に栽培中のさまざまな野菜類が成長してゆく様を、目を細めるようにして見つめているのに気がつきます。きっと、彼は有機野菜を主としての新しい栄養療法を考えているのだと思います。
 
今日の血糖値・・・357
(えー!うそー! 今日は禁酒したのに、なぜー?)


ベランダで執筆中の私


野菜がたっぷり入った味噌スープ 案外いける


焼きそばとカレー どうしてもこれらを注文してしまう


当リゾートの受付嬢たち


このような、セッションが毎日のようにリゾート内で行われています

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12月22日(木) サムイ島 カマラヤ(3日目)

カマラヤという名前は、リゾートの名称ですがその意味はタイ語で蓮の花という意味だそうです。ですから、フロントの脇には蓮の花が咲く小さな池が有ります。


蓮の花の池です

ダライラマ法王のご縁で来ることになったこのリゾートだから当然のことといえば当然ですが、全体的にチベット文化をイメージしたコンセプトで設計されています。社長のジョンさん自身がヒマラヤ地区に25年もかかわりを持っていた方で、彼の夢の実現の場でもあるようです。オープンしてまだ一月足らずで、建設途中のところが多いのですが、おそらく今後何年間も掛けて、関係者の方々のユートピアが、具現化されていくのでしょう。

そのような施設の、ほとんど最初の滞在客としてここにいるということは、けっして偶然ではなく、私も今後彼らとともに、ここがユートピア化して行く事を、陰になり、日向になりながら見守ってゆくことになるのでしょう。

さて僕の今日のメニューは、昨日と同じ手足のマッサージと、フィットネスでした。


マッサージ風景


マッサージのあとも常にリラックスを演出してくれます


ただ黙々と歩く・・・

フィットネスはまだ歩行マシーンだけですが、昨日より5分伸ばして35分としました。これから1日5分づつ長くしてゆくつもりです。

しかし今日は夕食を30分ほど離れた街の中華料理店でとることが予定されていました。最初にこのご縁を作ってくれたイアンさんとクリスティーナご夫妻、そしてそのお友達との会食です。


クリスティーナさんは何と、22歳の若奥様、イアンは当初30歳ぐらいと思っていましたが、
47歳ということです。でも、とてもお似合いのカップルです。

そして幸か不幸か、この中華料理なかなかの美味でありました。おまけによせばよいのに、地元のおいしいシンガービールの小瓶を2本も飲んでしまいました。(先生との約束の許容内でしたが)果たして、今日の血糖値はいかに?

結果は、308と出ました。昨日より3ポイントアップです。
妻との約束により、明日はまた禁酒日です。 トホホ・・・

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12月21日(水) サムイ滞在記(2)

昨夜は夜遅くに着いたので、周りは何も見えずに、したがって朝目が覚めるのが楽しみでした。しかし、残念ながらお天気があまり良くなく、ロッジからの風景はご覧のようにどんよりとした、海の景観です。


部屋からの眺め

また、ロッジの全体、お部屋の中は写真のようになっていて、なかなか快適な環境です。


カマラヤのロッジ風景


ロッジの中の様子

レストランに行くのには坂がきついので、私のような老人には歩いてはちょっと大変なのですが、どこに行くのにもカートを呼べばすぐに来てくれますので、問題はありません。


いつもこのようにバギーが迎えに来てくれます

さて早速午前中、入所身体検査と、担当医によるガイダンスがありました。私の担当医はカロリーナさんという素敵な女医さんで、このリゾートの総責任者のジョンさんの奥様でもあります。彼女は東洋医学を勉強していて、そのために中国や日本にも何度か行っておられるとのことです。


僕の担当のカロリーナ先生 彼女はメキシコ出身のアメリカ人です。

彼女からこのリゾートのいろいろな施設やコースのことを聞いた後、私には、次のようなメニューが提案されました。
・ 食事指導(飲酒含む)禁酒日 水曜・日曜 普段 焼酎お湯割り2杯
・ 消化器系気マッサージ
・ ホメオパシー
・ 伝統的ハンドマッサージ  毎日
・ 同 フットマッサージ   毎日
・ 気功療法
・ フィットネス 歩行機 30分毎日

そして4時から、早速手足のマッサージ1時間が若い女性ヒーラー二人によって同時に行われました。軽くオイルを塗って丁寧に手足をすべるような感じでマッサージしてくれるその感触は、まるで竜宮城にいる浦島太郎のような夢心地でした。
そのあと、フィットネスで予定どうり30分の歩行を汗流しながら終えた後、レストランで夕食ですが、これもフランス人シェフのマリックさんが、好みを聞いてくれてのパーソナルな料理を作ってくれたお陰で、今年になって初めてのアルコール抜きの夕食を何のストレスも無く、過ごすことが出来ました。
そしてその結果、今日の血糖値は305となったのです。一気に83ポイントも減少です。わーい、明日もこの調子で頑張るぞ!!

