Since August 25. 2003


10月 < 2003年11月 > 12月

11月30日(日)榎木孝明さん
11月29日(土)休養日
11月28日(金)有馬温泉
11月27日(木)出社第1日
11月24日(月)バルセロナ
11月23日(日)ロンドンワークショップ
11月22日(土)ロンドンセミナー
11月20日(木)ロンドン・デモ

11月18日以前の日記
++過去の日記一覧++



■ 2003年11月30日(日) 榎木孝明さん

午後1時に滝野川町の商工会の人がホテルまで車で迎えに来てくれて滝野川町に向かいました。滝野川町は加古川の上流にある町で、そこを流れる川の名前はあくまでも加古川です。ただ町の真ん中のあたりに景勝地があって、そこは岩場となっており、川が急に流れが速くなっています。そのさまが滝のようだということで町名の由来となったようです。(左写真:滝野川公園にて)
 今回私が呼ばれた理由は商工会の35周年記念事業のうちの環境セミナーということです。実は私たちも2週間前の11月16日、ドイツで結婚35周年記念日を迎えたばかりなものですから、それをおはなしして元気いっぱいに環境と水というテーマで2時間お話させていただきました。
 帰りは新幹線の姫路駅まで送ってくれることになりました。しかし途中道が混んで、予定していた“のぞみ”に乗ることができず、次の列車で行くことになりました。それが幸いしました。“こだま”で新神戸まで行って次の“のぞみ”に乗り換えるべく待合室に行くとそこに俳優の榎木孝明さんがいたのです。“やあ、お久しぶりです。”ということで約3年ぶりの再会です。(右写真:榎木孝明さんと)
 実は榎木さんと私はそう頻繁にお会いしているわけではないのですが、その歴史は古いのです。最初にお会いしたのは五反田の古いほうのオフィスでしたからもう12年ぐらい前のことです。そのご榎木さんはいつも私の研究の動向について気にしてくださり、『水からの伝言』が出たときなどは、当時、読売新聞に連載中であったエッセイに紹介してくださいました。メジャーな日本のマスコミで紹介された初めてのケースでした。
 今度お会いして妻が素敵なカレンダーをいただきました。私のオフィスは隅田川べりの柳橋にあるのですが、そこあたりにもよく撮影や、絵を書きにこられているということで、隅田川にちなむ橋のスケッチ集のカレンダーです。(左写真:榎木さんのカレンダー)それを見て驚きました。少しは絵心のわかる自分のつもりですが、以前より大変お上手になられたと思うのです。特に“水”をあらわす“青”の色の使い方が鮮やかで、清々しくまさに榎木孝明さん的な感じなのです。
 そしてもう一つ吃驚したことは、立派な榎木孝明美術館が大分県に出来ていたのです。来年大分のほうでセミナーがありますので、そのときに是非よってこようと思っています。いつあっても、素晴らしい波動の人でした。

■ 2003年11月29日(土) 休養日

今日はそれこそ何もせず、1日ホテルの部屋で休養させていただきました。朝からずーっと雨でしたし、最近ちょっと働きすぎでしたから。報告事項は1つだけ・・・有馬温泉のお料理は最高だ。ほかの旅館の味は知らないけれど、多分どこもすごく美味しいのだろう。だって食い倒れの町の奥座敷だもの。関東人の方、1度は訪れて見ましょう。

■ 2003年11月28日(金) 有馬温泉

28日は神戸市民大学のセミナーのため、神戸へ、今年の前期にも神戸ではお話をさせていただいたのですが、好評だったのでしょう、若杉さんというもう25年以上もこの大学の舵取りをされている女史から声がかかって、妻と一緒に朝9時前の新幹線に乗りました。前回は1人だったのですが今回は30日にも同じ兵庫県の滝野川町というところで、セミナーにお呼ばれしている関係で、宿泊先を有馬温泉にしようということで、温泉好きの妻がもちろん付いてきたのです。
 セミナーを終えて私たちは有馬温泉に向かいました。若杉さんと事務局長の岩崎さん、それと神戸にお住まいの『月刊HADO』の編集長成影さんも参加してくれて、往年の美女(失礼!)4人に囲まれての、大名旅行、まるで太閤さんのような気分で昔その太閤さんが愛でた、日本最古の温泉に初めて行ったのです。
 テレビのコマーシャルでしか見たことのなかった有馬温泉の印象は、まず狭いなということでした。そして坂が多いこと、道が細いこと、駐車場がないこと、神戸市内からたったの30分あまりで着けることなどで、浪速の奥座敷という感じがぴったりです。しかし高中年だけでなく若い女性のグループ連れが目立ち、女性にも人気のある温泉場なのだなと思わされました。女性に人気がある限りこの温泉場はしばらく安泰でしょう。
 夜は久しぶりに館内にあるカラオケボックスに行って発散をしました。しかし、どうも最近涙もろくて駄目です。たとえば美空ひばりの“愛燦燦”や川島英吾の“酒と涙と男と女”などの私にとっては持ち歌であった歌が、途中で泣けて泣けて最後まで歌えないのです。今回の場合、すっかり甘えられる相手であったからかもしれません。次は若い女の子たちと1度行ってみる必要がありそうです。
 話は変わりますが、30年以上も前に数学家の岡潔先生の提唱によって日本の主要都市で始まったこの市民大学講座、確か12都市で行われていたのが今では7、8都市で継続されているわけですが、その実質的運営をされている方はほとんど女性です。私も去年から今年にかけて何箇所から呼ばれて行ってまいりましたが、皆さんほとんどボランティア的にそれぞれの市民大学を守っていらっしゃいます。やはり、バブル前に比べて後は一段と運営が厳しくなったようで、彼女たちの母親的な愛と献身が無ければとっくの昔になくなっていたことでしょう。若杉さんと岩崎さんのコンビはなんともう20年以上。お互いに立派に家庭をも待たれての大学講座の運営をされてきました。彼女らだけでなく全国の市民大学運営担当者に、心より敬意をささげるものです。

