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■ 2004年9月28日(火)・29日(水) リヒテンシュタインにて

フランクフルト講演の後、妻は一足先に日本に帰りましたが、私と尾竹君はハドーライフヨーロッパのあるリヒテンシュタインに赴きました。其処には二組のお客様のアポイントメントがあり、28日にはチューリッヒからネーナさんというドイツの有名な歌手のマネージャーが来ることになっており、29日はウイーンから8月3日付の日記でご紹介した、例のアクアベラ構想のブリジッダさんが来ることになっていました。

ほぼヨーロッパの中心に位置するリヒテンシュタインに研究所を出したことによって、いろいろな皆さんと直接にお会いすることが出来るようになり、私や会社の守備範囲、攻撃範囲がだいぶ増えました。ただし、仕事が増えすぎてしまって、それらをこなしてゆくためには、圧倒的に人材不足で、それをどうやって補充してゆくのかが、そしていかに良い人材に巡り合えるかが、大変重要なポイントになってきています。

しかし、今回はまず一人良い人材に恵まれました。以前からお付き合いをいただいている東京大学ドイツ文化教授の中澤英雄先生のご紹介で、北ドイツでドイツ人のご主人と3人の子供さんたちと住まわれている、平北ヨルダン雪子さんという方とご縁を頂き、私どもの会社ハドーライフヨーロッパに来ていただくことが決まったのです。


早速ドイツ語でのインタビューを通訳してくれている雪子さん(中央)

今まではラスモス君一人で何もかもやってもらっていたので、シッチャカメッチャカの状態でしたが、これでもちろんドイツ語が話せるセクレタリーの登場で、日本とのコミュニケーションもきちんと取れるようになり、やっと会社らしくなってきました。これを受けて一緒に同行した尾竹君が同社の副社長として月のうち半分はこちらに来て、仕事を推進してくれることになりました。来月以降の彼の活躍が本欄においてもご報告できるようになると思います。

さらに今回、撮影スタッフの応募者もあって、面接をしましたが、スロベニアからわざわざ車で来た、熱心なとてもよさそうな青年で、日本からまた佐藤君に来てもらって彼を指導してもらおうということになりました。これでアッという間に一人から5人体制となり、リヒテンシュタインの研究所はようやく本格的に体制が整い、出発オーライということになりました。

ネーナさんのマネージャーさんとの話、ブリジッタさんとの話も従ってスムースに進み、10月の末にまた来ていただくことになりました。どのような話であるかは、その時を待って報告させていただきたいと思います。


ブリジッダさん(左)は、ウイーンからお友達5人と
ワンちゃん1匹で来ました。お食事をご馳走になりました。


今回のドイツ・ツアーの最大の目的はEMの比嘉先生とのジョイントセミナーでした。昨年のヨーロッパ・ツアーの際、誰からともなく、比嘉先生が来てくれたら良いのになあ、と言う声があがり、それにいち早く僕が反応して先生に声を掛けたところ、快くこれを受けてくださり、今年の9月にオランダでEMの国際会議があるから、その後どうでしょうかということで、25日ベルリン、26日フランクフルトで二人のセミナーが行われることになったのです。

僕と比嘉先生との関係は船井幸雄先生のご著書「本物の発見」で二人が同時に紹介されたことから始まりますから、もう10年以上前のことです。その後、富山県魚津市でEMの団体主催のイベントで二人でセミナーをやったり、私が主催している月刊「波動」にご登場いただいたり、また奥様節子さんの主宰するEM女性会議の講師に私が呼ばれたりで、それほどベッタリと言う感じではありませんでしたが、心の底では大変固い絆で結ばれているような、そんな感じで可愛がってもらってきました。やはり船井先生が最初に本物と推薦してくれた同期生的感覚もあるかもしれません。

今回の2回のセミナーを通じて私は、EM技術がその後大変な勢いで世界に日本に、それこそ地球を救う大革命技術として進展していることを勉強させていただきました。例えば先生はもう既に何度も北朝鮮にEM技術指導のため訪問されているということです。そしてその技術の普及により、慢性化していた米作の不作による飢饉が、解消されていったというのです。そういえば先月北朝鮮は、食糧援助より経済技術力援助を国連に求める、というニュースがどこかで、小さくですが流れていました。

思えば、北朝鮮が従来の無頼者外交と決別せんとして、日本の小泉総理との会談に臨んだのも、すなわち問答無用のドンパチ外交から近代的な話し合い外交の道へと次元アップしたのも、その裏にはEMによる農業革命があり、貧すれば鈍する路線から脱却し得たのではないかと、私には思えてきます。

このほかにもコスタリカやキューバなど、その経済基本を農業に求める国々での実績と将来展望の明るさなどを見る時、また日本の多くの自治体が既にEM技術を受け入れ、ごみ処理や水の浄化に多大なる貢献をされている実態を見させていただいて、日本が生んだこの素晴らしい技術を我々はもっと誇ってよいし、もっと国家的規模で世界の平和貢献のための技術として、例えば海外青年協力隊事業などに組み入れてゆくべきものと私は思いました。

然るに相変わらず国は動いていないし、マスコミもこれを余り取り上げてはおりません。良いものは良いと何故日本人は素直にこれを評価し応援しようとしないのか、相変わらず悪い意味での島国根性は直らないようです。私の技術も比嘉先生の技術も、海外での評価の方が日本国内のそれよりはるかに高いものがあります。きっと日本の体質の中には新しい革新的なものの芽は摘んでしまうべきだという、いわゆるお役人世界の風習がまだまだ根強く残っているのでしょう。

ところでセミナーの方ですが、ベルリン、フランクフルト共に大成功に終わりました。ベルリンではドイツの国民的人気歌手ネーナさんも一人のお客様として来てくださりました。また二人の進行役もミヒャエルさんというこれまた人気女優が勤めてくださりました。日本で言えば、八代亜紀さんがお客様としてきて、壇ふみさんが司会をしてくれたような感じです。


ベルリン・セミナーで司会をしてくださったミヒャエルさんと


フランクフルトで来場者の方が持参してくれたご飯実験
ドイツ語での「有難う」と「馬鹿野郎」の実験です。
8ヶ月経ったものだそうです。


フランクフルト講演の締めくくりは有終の美で終わりました。

またフランクフルトでは比嘉先生が実に楽しそうに話をされ、今後は波動とEMが合体してゆけば、もっと素晴らしい効果、結果が出るだろうとお話をしてくれました。私も本当にそう思います。ですから先生のお話が済んだ後、私は先生の手をとり、是非今後は何なりとお使い下さいと協力を申し入れ、とりあえず愛感謝の結晶シールを貼ったEMX効果について調査研究し、その結果を世界に普及すると言うことで了解をいただきました。


比嘉先生ご夫妻とともに

12年前、船井幸雄先生が「本物」と言ってくれた二人は、フランクフルトの会場で、地球と人類を救うために協力してゆこうと固く握手を交わしたのでした。


■ 2004年9月24日(金) ポツダム見学

23日の午後、ケムニッツからラスモスの運転する車で3時間ほどでベルリンに入りました。待望の比嘉先生とのジョイントセミナーは25日ですから、今日は久しぶりのオフです。ベルリン・セミナーの主催者であるピノーさんの案内でポツダム会議のあったポツダムに連れて行ってもらいました。

