リヒテンシュタインから帰ってきてすっかり日記が滞ってしまって申し訳ありませんでした。会場に来てくれた人は素晴らしく有難かったのですが、22日東京、23日大阪、29日福岡とかねてより予定されていた当社主催のセミナーの動員が合計で450名しかなく、余りにもアメリカツアーとのギャップがあって落ち込んでいまして、失礼しました。まだまだ人間が出来ていないものですから。いかんですね。
さて今日は6月1日で、「水からの伝言」の発刊5周年の記念日です。38年前に亡くなった私の父の誕生日で、父と母との結婚記念日でもありますので、また気を取り戻して日記を書き続けることとします。そういえば父さん母さん今頃どうしているかな。僕が頑張っているのをちゃんと上から見てくれているかな?特に母さんには僕が30代のころ会社を倒産させてしまい、だいぶ心配かけてしまったからな。アーそう言えば母の命日も1月6日で、数字的には関係がある日なんだ…。とりあえず、合掌。
このように日記ですから、たまには私事も良いかもしれない。ではちょっと昔話を続けさせて頂きましょう。
私の父は明治41年の6月1日の生まれで愛知県の出身。母は明治42年1月7日の生まれで江戸っ子でした。二人は郵政省貯金局にいて、父は謹厳実直な模範局員。それに対して母は大正モガ(モダンガール)と言われたほどの、いわば不良少女で、タバコを吸いアルコールが大好きだったそうです(それを僕が受け継いでしまった)。ある日父は上司からそんな母の教育指導係を仰せつかまりました。そしてそれをまじめに遂行するうちにいつのまにか母のペースになって、上司の反対を押し切っての職場結婚という結果と相成ったのです。
そんな話を楽しそうに話してくれた母の顔が今でも懐かしく思い起こされます。二人は四人の子供に恵まれて、私は兄二人姉一人の末っ子でした。すぐ上の兄と三つ離れていたものですから、厳しかった父の鉄拳制裁は一度も受けたことがなく、とても自由にかつ可愛がられて育ちました。それが現在でも続いていて、人に可愛がられるのがとても好きで(誰でもそうでしょうが)、そんなことで余り打たれ強くないのかもしれません。
実は、この他にも両親のことについては沢山のエピソードがあるのですが、それはまた次の機会とさせていただきましょう。

