■ 2003年11月27日(木) 出社第1日

昨晩長かったヨーロッパ・セミナーツアーを終えて自宅に帰ってまいりました。10月24日に出発したわけですから、実に34日ぶりの帰国ということになります。私たち、というより妻の帰宅を誰よりも喜んだのは猫のタマちゃんです。彼女は留守番をしていた息子からの報告ではかなり普段より異常な行動をしていたということです。きっととても寂しかったのでしょう。ですから妻の姿を確認するや、ミャーミャー鳴いてそばを離れようとしません。
 おかげでその夜は私たちは別々で寝ることになりました。タマは夜中も時折妻の顔を舐めたりして、ぴったりと寄り添って、まるでもうどこにも行かないでと監視されているようで、よく眠れなかったと妻が言っていました。私にすれば、自分も同じように可愛がっているのにと、いつものことですが少し面白くありません。(右写真:タマちゃん)
 翌日久しぶりの会社です。10時から社員全員を集めて帰朝報告、11時からビデオ製作会社の作品試写、12時からスイスからのお客様、1時半から社内打ち合わせ、3時から税理士先生から決算の報告、4時半から役員会、そして7時から西麻布アムリタ・バーでの小セミナーと殺人的スケジュールが待っていました。家に帰ったのは11時すぎ、タマが帰ってきた早々もう遅いんだからと言わんばかりに、ミャーミャー鳴きながら"妻"を出迎えました。
 アムリタ・バーでの企画は講談社の丸木さんの紹介で、11月1日から店内で結晶写真展を開催していただいており、その締めくくりとして、私が1時間半のトークショーをすることにしたものです。自分でも不思議に思うのですが、どんなに疲れていても、水や結晶の話をすると元気になってしまいます。きっと体の中の水が応援してくれるのでしょう。この夜も50名ほどの人が来てくれましたが皆さんとても喜んで帰っていったように思います。なかでも、アメリカとフランスから2人の女性が来てくれて、最後まで熱心に聞いてくださったこと、嬉しく思いました。

■ 2003年11月24日(月) バルセロナ

本当は昨日で全てのスケジュールが終わって今日は帰国の日でした。しかし10日ほど前にスペインの出版社から、本が出来上がったのでなんとか都合をつけて1日でもよいから来てくれないかという連絡が入りました。地元の有力な新聞社の女性コラムニストから取材申し込みがあったので是非受けて欲しいということです。
 で、急遽ロンドンから約2時間の飛行時間でしたから、バルセロナに参りました。そして来てよかったと思いました。まだここに来て8時間ほどしかたっていませんが、もう楽しいことが6つもありました。
 その1・・・スペイン語版がとてもよく出来ていたこと
 その2・・・それを発行してくれたロドリゲスさんとてもよい人で好きになりました。


出版社の社長ロドリゲスさんと

スペイン語版『水からの伝言』

 その3・・・念願のサグラダファミリヤに行けたこと、そしてとても素晴らしいと感じたこと・・これは後日詳報します。


正面からの様子

ガウディ氏の最終イメージ、しかしまだこれの5分の1ぐらいしか進んでいません

サグラダファミリア


この企画を立てた建築家、ガウディ氏の胸像の前で

 その4・・・100キロ先のジローナと言う古い町に住む、マリア・ローズさんというお婆ちゃんがわざわざホテルまで訪ねてきてくれて、来年その町でセミナーをやることを依頼されたこと。彼女の家はなんと1400年代に作られた、旧家でそこにご招待してくれるというのです。そしてそのお婆ちゃん毎日のように結晶写真を眺めて、その中にいろいろな表情があることを発見し、それを近所の人に見せ教えるのが楽しみにしているという、大変な結晶写真フアンだったのです。僕にもその秘密を沢山教えてくれました。そのうち皆さんにも公開します。(右写真:右がローズ・マリーさん、真ん中がマルタさん)
 その5・・・来年バルセロナで5月から9月に掛けて大きな文化万博のようなものがあるようで当局が結晶写真の展示及びシンポジウムを企画しているので出てくれないかという話があったこと。
 その6・・・バルセロナに大変な日本びいきのアーティストがいてその方は日本語を話すことが出来るので、僕の妻と友達になって、とても仲良くなったこと。マルタさんとおっしゃるのですが、とても可愛い方です。
 その7・・・150年続いているシーフードレストラン“7つの門”に案内されたのですが、僕好みの味のものばかり。ワインもおいしく、この国の食生活まったく問題ありません(これが一番大事なことです)。
■ 2003年11月23日(日) ロンドンワークショップ

150ポンド(約27000円)というかなり高い料金にもかかわらず、定員一杯の30名の方が来てくれました。今回の主催者はフラワーエッセンスの関係者であったせいもあるのでしょうか、ほとんどが代替医療従事者の参加となりました。それだけに皆さんとても熱心で鋭い質問も多く僕としてもとても勉強になる朝からの7時間でした。
 その中で、どこでどう知ったのか、1人アフリカのナイジェリアからの参加者がありました。トニーという黒人の紳士で、なんとこの会に参加する目的だけで約6時間かけてきてくれたということです。そしてセミナー終了後、彼は正式に来年日本に来て研修したいと申し入れがありました。波動測定器を含めての、全般的な波動技術のナイジェリアでの総代理店を目指したいということなのです。
 そのほかにもフランスからも1人の青年が、子供を主体とした結晶写真技術の展開をしたい、ひいては弟子入りしたいという思いを、具体的な青写真を制作して持参し、私に説明してくれました。更にもう1人の英国の青年が日本にきて勉強したいという申し入れがありました。 私にしてみればとても嬉しい話です。しかし問題は受け入れ態勢です。やはり言葉の壁がありますから、それを解決するにはどうしたらよいかということです。帰ったらみんなと相談です。