最初はまだ東西冷戦が厳しかった頃、互いの捕虜交換が行われたと言う橋に行きました。一人ひとりを橋の中央までそれぞれの憲兵が連れて行き、そこで捕虜交換が行われたというのです。つい30年ほど前にそんなことが行われていたとは思えない、周囲は一面の緑と水に囲まれた平和公園のようなところにそれはありました。


ピノーさんとともに

それからポツダム宮に行って、チャーチル、スターリン、トルーマンの会談が行われたと言う会議室や、その他当時の米英ソの駆け引きが行われた模様をピノーさんから興味深く解説してもらいながら、いろいろな部屋を見て回り、大学時代に国際関係論を学んだものとして、大変興味深く見学させていただきました。

その後に近くあったフリードリッヒ2世の別荘宮殿サンスーシーに行きました。フリードリッヒ2世はドイツ人にとっての英雄で、文武両道に長けた、いわゆるドイツ人魂の鏡とされている人だそうで、それを熱く語るピノーさんの言を借りれば、歌舞音曲を好み、とくにフルート演奏は名人級で、哲学者ボルティールを尊敬する哲学者でもあり、もちろん後世大王と言われた人ですから、辣腕の王でもあったそうです。その中で面白かったのは、とても時間厳守を尊ぶ人だったようで、まるで日本のどこかの武将のようにも思える人のようでした。そしてピノーさんが最後に苦々しく言っていた言葉“そんな素晴らしいドイツ人魂は、戦後60年、もうどこかに消えてしまいました。”に、我が日本との共時性を感じたのでした。頑張れ日本!頑張れドイツ!


フリードリッヒ2世の別荘宮殿サンスーシー


フルートのパフォーマンスをしているおじさんと共に

たまにこうやって史跡を観光するのも必要なことだとつくづく思いました。これからはそうするぞ!!


■ 2004年9月23日(木) 国連セミナーの反響

ドイツ巡業中にニューヨークに来てくれたサンフランシスコの鯉沼さんから、楽しいメールが来ました。またキャンベル恭子さんからの国連でのセミナーでのその後の反響メールなどあわせてご紹介したいと思います。

どうぞお読み下さい。

*****

キャンベル恭子さんからのメール

江本 勝 様、江本 和子 様

国連での素晴らしい先生の講演、そしてご一緒にミュージカルを見るなど、楽しいひと時をすごさせていただきましてから、あっという間に一週間以上が過ぎてしまいました。

国連の厳しいセキュリティー・チェックには驚かされましたね。

1993年、約11年ほど前にドローレス先生と国連に行きました時は、簡単に誰でもダグ・ハマーショルドさんを記念するメディテーション・ルームに入って、瞑想ができました。

今回は、国連の職員でもあり先生の講演の主催者でもあったスザンナさんにお願いして、メディテーション・ルームに入らせていただけましたことは、幸運だったと思いました。先生、奥様、先生の会社の優秀なスタッフ、尾竹さん、時松さん、そしてNY 在住でスザンナさんのお手伝いをされていた康子さんたちと、手をつなぎ輪になって、世界人類に、そしてお水に、愛と感謝を送り、地球の平和をお祈りすることが出来、大変うれしく感激いたしました。

講演の日は、ペルーのシャーマン、サンシャイン・イーグルさんによるお水への感謝の儀式から始まったことも、以前インカを訪ねたことがある私にとっては、興味深いことでした。ステージの回り中を、スプリング・ウォーターのボトルで囲んであったのも印象的でした。

先生の講演への参加は今回で5回目になりますが、スライドも毎回違っていて、いつも新鮮で、その度ごとに新しいことを学ばせていただき感謝しております。宇宙の仕組みと人間の体の仕組みとの波動の関係などを図にして共通点を指摘していただき、波動の素晴らしさをますます深く感じさせていただきました。 

講演の途中で、セキュリティーの監督さんがやってきて、オーディトリアムの両側通路の階段に腰掛けていた人々、後ろのほうで立ってみていた人達に、外に出るようにとせかし、全員にチケットを見せるよう一人一人調べたあげく、チケットのない人はすぐ座席を立つようにと、厳しいチェックがあったのには、目を丸くして驚きました。先生も何事かと驚かれたことと思います。

後で聞きましたら、国連の職員さんたちが江本先生の講演があると聞きつけ、我も我もと参加され、ハマーショールド記念ホールは180人近くしかない座席でしたので、定員が50人以上もオーバーしていたようでした。

無理に帰されてしまった方々にはお気の毒なことをしましたが、私は本の販売をお手伝いしていたので、本を買っていただき、納得していただくという一場面もありました。

先生のドレミの歌は素晴らしく、変な中断があったにも関わらず、会場の方々がみんな一斉に先生と一緒に歌いだし、ピアノの伴奏まで加わり、皆の心がひとつに溶け合って、またまた感動いたしました。

この国連から世界に向けて、出席されていた各国の大使の方々とともに、愛と感謝の波動を、今ドレミの歌とともに発信していると思っただけでも、喜びが押し寄せてきました。またまたスタンディング・オベーションになりましたね。あのすばらしい波動は世界中に届いたことと思います。あの場に皆様とご一緒できましたことを、心から幸せに思いました。

余談になりますが、先生の通訳をしておられた龍村和子先生にも、私が昔NY にすんでいたとき以来、30年振りにお目にかかれましたが、活き活きとテキパキと張り切っておられる姿がお若く、びっくりしました。

そして、今年の4月にSFの講演に、わざわざ日本から出席されていた葉坂さんと、デンバーまで飛行機でご一緒し、すっかりお友達になりましたが、その葉坂さんに思いがけず再会できました。しかも葉坂さんは、IHMの社長室長になられたと伺い、驚くとともに大変素晴らしいことと今後の彼の活躍が楽しみです。

その他にも、もと国連の職員であられ、日本人社会に大変貢献された天川さんに、お目にかかれ、気の治療家新倉勝美先生にも数ヶ月振りでお目にかかれた嬉しいひと時もいただきました。

新倉先生は元空手の世界チャンピオンだったこともある方ですが、ミシガン在住で合気道、空手の道場を持つ傍ら、気によるヒーリングでたくさんのがん患者を救っておられます。1997年から2003年まで、毎月一回、土、日にかけてミシガンからSFに来られ、気のワークショップをされていました。私は、そのコーディネートを6年間させていただきながら、治療のお手伝いをさせていただいておりましたが、がんの方が治ったり、小児麻痺の子供が歩けるようになったり、何人かの方々の最期をみとったりと、たくさんの感動のドラマがありました。

新倉先生は、かねがね、お水のボトルに、病気の方の名前と病名を書き、癒しの気の波動を入れた水を作って、患者さんに飲ませておられました。2002年だったと思います、ついに、江本先生の事務所を訪ねられ、先生はお留守だったそうですが、癒しの気を入れた水と、がんの治療専門の気を入れたお水の結晶写真を取られました。前にお見せしたものです。新倉先生ご自身すばらしい結晶写真が取れびっくりされたそうです。患者さんはこの結晶写真を見て納得されるので、貴重な気の証拠写真が出来たと喜んでおられました。

実は新倉先生も、今年の3月にスザンナさんたちより招待され、同じ場所で気のワークショップをされたので、江本先生の講演に招待され、ミシガンからおいでになりました。先生にご紹介したかったのですが、あの夜は先生はサイン攻めで大忙しでいらしたのでので、新倉先生が遠慮されたため、奥様にだけご紹介しました。