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12月20日(火) タイ サムイ島滞在記(1)

今日の朝10時40分のANAで成田を発って、バンコクに着いたのが、現地時間(2時間の時差がある)の4時過ぎ、さらに2時間の待ち合わせで、サムイ島へ。滞在先のカマラヤリゾートに着いたのは、我が家を出てから16時間後の、現地時間9時過ぎでした。
タイといえばアメリカなどよりは距離的に近いのですが、意外と時間がかかり、少々疲れての現地入りでした。

何故今回ここに来たのか、ここに来年の1月14日までの26日間滞在するわけですが、その経緯をまず、皆さんに説明しなければなりません。

ご存知のように、私は今年の9月11日にダライラマ法王に会うため米国・サンバレーに出かけました。その出会いのチャンスを作ってくれたのが不思議な経済アナリスト(?)ソコロフさんでした。(9月11日の日記参照下さい

その時に、ソコロフさんのご家族の方々ともお会いすることが出来ました。その中にソコロフさんの前の奥さんの従兄弟であるイアンさんがいました。イアンさんは若く美しいオランダとインドネシアのハーフの奥様と一緒でしたが、芸術家で、立派な美術本を製作出版したばかりということで、それがゆえに、私の結晶写真集についても大変関心を持ってくれているということでした。というわけですから私と彼とはすぐに打ち解け、いろいろな話を始めました。(彼は30歳ぐらいに見えましたが実は47歳だと後でお聞きしてびっくりしました)

その話の中で、彼は現在、仲間と一緒にタイのサムイ島というところに、リゾートを開発中であること、彼はそのための、リーフレット製作などの宣伝あるいはマーケッティングを担当しているとのことでした。そしてそのリゾートは代替医療を中心としたリフレッシェメントを売り物に設計されており、11月中旬にオープンするとのことです。すでに立派なパンフが出来ており、なかなか魅力的な設計です。

私はサムイという地名は始めて聞きました。しかしそのロケーションが津波のあったあのプーケットの東側の海にある島だということを知って、大変興味を感じました。そのとき既に、12月26日の被災1周年にプーケットで企画されている慰霊セレモニーにぜひ参加をしてくれないかとの依頼を受けていてどうしようかなと、思案中の時だったからです。

それに加えて、私はもともと今回の年末年始は、この1年間酷使した体を癒すため、そして新たなる本の執筆のためにスケジュールを取ろうと考えていました。当初は来年の1月から2月に掛けてまたハワイセミナーが予定されていますので、ハワイに行こうかと思っていたのですが、これだけ条件(ダライラマ法王のご縁・新しい代替医療中心のリゾートがオープンする・参加したいと思っていたプーケット慰霊セレモニー会場から飛行機で30分の位置・自分の身体が限界に来ていることを知っており、何とかしなければいけないと思っていた)が揃えば、もう決まったようなものです。私はその場で彼に滞在の予約を申し入れたのです。

というわけで、私の持病である糖尿病の症状を緩和するための、いろいろな戦いが明日から始まります。そのための目安はあくまでも血糖値を下げることです。
先ほど、妻が怖い顔をしながら計ってくれたその値はなんと、388も有りました。

うん、そうね、やはりここに来てよかったね。お前、明日から本気で頑張れよ!!世界の糖尿病患者のためにもな。

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2005年12月6日
孫と娘と一緒に日本に帰国 機内では孫はとても良い子でした。


2005年12月2日
アムステルダムの娘の家にて 孫が「水からの伝言」子供版に見入る


2005年12月2日
セミナーには沢山人が来てくれました。(アムス)


2005年12月2日
昨年の11月のウオーターフォーライフ フェスティバルに参加してくれたマーヤーナさんが、僕のセミナーに駆けつけてくれて、美しい唄を歌ってくれました。


2005年11月25日
メキシコ グアダルハラで通訳をしてくれた安本誠さんと
3人が着ているTシャツは、地元のNPO団体、レインフォーレストを守る会の
守護神ジャガーをデザインしたものです。


2005年10月27日
楽しみにしていたチャールストンは、今は劇場で見ることが出来ません。
主催者のラスとそのお友達が少し踊ってくれました。



2005年10月27日
チャールストンはアメリカでも最も歴史を感じさせる町です。



2005年10月25日
ボルティモアのホテルで行われたNBCフィラデルフィア局のインタビュー
インタビューの映像はこちらhttp://www.nbc10.com/news/5455548/detail.html



2005年10月25日
ボルティモアセミナーの様子


2005年10月20日
サンフランシスコ会場にて

 
 
 
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