■ 2003年11月22日(土) ロンドンセミナー

朝からロンドン特有の雨が降っています。昨日はデイリーミラー紙など、インタビュー続きで結構忙しい日となりましたが、今日は夕方のセミナーまで特にスケジュールはなく、久しぶりにゆっくりとくつろげました。
 夕方7時からのセミナーは150人ほどの人が集まってくれましたがその前にも会場で2組ほどのインタビューがあり、次回以降の英国での盛り上がりが期待されます。(右写真:ロンドンセミナーの様子)
 さて今回嬉しかったことは孫の陸玖が始めて僕のセミナーに来てくれたことです。生後9ヶ月の孫がわざわざ隣の国オランダからジーさんのセミナーに参加してくれるなんてこんな爺冥利に尽きることはありません。もちろんほとんど寝ていましたし、何も分かるわけではありませんが、きっとその雰囲気は体の深いところ記憶されたのではないかと勝手に思っています。写真はセミナーが終わったあと舞台の上で遊ぶ孫です。爺ちゃんと同じように舞台の上で仕事をするようになるかもしれませんね。

■ 2003年11月20日(木) ロンドン・デモ

ブッシュ訪英の影響は空港ではそれほどでもなく、夕方ピカデリー通りにあるホテルに無事に到着しました。アムステルダムからはほんの一飛び、いつも思うことですがヨーロッパの国々は、互いにほんとに近い、ただイギリスは海を隔てているだけに、ゴーイングマイウエイ路線を守れるのでしょう。
 今回のロンドン行きは娘家族と一緒です。というのは、娘はもう3年ほど前からオランダで私のエイジェント的な仕事をやってくれていて、妻の会社が出資したHADO PUBLISHINGという会社の社長を、主婦業の傍らしてくれており、私のヨーロッパにおける前線基地となっています。その娘の会社が、今年英国のフラワーレメディー系の会社からの要請で、『水からの伝言』の完全英語版を出版しそれを英国で販売始めたわけです。
 私の今回の講演要請はその本を売ってくれている会社からのもので、したがって娘としてはお客様の会社ということになります。で、1度ご挨拶をということで、夫君ともども赤子を抱えての家族出張ということになったわけです。
 ホテルには娘とは専門学校以来の友達で、浦安の私どもの家にもよく顔を見せていた"りっちゃん"が迎えに来てくれて、今回のロンドン出張のツーリストガイドを引き受けてくれました。彼女はロンドンには5年近く住んでいて、現在骨董ビジネスを勉強中です。
 そのりっちゃんの案内で私たちは夕食を中華街でとることにして、ピカデリー通りを歩いていました。突然けたたましいピーポーピーポーと言うパトカーのサイレンのオンパレードが、目の前にやってきました。あっこれはブッシュ反対のデモかな、と思うまもなく今度は騎馬警官隊ならぬ、自転車警官隊の出現です。200人ぐらいいると思われるその自転車隊がものの見事に整然と隊列をなし、私たちの目の前でピタッと停止、あっという間に自転車による壁が出来ました。後から来るデモ隊をけん制し、また保護するようななんともいえない巧妙な動きで、まるで自転車ショーを見る感じで思わず拍手したくなるほどでした。
 そのあとを左の写真のようにデモ隊がプラカードを手にして、口々に"ブッシュ帰れ、アメリカ反対"とか"もう戦争はやめよう"とか叫びながら通っていきました。私はその喧騒の中で感動して涙があふれ出てくるのをこらえることが出来ませんでした。若い女性たちが真剣に平和を訴えて叫んでいる姿を見て急にぐっときて、自分との一体感を感じたのです。
 英国の一般市民は必ずしも、アメリカ追随に賛成ではないことを翌日の新聞のアンケート調査では報じていました。

■ 2003年11月18日(火)-20日(木) 娘の家

報告事項・・・孫・陸玖の写真 リラックス、リラックス 皆さん可愛いでしょ 僕そっくり さあ明日からまた仕事、ロンドンだ 頑張るぞ!! でもブッシュと一緒 イヤだな


■ 2003年11月17日(月) ドイツのワイドショーに出演

アウグスブルグを8時に出てコンラッドさんの車でミュンヘン市内にあるテレビ番組制作スタジオ"フリーゲ"に行きました。この話は1年前から出ていた話でこのほどようやく実現したものです。
 フリーゲさんはもともとカソリックの牧師さんですが、かなり前からご自分の番組を持っていてそれが"フリーゲ"というワイドショーになっています。牧師さんだけにシリアスなテーマが多く主婦層に大変人気のある番組だということです。
 今回のテーマは"水"です。水に関する有名人や、治療家、牧師、水研究家が呼ばれそしてメインゲストが僕です。本番前にはメイクもたっぷりされなんか変な感じです。
(左写真:テレビ出演前・・・化粧されてしまいました)
ちゃんと通訳の人が僕にはつき、皆さんの会話や僕に対する質問は逐次翻訳されイヤフォーンを通じて入ってきます。そして僕の回答はスタジオ全体に通訳者の声で流されるというやり方でした。
(右写真:スタジオ内、左の方がフリーゲさん)
 その中で1年前アウグスブルグの波動シンポジウムの会場でお会いした女優さんが来ていました。(左写真:一緒にテレビに出た女優さんと。彼女は僕の考えのよき理解者です)
その女優さんはやはり僕の結晶写真の、特に文字を水に見せるという部分をよく理解してくれているファンで、そのアイデアを大変歴史のあるグラス会社(スピーゲルというなんと1521年創業の高級グラスメーカー)に持ち込み商品化に成功させたのです(右下写真:感謝・平和・希望・想・幸運・愛という6つの日本語の印刷してあるものと、それぞれの英語版・フランス語版・ドイツ語版があるということです)。
 フリーゲショーは25日に放映されるそうですが、いつも120万人ぐらいの人が見る番組で『水からの伝言』の話もだいぶ出て、お世話になっているコーハ出版のコンラッドさんのところの売り上げが、かなり上がるのではないかと期待しています。