今回本を買って下さった方の中で、何人かのヒーラーの方々から、「ヒーリングのお水の結晶写真はありますか?」と同じ質問を受け、新倉先生の結晶写真を見るように話させていただきました。

また、私自身まだ行ったことのなかった9/11のツインタワーの跡地“グランド.ゼロ”に、奥様の和子さん、時松さんとご一緒し、世界人類のために犠牲となられ、我々にたくさんの学びを下さった勇敢なる魂たちに、現場でもう一度愛と感謝を送り、追悼の祈りを捧げることが出来ました。

犠牲者の方々の使命、教訓を無駄にしないよう、私たち自身が自分をしっかり見つめ、この痛みを受け止め、世界人類を癒せるよう自分をも癒し、ハートを開き愛の心を持って人類がひとつにならなくては、と心引き締まる思いとともに今の現実を実感いたしました。

娘の親しい友人、大学の先輩も、この犠牲者の中におりました。NY に行くたび、娘達が何度も泊めていただいていたのです。

先生の講演、お水の結晶写真を通して、人と人との繋がり、大自然との繋がり、しいては宇宙との繋がりの大切さを認識し、良い波動とのバランスが、いかに人類や地球の癒しに繋がっているかということをもう一度、心に刻み込むことが出来ましたことは、ありがたいことと感謝申し上げます。

あの映画“What The Bleep Do We Know!?”のように、世界中の人々が、先生の結晶写真を見ることがきっかけとなって自分を深く見つめ、愛し、感謝し、自分が誰であるのかを見つけるという革命が起こり、人生の大転換、地球の癒しの大転換が起きそうですね。

きっと、フランクフルト、ベルリンなどドイツでの講演も、人々のハートを愛と感謝の気持ちで一杯にし、皆様の心をとろけさせられたことと思います。世界人類平和のために…。

お忙しい先生なのに、すっかり長くなってしまい、申し訳ございませんでした。

無限なる愛と無限なる感謝とともに
鯉沼征代

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ナンシーさんからキャンベル恭子さんへのメール

キャンベル恭子様

何と美しい晩だったことでしょう。ありがとう、ありがとう、ありがとう。江本博士は本当に素晴らしいです―私たちは皆、彼を好きになりました。何という宝物でしょう!

愛とハグとともに
ナンシー

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NY講演を主催してくださったキャンベル恭子さんからのメール

江本先生、御奥様

長旅、大変お疲れになったことでしょう。 NYでは、素晴らしい講演を有難うございました。オノ・ヨーコさんのアシスタントのアマンダさんから、以下に添付するメールが来ましたので、転送いたします。

アマンダさんに、警備の人が失礼をしたのではないかと心配しておりましたが、とてもよかったと喜んでいただけたようで、安心いたしております。

ついでながら、講演会の行われた9月17日は、Dag Hammarskjold がお亡くなりになった記念日だったそうです。Dag Hammarskjold は第2番目の国連事務総長だった方で、1961年9月17日に亡くなられたのだそうです。国連に問い合わせて確認しましたので、間違いない情報です。

なんだか、これもすごいシンクロだとお思いになりませんか?

キャンベル恭子

オノ・ヨーコさんのアシスタントのアマンダさんから、キャンベル恭子さんからのメール

親愛なる恭子さん

江本博士の講演に、私をゲストとして招いてくださってありがとうございます。私は「警備上の問題」にとても驚きましたが、それはなぜかと言いますと、博士の講演を聞きたいと思っている人々が余りにもたくさん集まっていたからです。このことは決して悪いことではありません!

私は江本博士の講演の最初の一時間の間は、ずっと聞いておりました。その後は、また別の約束があったので、その場を離れなければなりませんでした。私は講演をとても楽しみました。博士が講演で話されたテーマはいずれもとても魅力的なものでしたし、彼はとても素晴らしいスピリットを持っていて、博士の講演を聞くことは、大きな喜びのあふれる経験となりました。彼と直接会うことができたならば、とても名誉なことだったと思います。でも多分次の機会があることでしょう。あなたと(短い時間でも)お会いできたこともまた、私にとって喜びでした。

どうもありがとう。今回いろいろと経験させて頂いたことを、是非私はヨーコさんと分かち合いたいと思います。

敬具
アマンダ・キーリー

追伸:私は「私たちは一体全体何を知っているというの」という映画を今週末に見に行きます。

キャンベル恭子さんから、オノ・ヨーコさんのアシスタントのアマンダさんへのメール

親愛なるアマンダさん

私はゲートのところであなたとお会いすることができて、嬉しかったです。その後、再びあなたにお会いすることができなくて、申し訳なく思っています。

私は警備の人々が雪崩れ込んでくる前に、あなたが席を確保できたことを望むばかりです。彼らがあなたに対して失礼なことをしなかったのならばいいのですが。

こうしたちょっと当惑してしまうような状況にも関わらず、その後のエネルギーはとても素晴らしいものでした。たくさんの人々がこのイベントを開催した私たちに感謝してくれました。

私は江本博士に代わって、美しい花を贈ってくださったオノさんに感謝したいと思います。贈ってくださった花は、イベントの中で江本博士に贈呈されました。そして博士はその花をピアノの上に置きました(あなたがそのシーンを見ていなかった時のために記しました)。

もしあなたが、江本博士の講演を聞くことができるほどに、長く会場にいらっしゃることができたのであれば、あなたが講演を楽しまれたことを心から願っております。

敬具
キャンベル恭子

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スー・ペレチャティーさんからキャンベル恭子さんへのメール

親愛なる恭子様

歴史上の記憶すべき瞬間の一部となる機会を下さって深く感謝しております。江本博士のプレゼンテーションをお聞きすることができて、とても光栄だと思っております。私たち、国連のグループは、あの晩、この惑星を癒すために、とてもたくさんのことをすることが出来たと信じています。

あなたにたくさんの祝福があることを願っています。
スー・ペレチャティー

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ケヴィン・シュッカーさんからキャンベル恭子さんへのメール

こんにちは、キャンベルさん。とても素晴らしいイベントを開催してくれてありがとう。私はスーザン・フリードマンさんに会いました。そして今になって私は、彼女の隣に立っていたのがあなたであると知りました。

それはとても素敵な夕方でしたし、この美しい水に関する知識をさらに深めてくれるようなインスピレーションを私たちに与えてくれました。

この晩のおかげで、私は何か啓示を得たような思いがしますし、そのことについて、あなたや江本さんや、そしてスーザンと話をしてみたいと思っています。

私たちは、このテーマに関して、60分間のドキュメンタリーを作りたいと思っています。そしてそれを私たちのケーブルTVのショーや、インターネット上の放送局で上映したいと思っています。

この信じられないような知識ほど、今まで私を興奮させてくれるようなテーマは他にはありません。

私は今晩ちょっと気が変になっているのかしらと思うほどです。あるいは何かが私の所にやってきて、この情報を使って惑星に変化をもたらす方法について教えてくれているのかも知れません。

私はあなたに再度感謝します。そして次回お会いした時には、私たちがよりよくお互いを理解していることを願っています。

愛とともに
ケヴィン・シュッカー


■ 2004年9月22日(水) ケムニッツ・セミナー

ケムニッツは旧東ドイツ圏内で、3年前のドレスデン以来、旧東ドイツの都市で講演をするのは2回目です。ドレスデンに行った時は、町に入った時から何か違うなと感じました。町並みがちょっと違うし、やはり道路などの公共施設的なものがよく整備されていない感じで、西と比べると豊かさの上において、差があるように思いました。

しかし今回のケムニッツではそれほどの違和感を持ちませんでした。やはり3年経って、元東ドイツの都市も経済的にだいぶ西のほうに追いついたのでしょうか、それともケムニッツという町だけの現象なのでしょうか、まだ分かりません。ただし、この町でのセミナー入場料は、15ユーロ(約2000円)で、西側の町の20ユーロ〜25ユーロと比べると安く、これは3年前も同じでしたから、まだそれほど余裕はないのかもしれません。

にもかかわらず、町の真ん中の劇場で行われたセミナーは600人の定員一杯となりました。3年前のドレスデンの時も500人ほどの人が来てくれましたが、旧東ドイツ圏内でも「水からの伝言」が人から人へと広まっているようで、大変嬉しく思いました。ドレスデンと違っていたのは、本が良く売れたことです。ドレスデンの時は本が買えないため、チケットやプログラムにサインを求める人がほとんどであったことを覚えています。

今回のセミナーを主催してくれたのは、地元でコンサルティング会社を立派に経営されているハインツさんという方で、利益を度外視して、地元の人のために私をこの町に呼んだと言うことです。確かにいくら600人入ったとしても、私の講演料をだいぶ弾んでくれましたから、いろいろな経費を差し引きすれば完全な赤字です。彼は2年ほど前の私のウイーンでの講演会に参加して“目から鱗”となり、いつかは自分の町に呼ぶんだと決意したそうです。


主催者のハインツさんご夫妻と共に

このセミナーでは、私は英語で話し、それをラスモス君がドイツ語に通訳してくれました。彼にとっては初めてのことでしたが、さすがに何回も僕の話を聞いていますし、僕の下手な英語に日頃から慣れているので、とても上手に通訳してくれて、お客様も大満足されたようです。

終わった後、ハインツさんから来年の春、ライプチッヒとドレスデンでの講演会の依頼を受け、私はもちろん二つ返事でこれを受けました。来月もポーランド、ルーマニアなどに参りますが、ロシアや中国からもご招待を受けておりますので、来年は旧東側諸国の旅も多くなりそうです。


本がたくさん売れました


■ 2004年9月21日(火) ニュルンベルグ・セミナー

ニュルンブルグはドイツのほぼ中央にある町で、ナチ戦犯を裁いた例の「ニュルンブルグ裁判」が行われた町として有名です。ほかにもおもちゃの町として有名で、特にクリスマスの時の町全体の飾り付けが大変美しいらしく、オランダに住んでいる娘は何年か前のクリスマスの時に其処を訪れたほどです。

ところが私たちは今回は全く時間がなく、どこも町を見ることが出来ませんでした。せっかく歴史的なところに来たのに、ただセミナーだけと言うのはどうかと思うのですが、主催者の方は何とか考えてほしいものです。

昨日と今日のセミナーの通訳は旧姓バッカ―さんと言って以前に何度か私のセミナーの通訳をしてくれた人でした。「水は答えを知っている」のドイツ語版の翻訳者でもあります。しかしこの2年間ほど産休のため仕事を休んでおられ、久しぶりのお仕事復帰の最初に、私の通訳の仕事を選ばれたようで張り切ってやってくれました。

彼女は昔九州大学で研究助手をしていたことがあり、日本の風土学を勉強する傍ら、生徒にドイツ語を教えていたようです。その時の生徒から彼女に付けられたあだ名はバッカーさんをもじったものでしたから、今度結婚して違う名前になったことを、日本に行ったときのためには良かったわ、と笑いながら言っていました。

そんな彼女との関係ですから、今夜の講演も大変スムースに運び、400人を超える人達が、大変喜んでくださり、私は新刊本にサインする時間を講演後1時間も必要としたのでした。


講演会場の様子


途中、車窓から撮影した風力発電タワー
妻はなぜかこれが好きでこの写真ばかり撮っていた。
それしてもドイツはこの装置が多い。


■ 2004年9月20日(月) レーゲンスブルグ・セミナー

18日の土曜日、ビッグイベントを終えて私たちはブロードウエイを散歩、数あるミュージカルの中から“シカゴ”を選んで観劇としゃれ込みました。そしてそのあと仲間と別れて、私と妻と尾竹君は夜の便でミュンヘンまでひとっ飛び。ミュンヘン空港にはレーゲンスブルグとニュルンブルグのセミナー主催者マニュエラさんがニコニコした可愛い笑顔で私たちを迎えてくれました。

19日は久しぶりの休暇、ドナウ川、美しい町並みを散策して明日から始まるドイツ国内セミナーへの英気を養いました。しかしいつも思うことですが、ドイツのローカルな都市は本当にきれいで可愛い町ばかりです。


レーゲンスブルグにて(1)


レーゲンスブルグにて(2)


レーゲンスブルグにて(3)


レーゲンスブルグにて(4)

20日の午後コンラッドさん(コーハ出版社長)がミュンヘンから駆けつけて、刷り上ったばかりの新しい本を持ってきてくれました。以前お招きを受けたドイツの人気テレビ番組“フリーゲショー”のフリーゲさんとの共著の本が今日からのセミナーで販売できるように準備され、間に合ったのです。ハードカバーでA4判のなかなか立派な本です。

夕方には休暇のため家族と奥さんの里であるデンマークに行っていたラスモス君が合流しました。さあ、これでまた新しいセミナーツアーの始まりです。

セミナーは夜8時から郊外にある大学の講堂で行われました。500人の定員がほぼ一杯となるくらいの人が集まってくれ、皆さん大変喜んでくれました。3年前に違う町で主催をしたことのあるマニュエラさんも、内容がさらに濃くかつ楽しく分かりやすくなったと、びっくりされていました。幸先の良いスタートであったようです。


セミナー会場の様子


■ 2004年9月17日(金)−2 ニューヨーク国連セミナー(その2)

社長室秘書課です。

皆様のご参考のために、江本勝所長の国連セミナーに同行した時松さん、濱野さんからのメッセージを以下に添付します。まず、時松さんのメッセージです。

皆様こんにちは。

IHMレゾナンス波動フロンティア研究所の時松陽介です!9月17日にニューヨーク国連本部でおこなわれた江本所長の特別講演を聴講するためNYに行ってきました。

私は以前に(かなり昔ですが・・・)江本所長から「私の子供の頃の夢は国連事務総長になることだったんだよ〜ん!」と聞かされていたので、今回の国連からの講演依頼の話を江本所長から伺ったときに、「そ・それはすばらしい!ドリームカムトゥルーだ!!」と思い、そんな江本会長のことを一緒に現地に行って祝福したい、応援したいよねってスッと思って、同行させてもらうことにしました。

それからNYについてからホテルで一杯飲みながら伺った話では、所長は前回5月にNYに来たときにエンパイア・ステート・ビルのてっぺんに行って、NYの高層ビルを一望しながら国連ビルをみつけると、「よし!今度は国連で話をするぞ!!」を心に誓ったそうなのです!そして、半年もしないうちに今回の講演依頼が舞い込んできたのでした。チャンチャン!

素晴らしいですね!まさに『想いは具現化する!』って感じですね。きっと今の江本所長の活動は、見えない世界からも強烈にサポートしされているのでしょうね!