■ 2003年11月16日(日) 第2回アウグスブルグ波動シンポジウム

昨年初めて始まった波動シンポジウム、昨年は800名の人が来てまずまず成功でしたが、今回は200名ちょっとしか集まらず、大失敗に終わったようです。会費は100ユーロ(約12,000円)、今ドイツの景気はあまり良くなく、それが第1の原因だと主催者のコンラッドさんとバウアーさんは言っていました。しかし、底辺には結晶写真ファンがある程度行き渡り、単に情報を与えられる側にあるより、何か参加する側にシフトするように考えないと、このシンポジウムの存続は難しいと、僕は考えさせられました。
 もう1つ、出演者全体に共通するテーマというものも必要になってくると思います。日本でも同じことが言えると思いますので考えてゆかなければならない問題です。与えられるだけでなく自らも参加し、実質的エネルギー交流ができる場作りが、今後この種の企画には必要になってくるのでしょう。
 会場ではもう去年から顔馴染みになっている人に何人もお会いしました。そういう意味では今後もずーっと続いて欲しいシンポジウムです。そのうちの1人アイヒスタットのマニュエラさんです。(左写真:マニュエラさん)昨年僕のセミナーをアイヒスタットという小さな町で600名も集めて大成功させた人です。つい1週間前、同じその町にルパート・シェルドレイク博士を呼んでセミナーをもちろん成功させたと言うことでした。来年はニュールンベルクで僕のセミナーをやることがその場で決まりました。
 ところで今日は僕たち夫婦の35回目の結婚記念日でした。大変僭越ながら舞台でそのことを皆様に報告し万雷の拍手を頂き、祝っていただきました。25歳で結婚してもう35年、月並みな表現ですが長いなあと思う反面、あっという間の35年でした。こうやって夫婦2人で世界を回れることが出来るなんてなんと幸せなことでしょう。これが長く続けばつづくほど、世界平和は具体的になってゆくと思いますからあと15年、つまり金婚式のときまで夫唱婦随ならぬ婦唱夫隋で世界を旅してゆきたいと思っています。引き続きご声援のほどお願い申し上げます。

■ 2003年11月15日(土) ザルツブルグ観光

ザルツブルグはご存知のとおりモーツァルトの生誕地です。そして僕は大のモーツァルトファン。ここに来るのがとても楽しみでした。ウイーンではまったく観光をする暇がありませんでしたが、この日ばかりはブルギさんにお願いして、半日ザルツブルグ観光をさせて頂く事としました。


左写真:モーツァルトの生家の前
右写真:ザルツブルグ市街


 ブルギさんはそうしたらすぐに知り合いの日本人観光ガイド、旺子(あきこ)さんをつけてくれました。なんとザルツブルグ滞在年数36年の超ベテランツーリストガイドです。幸い彼女はかなりの精神世界系の方で、 僕のずいぶん昔からのファンであってくれたようで、道中楽しくお喋りしながらザルツブルグ観光を楽しむことができました。



真ん中が旺子さん
市内を見下ろす丘で3人で記念撮影

 そこで僕は彼女から、このザルツブルグが僕の人生に大きな影響を与えてくれた映画のロケ地であったことをすぐに知らされ、そうだ、そうだ、そうだったよー!!何で思い出さなかったんだ!とほとんど叫んだのでした。そう、この町はあの名画『サウンドミュージック』の物語の発祥の地でありロケ地だったのです。
 この映画が日本に来たのは確か僕が大学2年生の時だったと思います。僕はその後いったい何回この映画を見たことでしょうか。何回この映画から流れるメロディーを口ずさみ歌ったことでしょうか。そしてそれは60に至る今でも続いているのです。『ドレミの唄』・『全ての山に登れ』・『サウンドオブミュージック』・『もうすぐ17歳』などなど、同じような思いを持つあなた、とにかくその記憶を蘇らせるため、写真をとくとお楽しみください。

〜〜サウンドオブミュージック〜〜
映画に最初に出たお屋敷
サウンドオブミュージックの場面

すべての山に登れ
有名なシーンの撮影現場

■ 2003年11月14日(金) ウイーン・ザルツブルグセミナー

今回のオーストリア、ウイーン・ザルツブルグの主催者は前述したようにブルギさんというブロンドの素敵な女性です。彼女はプラーナエネルギーフィーリングのオーストリア地区の総責任者を10年ほどやっていて、オーストリア国内には約4000名ぐらいの生徒さんがいるということです。
 結果的にウイーンでは1500名、ザルツブルグでは1300名という過去にない大動員を彼女はしてくれたわけですが、それはもちろん彼女のそのような実績があるからこそです。しかしそれを彼女は、"どうしてこんなに集まったのかしら。あなたはすごい人気者なのよ"、と手柄を人に譲るとても謙虚な人でした。だからこそ、こんなに人が集まったのでしょう。そういえば、彼女の周りにいるお手伝いさん達は、皆彼女を母親のように慕っている、という感じを受けました。やはり、総合的な"輪の和"そしてその中の中心の素晴らしさのなせる業なのだとつくづく勉強させられました。
 ザルツブルグのセミナー会場は郊外にある多目的体育館で行われましたが、セミナーが始まる頃には深い深い霧が急に立ち込め始めました。私には周辺の水の妖精たちが喜んで聴きに来てくれたように思われました。その証拠にセミナーが終わった時には、霧はすっかり晴れて月夜となっていたのです。

■ 2003年11月13日(木) ウイーン国連ビル内IAEA訪問

昨夜の余韻に浸るまもなくウイーンの朝は忙しく始まりました。まず地元ラジオ局のインタビューが10時からありました。なかなか面白い質問をしてくれるものですから下手な英語にもかかわらず、2時間ほどがあっという間に過ぎてしまいました。
 次はカラーセラピストの女性2人が、交通事故対策としてのカラーコーディネイトを社会規模で考えているということで相談に見えました。たとえば2年前のオーストリアのトンネル事故なども道路そのものの色配りによって、ある程度防げたのではないかという、大変まじめな研究です。来年そのための国際シンポジウムをウイーンで開くので協力をして欲しいとのお話でした。もちろんそれを約して、そのシンポジウムにも出るようにしたいということで、お別れしました。
 ブルギさんと近くの日本食堂にランチを取りに行ったところ、観光客らしき人は1人もいないのに超満員、最近どこでもよく目にする光景ですが日本食がどんどん人気となっているようです。
 ホテルに2時近くに帰ると次のお客様が待っていました。IAEA、国際原子力機関からの人でした。2時までに国連ビルの中にあるIAEAの本部までに行かねばならぬ約束であったらしく、われわれは彼女の車に乗ってドナウ川の側にある、国連ウイーンビルまで急ぎました。そして着いて吃驚する事ばかりが待っていました。
 まず、エスカレーターを上がった広場の真ん中にあるブックストアー、そこに僕の水からの伝言が3冊も並べられていたのです。(右上写真:ウイーン国連ビルの中の本屋に飾られていた『水からの伝言』) そして更に奥にいったところに、人だかりがしています。何かなあと思って通り過ぎようとするといっせいに拍手がして僕を歓迎してくれたのです。びっくりして、その中央を見ると小さな泉が見えました。ああ、これはここにあったのかと初めて合点が行きました。(左上写真:国連ビルの中に新たに設置された泉/右下写真:泉の前で世界の水に感謝の言葉がけ)
 日本をたつ前からある芸術家が僕の『水からの伝言』、『水は答えを知っている』を読んで触発され、ウイーンの国連ビルのどこかに愛と感謝をモチーフにした泉を作ったという話は聞いておりました。そしてそこを訪れて欲しいという話があったのでした。そうか、そういうことだったんだ、と初めて全てを理解した僕、秘書もメールや口頭で何度も伝えてくれていたのに、だめな僕、とまたまた反省しきりの僕でした。
 ところで僕がお招きを受けたエリアはIAEAの館でした。これは国際原子力協力機関のことです。世界の原子力問題をコントロールしポジティブな原子力の平和利用を目指している機関です。そこでびっくりしたのは水の研究がとても深く広範囲に行われているということです。どうやら放射能の汚染をいち早く見つけるのには水を通して行うのが良いという僕の考えがここでも、証明されているようです。世界各地のいろいろな水が集められており、いわゆる標準水としてのゼロウオーターなるものがあるのですが、それは全ての地球上の水をミックスしたものであるようです。(左写真:集められた世界の水が保管されている様子)
 夜8時から、国連ビルの隣にあるオ−ストリアメッセで私のセミナーが開かれました。そしてそこにはブルギさんから聞いていたとおり1500名という私にとって過去最高のお客様が詰め掛けてくれたのです。これはいったいどういうことなんだろうか。神のみぞ知ることです。(下写真:ぎっしり一杯のウイーンセミナー会場の様子)



■ 2003年11月12日(水) ウイーン・オペラ鑑賞

ハノーバーから次の目的地ウイーンへは空路で往きました。ほんの1時間ほどです。空港には素敵なブロンドのオーストリア講演の主催者、ブルギさんが迎えに来てくれていました。(下写真:すっかりお世話になりました、ブルギさんです)この日は移動日で他に予定は何もありません。そこでなんとブルギさんが素敵なプレゼントを用意してくれていました。小澤征爾指揮のモーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』です。
 バーゼルかどこかで買った日本の新聞に、小澤征爾のその初演公演が、とても成功であったという記事を読んでいた私たちは、「出来たらいってみたいもんだ。でもチケットが取れないだろうな」と言ってていたところでしたので、大喜びです。7時からの開演にブルギさんにつれられてオペラ座まで少し正装してゆきました。(右下写真:正装)
 ブルギさんが予約していたチケットを手にして3階の方まで私たちを案内します。そして係りの方に切符を見せますと係りの方が少し歩いてドアを開けてわれわれを個室に案内してくれました。すぐに円形の劇場がぱっと目の前に広がってきて、オーケストラボックスにはすでにフィルハーモニーの方が、てんでに音を出されて練習している情景が入ってきました。左隣の隣はなんとロイヤルボックスです。つまりブルギさんは我々のためにウイーンオペラ座の3階のロイヤルボックスの右となりの隣の個室を、しかも小澤征爾さんという今最も人気のある指揮者の1人が演奏するオペラのチケットを予約してくれていたのです。もちろん会場は全席満席でした。(左下写真:オペラ座の特等席に座る僕)
 私はオペラが大好きで高校生のときにいろいろなアリアをよく覚えて歌いました。もちろんこの『フィガロの結婚』の中の"もう飛ぶまいぞ、このちょうちょ"などもよく歌ったものです。ですからあの有名な序曲から始まっての3時間半があっという間に過ぎてしまったのは言うまでもありません。
 ありがとう、ブルギさん。

■ 2003年11月11日(火) ハノーバーセミナー

ハンブルグからまた南の方に3時間ほど戻るとハノーバーという町があります。ここは昨年コンピューターの国際見本市があった町ですが、僕としてははじめて訪れる町です。ここの主催者の方はクリスティーヌさんとおっしゃる元気な女性経営者でした。(左写真: ハノーバーの主催者クリスティーヌさん )
やはりハンブルグのジュルグンさんと同じように精神世界系の書店を立派に経営されている方です。
 今回、今までドイツに入って、あまり昨年までのように来場者の方が多くなく、そろそろドイツは次のステップかなと思い始めていたのですが、このハノーバーでは結果的には600人ほどの人が来てくださいました。やはり主催者の方のやる気と言うか、力の入れ方でだいぶ違うようです。(右下写真:ハノーバーセミナーの様子)
 ところでこのクリスティーヌがとても素晴らしい提案をしてくれました。次回はEMの比嘉先生とのジョイントで行いたいと言うのです。僕は前から同じことを考えていましたから、二つ返事で大賛成しました。そして日本に帰ったら比嘉先生のご都合をお伺いする係りを仰せつかまりました。EMの比嘉と波動の江本、この組み合わせをドイツ人は待ち望んでいるとまで言うのです(比嘉先生の本は3冊ほどドイツ語で出版されています)。この話しはその後同じセミナー主催者間にすぐ広まって、今までのところ、ハンブルグ、モスクワ、ニュルンベルグ、ミュンヘン、ウイーンの方から手が上がっているそうです。
 私はそれが実現したらそのときの通訳はアウエハント静子さんにお願いしようと、すぐに思いました。静子さんは長いことヨーロッパ、特にオランダに、ライデン大学の故アウエハント教授の奥様として住まわれてきた、京都亀山(大本教の本拠地で出口王仁三郎さんに可愛がられて育ったということです)ご出身の生粋の日本人女性ですが、僕とは浅からぬ関係にある人です。
 『水からの伝言』が出版されたのが、1999年の6月ですが、その翌月7月には静子さんは私の事務所に見えられ、77冊の本を買って帰られました。今思えばどこからともなく、『水からの伝言』という本のにおいを嗅ぎつけられ、スーッと立ち寄られ、財布にあるだけのお金で本を買われ、さっと帰っていったという感じです。そしてその後彼女はヨーロッパ中の知り合いにその77冊の本を配られたのです。更にはその種まきのおかげで翌年の3月に私が始めてスイスで彼女の紹介及び通訳で講演をすることとなり、それから世界の各地でのセミナーが始まったという経緯がある人なのです。
 静子さんは僕の前にはEM技術をヨーロッパに紹介した最初の人でもありました。今度この話が実現したらきっと彼女は大喜びするに違いありません。比嘉先生ご夫妻、江本夫婦、が静子さんの通訳でヨーロッパを回る。賑やかで輝かしい旅になることでしょう。