講演も素晴らしかったですよ。聴講するすべての方が江本所長の想いに共鳴して集まってきた人たちのようでした。みんな江本所長の講演を笑いながら、共感しながら、歌いながら、踊りながら楽しそうに聞き入っていました。

みんなに祝福されながら講演活動を続ける海外での江本所長の姿を垣間見ることが出来て
今回のNY出張は私にとってとっても意義のあるものでした。

波動の輪・愛と感謝の輪・世界平和の輪はますます広がっていくことでしょう!我々も江本所長と一緒になって、調子に乗って、踊りながら世界に向かって『ウィアーライズ!』次元上昇していきましょう!!

それから私個人の話ですが、「NYでは是非ともヤンキースの松井選手に会いたいな〜〜あわせて神様!」とおもっていたら、な・な・なんと!!松井選手のほうから私に会いに来てくれたのです!インクレディブル!ワンダホー!(笑)

ホテルのロビーで人を待っていて、ふと振り返るとそこに松井選手が立っていました!(超驚きです)どきどきしながら写真撮影と握手をお願いしたところ快くOKしてくれました。以下がその証拠写真です!

たまたま松井選手のご両親が、私の泊まっていたホテルに宿泊されていたようでデー・ゲーム終了後、ご両親を迎えにホテルのロビーに迎えに来ていたようです。その間わずか5分ほど。たまたまロビーにいたのは私と江本先生の奥様だけでした。3日間のNY滞在で松井選手に偶然バッタリ出会う確率は・・・・う〜んミラクル!!『想いは具現化する』んだって、またまた実感しました。松井選手大好きなわたしとしては 超感動体験アンビリーバボーでした!!

以上ホッカホカの感動を皆様にシェアさせていただきま〜す♪ご意見ご感想お待ちしておりまず(笑)

皆様がますますハッピーでありますようにお祈りいたします。最後までお読み戴きありがとうございました!

ではまた!

IHMレゾナンス 波動フロンティア研究所 代表 時松 陽介

*****

そして以下が濱野さんからのメッセージです。

皆々様

遅れましたが、私のUN報告いたします。

今回、16日から20日まで、江本所長のUN講演の応援に行ってまいりました。今回は会社の業務ではなく、個人的に”自費”で行ってまいりました。”お金持ちでいいね!”なんて言われてますが、決してそんなことはなく、一部は借金して渡航しました。私にとって今回の社長のUN講演は”お金以上のもの”だったのです。ただ、会社の業務を2日ほど休み止めてしまったのは反省するとともに、その間サポートしてくれたスタッフには感謝いたします。

まず、1日目、NYに着いた時、所長から厚い歓待を受けました。おそらく、8年間のIHM勤務の中で「最高の笑顔」を見せていただいたような気がします。

2日目は昼に主催者側からの昼食会に招かれ、食事しました。所長をサポートしてきてくれたアメリカの皆さんが駆けつけてくれた会ともいえます。皆さんの発言、顔を見ていると所長のアメリカでの”成功と安心”を肌で感じました。

夕刻からとうとうUNでの講演です。厳しいセキュリティーチェックを受け、一般見学では入れないセクションにどんどん入っていきます。その緊張の中、颯爽と廊下を歩いていく、所長はちょっぴりカッコよかったです。少々長い国連内の道のりを歩いている間に関係者や所長のファンに出くわし、何か大名行列のようになり、目的地、ダグハマーショルド図書館の講堂に到着しました。約
180名ほど入れる、ドーム系の講堂です。

所長の講演以外にクリスタルボールを使った音楽、子供、大人の合唱団の歌などがありました。そしていよいよ所長の講演です。180名ほどの小さい講堂は見る見るうちに埋まり、通路に多くの人が座ってあふれる状態になり、国連のセキュリティースタッフが来て、整理しの為、会が一時中断したほどです。

こうした中で始まった講演ですが、今までとは違った講演でした。非常に砕けたといいましょうか、生き生きしたといいましょうか、日本ではあまり見かけない所長の抑揚振りに少々驚きながらもうれしく感じていました。会場からも笑いと静けさ(集中)の繰り返しで、時間がどんどん過ぎていくそんな感じでした。

会が終わると同時にスタンディングオベーションです。会場の中、壇上で所長が両手を挙げガッツポーズ。会場がいったいになった瞬間でした。

以上が今回のUN講演の詳細です。

今回私がお金ではなく、純粋に参加したいと思ったのは今回のUN講演が私なりに思う、「集大成」だと感じたからです。所長の提案する”夢”に賛同し、入社して8年、今まで多くのIHMスタッフ、インストラクター、HCC、LTCの皆さんと接し、ともに語らい、泣き、愚痴り、喜び、楽しんできました。所長が国連にて講演するということは失礼ながら所長だけの想いではなく、関係者全員が願った、あるいは願っていた想いでした。時松さんからの報告にもあるように「想いは実現する」という現象は時間的にかかったにせよ、実現したのです。それを私は皆の代表として見に行き、応援したかったというのが本音です。

メル・ギブソン主演の映画で「サイン」というのがあります。何気ない日常生活で体験した言葉、行動、また、不幸や不可解に思っていいた事象が実はある事柄が起こるために招いた「サイン」だったというお話です。いろいろな事象がつながり、今回のUN講演で平和の講演を行うということに結論を得た場所に居れたことを非常に喜び、感謝いたします。

所長ありがとうございました、お疲れ様でした。皆さんありがとう、やったね、お疲れ様でした。

波動インストラクター21期生・濱野より


■ 2004年9月17日(金)−1 ニューヨーク国連セミナー

国連ダグ・ハマーショルド記念講堂でのセミナーは、この日6時過ぎから予定通り行われました。私が登壇したのは7時20分頃で、その前に平和を願う水をモチーフにした踊りや歌、クリスタル・ボウルの演奏、子供たちの合唱やバイオリン演奏などが次から次へとありました。私は不思議に落ち着いてそれらの演奏や踊りを楽しみました。


ノー・モア・ガン


左端の女性は、主催者の国連スタッフのための
リクリエーション部会風水グループ代表スザーナさん


国連スタッフのためのリクリエーション部会風水グループ
主催による「イマジン:平和のための水コンサート」のチラシ

「江本博士他、特別ゲストが出演します」と書いてあります。


花は東京の社員から贈られてきた花で、
高そうでびっくり 有難う

私の番が来ました。その時会場(184席)は満席状態となり、両サイドの階段のところまでそれを椅子代わりにして座る人で一杯となってしまいました。どうやら国連のスタッフ以外の人がほとんどのようです。そして私が話を始めようとしたとき、“ちょっと待て”がかかりました。誰が呼んだのか、あるいはいつものことなのか、セキュリティーが来たのです。しかも4人も。

彼らは階段をふさいでいる人を立ち上がらせ、入場整理券をもっていない人をどんどんと退去させ始めました。場内はちょっとした混乱におちいりましたが、仕方のないことです。日本でも消防法を遵守する施設は同じ事をしますから。

出鼻をくじかれた感じの私は、しかし気を取り直して話し始めました。別に気負うことも無くいつもの調子で、この日のために用意したプログラムに従って、江本節のご披露です。

この日のために用意した内容とは次のようなものです。

  1. 水伝の普及実績の紹介
  2. 例の映画の予告編紹介
  3. 何故このようなブームになったのだろうかという考察
  4. 結晶写真の撮り方(ビデオ)
  5. 振動の4原則(音叉を用いて)
  6. この4年間における海外での講演実績
  7. その中で大きな反響を得た結晶写真の数々
    1. 水に音楽を聞かせる(ビデオ)
    2. 水に写真を見せる
    3. 水に文字を見せる
  8. 水からの伝言NO3から、自分を愛することの大切さの説明…自爆テロがいかに非人類的か
  9. 同じく宗教について言及(タブーへの挑戦)…水からの教え
  10. 水に対する祈りの効果
    1. 琵琶湖・藤原湖での実験
    2. 子供たちの祈りの実験(ビデオ)
  11. 愛感謝の意味
  12. 地球に愛と感謝を送ろう
  13. イスラエルとリヒテンシュタインでのセレモニーの報告
  14. 冒涜という字の説明…水は世界人類に平等であるもの
  15. 国際NPO「国際“Water for Life”協会」説明と協力のお願い

1時間半と言う限られた時間の中でこれだけのことをお話しするのは大変なことでした。しかもセキュリティー騒ぎで10分ほど削られてしまいましたから。でも、通訳をしていただいた龍村仁監督のお姉さま和子さんとの相性が良く(名通訳)、すっかりこちらも楽しませていただきながら話を終えさせていただきました。そしてその時誰からともなく立ち上がって、結果として全員の方からスタンディング・オべーションを受けた時、思わず「ヤッタゾー」と言いながらこぶしを心の中で振り上げている勝少年がそこにいました。


感激のスタンデイング・オべーション

結果として、どこかの国の大使が来てくれたのかどうかも分かりませんし、果たしてスタッフの方もどれほどお見えになっていたかもわかりません。おそらく当初期待していた国連関係の方のためのセミナーと言うよりも、いつもやっている一般市民向けのセミナーが、たまたまその会場が国連の中になった、と言うことであったと認識しています。

でも場の理論から言えば、その国連の中という場が重要なのです。おりしも通常総会会期中で世界中から大使クラスの方が既に来ていたり、あるいは来る予定になっています。わが国の小泉総理も確か4日後にここに来て、常任安全保障理事国加盟の意思を述べる演説をされると聞いております。

しかし、最近は国連の本来の役割である、平和を求めての話し合いの場が形骸化空洞化しているやに聞いていますし、そう思います。そんな中でポジティブな平和を求める純粋な波動を私は国連の中に残してきたんだ、発してきたんだと言う自負があります。きっと何らかの形でその答えはそのうち得ることが出来るでしょう。

前述したように日本から駆けつけてくれた時松・濱野両君が同行記を書いてくれました。次に紹介させていただきますので、お楽しみ下さい。特に時松君の松井選手との邂逅のところは面白いですよ。


■ 2004年9月16日(木) 国連ビルにて

昨日15日、シカゴからニューヨークまでは2時間半余りのフライトで、夕方例の北野ホテルに到着してチェックインをしているところに、単身私の応援に駆けつけてくれたIHMレゾナンスの時松陽介君が、ちょうど東京から到着しました。彼は元IHMの社員で私の強い勧めで2年前に独立し、今は世田谷の経堂で波動相談の仕事をしている中々の快男児です(ところが、36歳になった今でも独身・僕にはどうも理解が出来ません)。その彼が、私が国連でセミナーをやると聞いて、是非行って所長に直接声援を送りたいと急に言い出し、来ることになったのです。これで、私、妻、IHMトレーディングの尾竹君(シカゴセミナーから同道していました)、時松君と4人のチームになりました。

そして、今日何と新たに7人の人が加わりました。つい1週間前、社長室長の葉坂君が“私も行きます!!”と言ってきたのですが、部下の濱野君を連れて本当にやってきたのです。共に自費でです。4月のサンフランシスコ講演の主催者、鯉沼さんも来てくださいました。更に、4月のLAセミナーで僕の通訳をしてくれた坂井奈津子さんと5月のミネソタセミナーの主催者グループのテリーさん、ダイアンさん、ルースさんが加わって、合計11人となりました。真に嬉しく心強い限りとなりました。

セミナー前日の今日、私たちは会場の下見と国連スタッフとの顔合わせのために、国連本部に参りました。早速、おのぼりさんぶりを発揮して、記念写真をパチパチと撮りました。


国連ビルを背景に、夫婦で記念写真。


向かって左から2番目が鯉沼さん、
5番目がキャンベル恭子さん。


グラウンド・ゼロにて。


向かって手前左端は、ソアーズの坂井さん。


国連ビルの前にて。
向かって左から、濱野、葉坂、私、時松、尾竹。

そしていよいよ中に入ろうとしたのですが、これがなかなか大変でした。迎えに来てくれた国連のスタッフで今回のイベントの主催者であるスザーナさんも吃驚するぐらいいろいろと手続きがあって、私たちは完全に中に入るのに30分ほどを必要としました。ちょうど本会議が始まったばかりで、そのセキュリティーの方式は中で働くスタッフにも知らされることなく、毎日のように変わっているようです。

明日の会場であるダグ・ハマーショルド講堂は思ったよりも小さく全部で180席ほどの階段教室でした。その会場が人で一杯になっている状況をイメージして、憧れの国連を後にしたのでした。


■ 2004年9月14日(火) シカゴ・セミナー

結果的に820名の定員一杯となったサンタフェセミナーでは、実は僕は英語で講演を行いました。もちろんアシストの方についてもらったのですが、これが案外評判が良くて最後にはスタンディング・オべーションを頂き、ちょっと英語での講演に自信を持つことが出来ました。これで今回は連続3回のスタンディング・オベーションです。


暗い劇場の中でのスタンディングオベーション

今日のシカゴは僕にとって初めての地です。何度もトランジットのために降り立ってはいたのですが、実際に街に出たことはありませんでした。シカゴの主催者は、ハワードさんと言う精神世界系の本屋さんです。仏教徒でもある可愛い奥様と共に立派な書店をもう15年も経営され、いろいろな作家を招いての講演会もこなしておられるそうで、ついこの前はキャロライン・メイスさん(セブンチャクラ・・サンマーク出版の著者)を招いたそうです。


精神世界系の本屋を経営しているハワードさんとともに

さて、この会場ですが何と収容可能2,000名と言う大劇場。といっても建てられたのが1920年でアルカポネの時代、しかも戦後はしばらく閉められていて、ホームレスの格好の宿とつい最近までなっていたようで、真に薄暗くお化けでも出てきそうな感じの劇場でした。そして当日集まったのが250名、箱の割にはとても少ない人数でしたが、何せ場内に明かりがほとんどないので、それほど違和感を感じずに、セミナーは順調に進行して行きました。

この日僕の通訳をしてくれたのは、FM松山でパーソナリティーをしていた阿部寛子さんという方で、2年半前からミシガン大学の大学院に入学、卒業して今はフリーのジャーナリストをされています。シカゴホワイトソックスの高津投手担当の記者をもされていて、何でも体験してやろうという意欲的なお嬢さんでした。当然私との波動も会って、今日もまた最後をスタンディングオベーションで終わることが出来ました。


向かって右側が通訳の右側が阿部寛子さん。
上の看板をご注目下さい。

初めて訪れたシカゴは、ギャングの町という暗いイメージは全くなく、緑も多く、そして何よりもあのパワーオブテンの最初の場面、ミシガン湖に面した町でもあったためか、私にはとても良い町に感じられました。

主催者のハワードさんは、“例の映画の上映がもう少し早ければもっと人を集めることが出来ただろうに残念だった。来年4月にはまた是非来て欲しい。今度はこの劇場を一杯にして見せるから”と仰っていましたが、もしそうなったら、2階席の床が抜けてしまうのではないかと、僕は真剣に心配したのでした。


■ 2004年9月12日(日) サンタフェ・セミナー

今日は写真日記です。820名入る会場がすぐにソールドアウトになり、200名もの人がキャンセル待ちという事態になってしまいました。映画の影響恐るべし!!