■ 2003年11月10日(月) ハンブルグセミナー

ハンブルグはドイツの北の方に位置する港町です。私がこの町に来るのはなんと今回で4回目です。とても相性が良い町でいつ来ても沢山の人が来てくれます。最初はハンブルグ大学の階段大教室で700名、次はシュタイナー学校の講堂で、やはり700名。そして前回が今日と同じ歴史ある音楽ホールで600名、と、大変な賑わい振りでした。
 さすがに今回は前回の半分つまり300人と数は減りましたが、非常に洗練されたお客様の集まりとなり、主催者のジュルグンさんも今日は素晴らしい客だったと、感激されていました。私は来るたびに、前回見えたかどうか手を上げてもらうのですが、そのたびにほとんどの人が初めての人で、この町に関しては新しい層が次から次へと開発されているようです。やはりジュルグンさんが精神世界系の本屋さんということで、私の本の読者をどんどん作ってくれているからだと思います。
 さて今日は始めてホメオパシーの治療の体験をしました。9月の東北セミナーのときに引いた風邪を拗らせてしまって、肺もしくは気管支の状態が悪く、せきが止まりません。だんだんとひどくなるものですから、かねてから知り合いのこの町のホメオパシーの女医、ハイジさんにあらかじめ連絡をしたところ、滞在先のホテルまで来てくれて、診てくれたのです。
 彼女は分厚いコンピューターを持参して私に対して問診を始めました。コンピューターの中には百科事典で150冊分ほどの膨大な量の情報が入っていると言うことです。自分が師として仰いだ人の時代を継承しての経験則がぎっしりと詰まっているのでしょう。自分の病歴のこと、夢のこと、性格のことなどをかなり細かいことの質問を受けながら、あれ、これどこかで体験したことがあるぞと思い、それを思い出すのに時間はそれほど必要ではありませんでした。そうです。自分がMRAを使って波動相談をしている時の状況ととてもよく似ていたのです。なるほどなと思いました。MRAはもともとホメオパシー用に開発された器械だったからです。
 さて、その効用はどうなることでしょうか。結果が楽しみです。 

■ 2003年11月9日(日) ボンセミナー

ボンはドイツが東西に分かれていたときの、西側の首都でしたが、人口は40万人ほどの中型都市です。フライブルグから列車で3時間あまり北に位置しています。駅にはフライブルグに来ていた、ヨルク・シュバイツアーさんが昨日のうちに車でフライブルグを発って、迎えに来ていました。(左写真:ベートーヴェンの生家の前で)
 ここでヨルクさんの事についてすこしご紹介しましょう。ヨルクさんは現在48歳で大きな子供さんが2人いますが、奥さんとはだいぶ前に離婚されています。写真集が出たときオランダにいる私の娘のところに、最初に接触してきたドイツ人で、私が最初にドイツでセミナーをしたシュツッツガルトのそばの片田舎の町にも、がたがた車で8時間も掛けてやってきた人です。以来、まるで追っかけのようにドイツ国内の私のセミナーには必ず顔を見せるようになりました。
 いわゆる完璧に精神世界のひとで、そのために現実の生活や仕事からはだいぶ遊離したような生き方をしてきた方のようです。ところが、私の写真集に会ったときから、これっきゃないと思われたようで、私の本を娘から仕入れてはドイツ中に売り始めました。初めて趣味と仕事とが一致したようなのです。その数は300冊を超えていたはずです。
 そしていつの間にかセミナーを主催するようにもなり、ドイツでの私のセミナーには必ず彼が車でついてまわり、物販の担当者となってしまいました。ヨルク・シュバイツアーという名前は例のシュバイツアー博士のイメージもあってか、我々にはなかなか格好の良い名前ですが、それを本人に言うと「うん、ドイツでもいつの間にかそんなイメージにはなってしまったけど、本当はシュバイツという言葉は乳を絞ると言う意味で、シュバイツアーはだから乳搾りさ。ヨルクは百姓という意味だし。」と面白い答えが返ってきました。(下写真:ヨルクさん)
 さて今日のシュタイナー学校の講堂を借りてのセミナーは200名ぐらいの参加者でしたが、なかなか感動的なシーンがありました。 Q&Aの時のことです。突然あるおばあさんが手を上げて、私を拝むような感じで次のように熱い思いを語られたのです。
「今日は最高に感動的なお話をありがとうございました。そこでお願いというか希望を述べさせてください。ドイツは長いこと優秀な指導者に恵まれていません。いまだにそうです。ですから是非この国の指導者になってください。お願いします。」と。
 あとで、セミナーが終わったあとのサイン会にもそのおばあちゃんは見えて、おずおずと入場券の半券を差し出して言うのです。「私お金がありませんから、本が買えません。このチケットの裏にサインをいただけますか?」最近、泣き虫の僕は胸が熱くなって調子外れの声で言いました。「もちろんですとも、もちろんですとも」そして語り掛けました。「お幾つになられましたか?」「はい、この11月18日で84歳になります。」「へー、11月18日で84歳。僕らは11月16日が35回目の結婚記念日なんですよ。」といったら、それは嬉しい、嬉しい、と大変喜んでおられました。
 あとでこのことを思ったとき、あのおばあちゃんの人生はどうだったんだろうな。みんなの前であんなことを言うようでは、きっと辛い色々なことが有ったのだろうな。もし今度会うことが出来れば、彼女の人生をインタビューしてみたいなと思ったのでした。両親のこと、兄弟のこと、夫のこと、子供のこと、第2次世界大戦が終わったとき26歳だったはずですから、まさに波乱万丈の人生ドラマがあったのであろうと考えてしまうのです。