開場を待つ人の列


同じく切符を求める人


僕のセミナーが開かれた劇場の前で・・・売り切れと書かれている


ネイティブの人の水の踊り


ハワイからも応援が


■ 2004年9月11日(土) サンタフェにて前夜祭

以前からサンタフェでの講演会の話は何度かありましたが、今回地元のRainmakingというNPO団体のお招きで実現しました。私は10年近く前から一度サンタフェを訪れてみたいものだと思っていましたから、大変楽しみに当地にやってきました。実は、ここに20年近く前に出来たサンタフェ中央研究所のシステムは、諸科学が融合したそれになっていて、現在私が掲げている6角形構造の研究所構想のモデルとなっているところなのです。

サンタフェはニューメキシコ州の州都で、海抜2000メートルほどの高原都市です。州都といっても余り高いビルディングは無く、砂漠の中のいつも水不足の問題を抱えている、ネイティブの方が数多く住んでおられる町で、精神世界系の方も沢山おられると聞きました。

私のセミナーは12日ですが、11日には9・11事件から3周年を追悼してのパネルディスカッションが開かれ、私がメイン・スピーカーとして他の二人のパネリストと共に招かれました。そして、3年前にあの恐ろしい事件をテレビのライブで見てしまった時から、私は水による平和運動家として立ち上がったこと、その具体的な仕事としてWater for Life Foundationを設立したことなどをお話させて頂きました。


パネル・ディスカッション参加のメンバーとともに

その夜私は思いがけない人に沢山お会いすることができて、びっくりし感動しました。まず、セドナのホピ族のエルダー、バーナンさんご夫婦、同じくセドナのジミーさんとハミルトン夫妻、彼らは7月25日のリヒテンシュタインの愛・感謝のイベントにも参加してくれていました。そして最高にびっくりし感動したことは、レベッカさんが来てくれてその元気な笑顔を再び見ることが出来たことです。

レベッカさんは今から4年前私を、当時彼女が経営していたドルフィンスクール(バハマ諸島の小さな島ビニミ島にある)に招いてくれた人です。私は妻と息子を連れて、1週間ほどそこで過ごし、イルカさんとも初めて一緒に泳ぎカリブの海を楽しみました。しかしそれから2年ぐらいたって、レベッカさんが重い病気になり、再起できないかもしれないという噂を聞いて、本当に心配していたのです。

その彼女が急に私の目の前に現れて、”Do you remember me?”というのです。私はわが目を疑いましたが、”Rebecka?” とすぐに想いだしました。そしてすぐに少し離れた所にいた妻に“お母さん、お母さん大変だよ。レベッカさんが来てくれたよ”と叫びました。二人は抱き合って喜んだのは言うまでもありません。もう会えないと思っていた人に会えるということは、こんなに素敵なことなんだ、と私たちは深く思ったのでした。やはり長生きはすべきものです。


■ 2004年9月10日(金) ロサンゼルス・セミナー

ロサンゼルスのセミナーの主催者は、ウエストハリウッドにある精神世界系の大手書店“ボディーツリー”で、会場はそのすぐ側にある“MOA岡田茂吉記念講堂”で行われました。きっとその書店とMOAとは関係が深いのでしょう。なぜならば、通訳をしてくれたロン・加藤さんはMOAの職員との事でしたから。

その加藤さんの通訳は大変素晴らしいものがありました。実はセミナーの始まる2時間前に滞在先のホテルで、地元のTV局の取材があり、その時も加藤さんが通訳をしてくれていて、私との波長がとてもあっていることを確認していましたから、7時から行われた2時間余りのセミナーの間、私は全く聴衆がアメリカ人であることを意識せずに話をすることが出来たのです。

外国においてセミナーをする時、いつも問題になるのは通訳の方の出来不出来です。それぞれの国の主催者は当然日本語を知りませんし、プロの日本語の通訳の方がいない地域もありますし、ただ日本人だからというだけで通訳を選ばれることもあります。ですから時には自分が英語で喋った方がよかったかなと思う時もあったりします。しかし今日の加藤さんは、とっても素晴らしかった。なんと言っても、波動が大好きで、私の過去の本をほとんど読んでいらしたこと、そしてアメリカ生まれの2世であること、これほど理想的な通訳の方にはなかなか巡り合えないものです。

ロサンゼルスにももちろん例の映画のウエーブは来ていました。この日来場された250名の方のほとんどは、あの映画から来られた方々でした。相当前から前売り券は売切れてしまい、もう少し大きな会場を用意しておけば良かったと、担当者の方は言っておられました。そう言えばアラスカ・アンカレッジの会場にもわざわざサンフランシスコから見えた女性がいました。もちろん泊りがけです。彼女は、ロサンゼルスに行きたかったのだけど、切符が売切れてしまい、アラスカまで来ました、と私に言っていました。

そんな背景の中で行われた私のセミナーは、自分で言うのもなんですが、とても感動的に話を終始することが出来たように思います、確実に何かが動き始めているようです。そしてそれは9月12日のサンタフェセミナーで頂点に達したのです。


同じ日7時半からサミュエルさんとの会食が予定されていました。サミュエル・ゴールドウインJRさんはハリウッドの有名な映画会社のオーナーで、この方及びそのお父さんのことは、次のウエブサイトをご覧になってください。

 サミュエル・ゴールドウィンさん(お父さん)については以下参照
 http://www.geocities.co.jp/Hollywood/5710/s-goldwyn.html

 サミュエル・ゴールドウィンさん製作の映画一覧
 http://movie.goo.ne.jp/cast/3019/

 サミュエル・ゴールドウィン・ジュニアさん製作の映画一覧
 http://movie.goo.ne.jp/cast/22338/

何故サミュエルさんが私たちをディナーにご招待してくれたかというと、彼が例の“What The Bleep Do We Know!?”という映画の北米における配給元に最近なったからです。もともとこの映画はオレゴン州ポートランドの小さなフィルムメーカーが作った映画で、自主流通の作品でした。そのためそれを上映してくれる映画館は最初は1館で、それがその映画を見た人の口コミでその後広がっていったものです。おりしも行われた私の全米13都市に渡るセミナーも、それにとても貢献しました。私の本「水からの伝言」ととてもよく似た展開となっている映画です。そう、比喩すれば、自費出版で出した本の版権を、例えば講談社が買って全国の書店で販売し始めた、ということになるでしょう。

ハリウッドに近いメルローズ通りの洒落たレストランで、サミュエルさんは私たち(妻、息子)を、驚いたことにお一人で待ち受けてくれていました。つい2日前に78歳となったそうですが、とてもお若く好奇心旺盛な方でした。しかも飾らず凄くよい波動の持ち主で、私はたちまち彼が好きになってしまいました。やはり、あのような斬新な映画の権利を買うような方ですから、もともと私たちと同種の人間なのでしょう。

話が盛り上がった頃、全く知らない若い女性が、私がサミュエルさんにプレゼントした「水からの伝言 Vol.3」がテーブルの上においてあるのを見て、私たちに話しかけました。「失礼、何故この本がここにあるのですか?私はVol.1とVol.2は持っているのだけれど、Vol.3はまだどこにもおいていないので、探してたんですよ」と言うのです。もちろん私が著者であることを知って、彼女は大喜びして私に握手を求めました。

傍らにいたサミュエルさんがびっくりして、「あなたは、このハリウッドでも有名なんですね。もうスターなんだ」と言ってくれました。私も思わぬハプニングにびっくりし素直に喜びました。本当にこの本、すなわち水の伝播力は凄いものだと改めて感じさせられました。それプラス今度は映画です。一体全体これからどういう事になってしまうんでしょうか。息子の会社はすぐに超忙しくなりそうです。


サミュエル・ゴールドウインJRさんとともに
向かって左は息子の博正


■ 2004年9月9日(木)-1 波動パブリッシングUSA誕生!!