〜〜列車で移動中、車内で原稿が書けます〜〜

■ 2003年11月7日(金) ドイツ・フライブルグ

さあ今日からいよいよ本格的なセミナーツアーの始まりです。まず、バーゼルから車で1時間ほど北に行った町、フライブルグでのセミナーです。フライブルグは環境都市宣言をいち早くした町として有名です。隣接するいわゆるブラック・フォーレストが80年代の終わりから次々と酸性雨、CO2問題で枯れ始めたからです。ですから世界で始めてのライドアンドパークシステムを採用するなど、環境問題に悩む世界の町の議員さんたちが勉強、見学に来る町として有名となっています。
 というわけで町を散策してみたかったのですが、主催者が予約してくれたホテルは町を少し外れた丘の中腹にあるホテル"HOTEL MERUCURE"というところで、これがまた素晴らしい眺めと、美しい紅葉に囲まれたパノラマホテルでした。ですから私たちは街の散策はせず、その景色を楽しむことにしました。部屋のベランダから見る夕日の美しかったこと、遠くにフライブルグの町が1望できます。紅葉はここでもまた、訪れる人の目を楽しませてくれています。
 セミナーは町の外れの小学校の体育館を借りて行われました。おいおい、こんな人里離れた、分かりにくい寂しい場所でセミナーやるの、という感じでしたが、何とか120人ほどの人が夜の8時からのセミナー開演に来てくれました。ここで印象に残ったのは日本人の留学生通訳、森さんのことです。彼女は広島福山市の出身で、9年前に当地に留学、ここが気に入ってしまっていまだに学生さん、現在は美術史の博士課程コースで最終の仕上げを行っているということです。
 正直言って過去の体験から日本人の留学生が通訳と聞いて、大変心配しました。たいていの場合、ぼろぼろになってしまうからです。ところが森さん、たいしたものでした。過去に数多くのプロを含めて通訳の方にお願いしていますが、その方たちの中でもトップクラスのお仕事をしてくれたのです。またどこかで一緒に仕事をしたいものです。
 セミナーの最後にQアンドAがあり、それについての通訳もまことに的確で、私もリラックスして回答することが出来ました。例えば、なぜ水を凍らせて結晶を撮るという、誰でもが考えそうなことを、科学者たちがやらなかったのでしょう、という質問に対して、"それは科学者ならばこんなことを思いつかなかったからでしょう。私の場合は科学者ではありませんから、そしていつまでも無邪気な子どのような気持ちを持っていたから思いつくことが出来たのだと思います"と答えましたら、会場から笑いと拍手が巻き起こったりして、楽しい雰囲気でセミナーが終了いたしました。

■ 2003年11月6日(木) スイス・バーゼルセミナー

バーゼルはスイスの北国境の町で、ドイツ、フランス、スイスが隣り合わせに位置している流通のかなめのところです。過去において私は2回ほどこの街で講演をしており、今日の会場も2年前サンマーク出版の斉藤さんが、私と落ち合った記念すべきバーゼル大学の階段教室での講演でした。ここをスタートとして斉藤さんは10日ほど私について回ってくれて、いろいろなことを取材してくれて、自分で言うのもなんですが、名著『水は答えを知っている』が誕生したのです。
 そんなことを思い出しながら私は楽しくお話を進めてゆきました。参加者はほぼ2年前と同じ250名(定員280名)ぐらいで、念のために前回参加した人に手を上げてもらったところたったの3名の人が手を上げました。ほほーと思いました。読者の層がどんどん広がっているという解釈と、1度聞けばまあいいや、という見方とが出来るわけです。私としては複雑な思いでした。
 バーゼルという町は大きな製薬会社がある町としても有名です。ノバルティス(チバガイギー)、ロシュなどが有ります。それをわざと意識して私は振動医学を力説、製薬会社がこのような分野に積極的に取り組むべき時代になったと述べ、音楽療法、ヒーリングCDなどについて説明しました。そして会場に来られた方々に、是非製薬会社の人たちにも参加していただきたいと伝えていただくようお願いしました。何かのアクションがあればよいなと思います。
 バーゼルのオーガナイザーはブラウンさんという方でオステオパシーの先生でした。9月の末から体調がどうも良くない私は先生の勧めに応じてその治療を受けさせてもらうことにしました。約1時間半があっという間に立ってしまいました。なんとも気持ち良かった。その治療の方向性は患者に対して完全にリラックスしてもらうということでまさに、愛と感謝の治療法だと感じました。
 バーゼルは紅葉真っ盛り、ホテルの前の公園の紅葉をお楽しみください。



■ 2003年11月4日(火) ジュネーブセミナー

何でこのセミナーに来ることになったんだろうか。終わった今でもあまり良く分かりませんが、8時から市内の国際会議場で私のセミナーは行われました。総勢150名ほどの参加者で、人種的にも、業種的にも色とりどりで、フランス語の同時通訳つきです。いわゆる精神世界系の人々が多いということではなく、水に関心のあるいろいろな分野の人が来てくれたようです。日本語の通訳の人が用意できなかったということで、私のまた下手な英語での講演となりました。
 しかし面白いもので、数を重ねるうちにナントカ英語での話も通じてくるものですね。大喝采のうちに無事に終演となり、そのあとの質疑応答も活気付き予定の時間をだいぶオーバーしてしまったのです。
 もともとこの会議にはゴルバチョフ元ソ連大統領が来る予定でした。しかし、急遽来れなくなって代理の人がよこされたようです。多分この話を頂いた時、僕もゴルバチョフさんに会ってみたいと思ってスイス、ジュネーブまで来ることにしたのでしょう。しかし、ジュネーブというところはフランス語圏で全てのチラシなどがフランス語のため、実際のところ何を目的とした会議なのかこちらに来てからもあまり分からない状態です。
 しかし、参加者を見る限りにおいてはハイクラスの人が多そうで、きっと将来何らかの役には立つことでしょう。いろいろな紳士淑女が僕の顔を見つけては挨拶に来てくれました。ははー、どうやら僕は今回のスピーカーの中では、ゴルバチョフさんに次ぐ有名人だったようです。
 その中の1人がアンドレアさんといってWORLD ECONOMIC FORUMというスイスに本拠地のある、国際的な商工会議所のような機関の人でそのオフィスに私を案内してくれました。最近、水問題についての国際的会議や問題が相次ぎ、結晶という立場からいろいろとアドバイスを頂きたいということでした。とりあえずお互いのウェブサイトをリンクしあって情報交換してゆこうということになりました。レマン湖(下写真)を見下ろすところにあるそのオフィスは中々優雅でリッチ、なるほど国際経済・政治の演出の場を多数持つといわれているジュネーブ、とうとう私もその中の1つに迎え入れられたのだなと、感慨しきりではありました。



■ 2003年11月3日(月) 水が伝える愛のかたち

今日は日本では文化の日です。文化とは文字どおり文が化けると書きますから、広辞苑でのその第1の定義は、文徳で民を教化すること、とあります。文徳とは同じく、学問によって教化し、人をも心服させる徳とありました。したがって日本語における文化の第1義は、学問によって学び取られ培われた徳、ということになると思います。
 それに対して英語ではこれをCULTUREといいます。この言葉の語源はラテン語から来ており、その原義は"耕す、培養する"という意味のようです。したがってこの解釈が正しい限り、大胆に分別すれば文化と言う概念は西洋では体験的、東洋では哲学的なことを基本としているのかもしれません。
 さてその文化の日に遠くはなれたドイツ・ミュンヘンから僕の最新作の本のお知らせです。実は1昨日このホテルに徳間書店の豊島さんからかねてから制作中の本が出来たということで、2冊の見本誌が送られてきました。『水が伝える愛のかたち』(写真)というタイトルで僕にとっては作家生活に専念にして今後の人生を送るか、あるいは従来的生き方をするかを占う大事な本として書いてきたものです。
 つまり新しい発想で人類と宇宙というテーマについて書き、なぜ愛と感謝が大切なのかを淡々と書き綴りました。人類はもう1度原点に戻って全てを考え直しましょうという提案です。いつも最初の読者となって批評してくれている妻からは、花柄マークのお墨付きが出ましたので、第1の壁は突破しました。もう日本の書店では置いてあるそうですので、今度は皆様の厳しいジャッジメントをお願いしたいと思います。

■ 2003年11月1日(土) 初めてのレコーディング

おとといミュンヘン空港に迎えに来てくれたのはコーハ出版のコンラッド社長でした。コーハ出版は僕の『水は語る』『水からの伝言vol.1』『水は答えを知っているvol.1&2』をドイツ、スイス、オーストリアで出版販売してくれている海外出版社として一番古くからの、そして一番密接な繋がりを持つ出版社です。つい最近ではこの欄でも紹介したように塩谷信男先生の本も出してくれました。
 コンラッドさんは歳は僕より10歳若いのですが、何かと僕に対しては兄貴分的な役回りをしてくれていて、健康のこと、仕事のことなどいろいろとアドバイスをしてくれる、とても僕が信頼しているドイツ人です。彼は昔はイベント屋さんでもあり、音楽プロモーターでもあったそうです。その関係からかドイツ各地にいわゆる興行師の知り合いがいて、僕のセミナーがドイツの隅々まで行われてきた要因となっているようです。今回もこの後ドイツ国内では、フライブルグ、ボン、ハンブルグ、ハノーバー、アウグスブルグを回ることになっています。
 そのコンラッドさんが今度は友人の音楽家、アンドレア・ブルンミエルさんと組んで僕のためにとても素晴らしい企画を用意してくれていました。実はミュンヘン入りしたその日と、昨日そして今日と3日間、僕はブルンミエルさんのスタジオに行き彼のプロデュースでレコーディングをしてきたのです。そして今日それが完了したのです。
 レコーディングといっても歌を歌ってきたわけではありません。水に関する思いを僕がまず日本語で朗読風に思いつくまま話します。それを次に僕が英語で翻訳して話します。これが1日目でした。2日目はそれがある程度整理されておりそれに沿っての朗読を日本語と英語で行います。そしてサクラを1曲だけ歌いました。もちろんアカペラです。そしてなんとお経を詠んでくれということなので南無妙法蓮華経を詠んでみました。初めての体験でしたがとても体に心地よく響き渡り、振動効果十分だったように思います。
 そして今日の3日目、なるほど音楽のプロデューサーとはこういうものかと、びっくりするやら感心するやらでした。昨日までの僕のいろいろな水に関してのコメントをまとめて3つの英語の詩が作られていたのです。僕はそれを1行読んでは日本語に訳し語るという作業をすればよいだけ。もともと声には自信がありましたし、ディスクジョッキー的なことを1度やってみたいものだと思っていましたから、NGなしですぐに終了となったわけです。
 後は僕の朗読に合わせてブルンミエルさんが水の情感を秘めた曲を作曲してゆきます。来年の3月までにはヨーロッパの市場で販売開始ということで、また、大きな楽しみが1つ出来た次第です。
 それではそのうちの1つの詩を次にご紹介しておきましょう。

Message from Water

Water can memorize informations.
Water can cure human disease
Water shows us who we are...
Water shows us what we are
Water contents cosmic energy
Water is a mirror of mind
Listen
Open your heart
Say  you are so beautiful to the water
Say I love you to the water
Say Thank you to the water
Watercrystals are so beautiful
Respect the water and life becomes so beautiful


ページの先頭へ



::::::::::Copyright(C)2003 Masaru Emoto All Rights Reserved::::::::::