アンカレッジを深夜1時前に発って、シアトル経由でロサンゼルスに入ったのは9時を少し回ったところでした。空港には先発していた次男の博正が迎えに来ました。博正は19歳から7年間ロサンゼルスにいて、短大卒業後現地の旅行会社に就職しましたが、例の9・11事件の後、日本からの旅行客がめっきり減って会社をやめ、日本に帰ってきてIHMに入社、私の本の営業業務をしていました。

今年の4・5月にアメリカセミナーツアーに行った私は、アメリカでの書籍流通販売の仕事が必要と考え、妻と相談した結果、かってオランダにいる長女に“波動パブリッシングヨーロッパ”という会社を作って、ヨーロッパにおける「水からの伝言」の流通の仕事をしてもらって成功したように、今度は次男にアメリカで同じことをやってもらおうと考え、ロサンゼルスに“波動パブリッシングUSA”を作ることを決め、彼は先にその準備のためロスに来ていたのです。

午後からホーソンにあるその新しい事務所兼住居を下見し、その後ベンチュラの弁護士事務所を訪ね、会社設立のための手続きを無事終えました。明日銀行での口座開設が終われば、彼は何時からでも仕事が出来るようになりました。すなわち9月11日から会社はその業務を開始出来るのです。これもたまたまそうなっただけで、初めから9月11日を意識していたわけではありません。結果的に2004年9月11日が“Hado Publishing USA”の設立記念日となったのです。例の事件でアメリカを去らなければならなかった男が、3年後の同じ日に今度はその父の平和運動の使者としてアメリカに戻る、これまたなんとも言えず格好良いものがありますね。

頑張れ博正!!


■ 2004年9月8日(水) アラスカ・セミナー

今はアラスカ・アンカレッジまでの直行便がないため、僕たちはサンフランシスコ経由でアラスカに入りました。マイルを稼ぐためにスターアライアンス・グループを使わなければならないため、何とサンフランシスコで8時間も待ち合わせで、日本を出て都合26時間後にアンカレッジに着きました。観光会社は今でもダイレクト便をチャーター機としてシーズンの間用意しているようで、それを使えばたったの6時間半で行けるのですが、その場合は必ずチャーター便の往復利用に限られるので、どうしようもありません。

空港には今回の主催者のベネッサさんが夜の11時だというのに待ち受けてくれていました。彼女はヒーリング系のミュージシャンで、「水からの伝言」の愛読者の一人です。熱心に私のアラスカ行きを勧めてくださり、今回のセミナー開催のために骨折ってくれました。

翌日は早速近くのナショナル・フォーレストまでボランティア・スタッフの一人ジョゼッタさんが案内してくれました。もう氷河があっちこっちに迫って見える、"THIS IS ALASKA"という感じのところで、アンカレッジ市内から僅か1時間ぐらい南のところにそれはありました。

道中ジョゼッタさんからアラスカ人気質を聞きましたが、ここはとても保守的な人が多く、現政権を支持している人が圧倒的に多いそうです。それはやはり北の果ての州であるがゆえに、大きな軍事基地を3つも抱えているせいだということです。とあれば今日の僕のセミナーではあまり現政権に対して批判的なことは言えないと思い、それを彼女に尋ねました。ところが彼女は、「全然問題は無いわよ、あなたのセミナーに来る人は全く逆の立場の人だから」と言いました。やはり世界中どこでも同じ客層のようで、ほっとしました。

7時からアンカレッジ大学の構内で開かれたセミナーには、200人を超える人が来てくれて一杯となりました。通訳をやってくれた安藤さん(20年以上在アラスカの方で、トラベルエイジェントの社長さん)の話によれば、アンカレッジでこの種のセミナーでこんなに人が集まったことを見たことがない、と言うお話でした。

なお、アラスカ観光は今大変な穴場となっているようです。日本からは前述した直行便が30本以上も出ており、治安やテロの心配もありませんし、お勧めです。私が着いた夜も、アンカレッジ市内でオーロラが見られたそうです。ちょっと時期的に早く、誰かが江本さんが持ってきてくれたオーロラだとお世辞を言ってくれました。オーロラはこれからが良く見える時季なようですので、紅葉と氷河とオーロラの旅にお出かけになられたら良いと思います(安藤さんの会社の電話は907−258−4690です。お問い合わせ下さい)。

安藤さんの旅行会社のウエブサイト…http://hai4690.home.sprynet.com

さて、セミナーの方は地球の異常天候(この夏、アラスカも異常に暑かったそうです)の話と振動の関係などで大変盛り上がり、最後に例の国際NPO法人の話をして、皆さんの協力を求めたところ、全員総立ちで拍手をしてくださり、それに答えてくれました。またまた幸先の良い出足となりました。


■ 2004年9月6日(月) 国連で頑張ってきます!!

今日から9月30日までの24日間、また出張です。今回はアラスカ、ロサンゼルス、サンタフェ、シカゴ、ニューヨーク、レーゲンスブルグ、ニュールンブルグ、ケムニッツ、ベルリン、フランクフルトでのセミナーが待っています。

この中で特筆すべきことは、9月17日に国連ダグ・ハマーショルド記念ホールでセミナーが行われることです。国連のスタッフや各国大使向けの非公開セミナーですが、“Imagine Water for Peace Concert”というテーマで行われるイベントの主役は私で、6時から8時半まで開かれるこのコンサートで7時からの1時間半が私の講演に割り当てられています。

ちょうどその4日後には国連総会が始まり、わが国の小泉総理が常任理事国入りを求めての演説をすることが決まっていますが、そのことに対しての応援にもなるようにお話をしてこようと思っています。まるで私の初めての国連での講演が、日本の総理大臣の演説の露払い的役割になるような感じで、またまた神様の粋な計らいと感激をしているところです。

それともう一つ記念すべき講演スケジュールが組まれています。9月25日ベルリンで、26日フランクフルトで、EMの比嘉先生と二人でジョイント・セミナーが開かれるのです。おそらく両会場には1,000人を越す人が来てくれるでしょうが、水と微生物という根源的なテーマについて、外国で日本人二人だけで講演会をするなんて、とってもかっこよいと思いません?いよいよ、日本人が世界に羽ばたくべき時が来たのだと私は思います。

では行って参ります。皆さんご声援をお願いいたします。もちろんパソコン持参で参りますので、出来るだけ本欄でそれぞれの結果をご報告したいと思います。どうぞお楽しみに(私は皆さんの代表です)。


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