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10月31日(金)ミュンヘンセミナー
10月29日(水)フィレンツェの印象
10月28日(火)妻と合流
10月27日(月)ハウスワイン
10月26日(日)フィレンツェで仕事
10月25日(土)"出産と女性"会議
10月24日(金)ヨーロッパに旅発ち
10月23日(木)結晶写真展始まる
10月20日(月)自宅で役員会

10月19日以前の日記
++過去の日記一覧++



■ 2003年10月31日(金) ミュンヘンセミナー

今日はグドゥラ・ブラウさんという素敵な女性が主催する"ミュンヘンから世界平和の祈りを発信する"的な3日間のシンポジウムの幕開けです。会場は私たちの宿泊先でもあるミュンヘンの1流ホテル"フォーラムホテル"です。ブラウさんは女優でありシャンソン歌手でもある方で、僕とは僕が初めてミュンヘンでセミナーをやった3年前からの友人でもあります。そのとき彼女は観客の1人でしたが、僕の話が終わったあと感激して舞台に上がってきて、ヨーデルを歌うチロル人形をプレゼントしてくれたのです。
 おそらく僕の結晶写真にだいぶ触発されたのでしょう。1年前の今頃に相談があって、僕が喜んで参加させてもらいますよ、とお返事をしたところ、この企画がまもなく立ち上がって、今回実現の運びとなったのです。
 彼女はこの間"あいにありがとう"という日本語のみの歌詞の歌を作りました。私の話の中の愛感謝理論に100パーセント共鳴してくれて、全部日本語だけのCDを作ったわけです。それを私の研究所に送ってくれたのでした。もちろん僕は水に聴かせて結晶を撮りました。とても素晴らしい美しい結晶が取れました。その純粋性がとてもよく現れて、エネルギーにも満ちた結晶が撮れました。それが左上の写真です。
 もちろん僕は今日その写真を約250名ほど集まった人々にお見せしたのは言うまでもありません。たくさんの拍手が巻き起こりブラウさんは本当に嬉しそうでした。私の他にも国外からの先生をたくさん呼んで、今日から3日間の会期の幕が切って落とされたわけですが、その冒頭の基調講演の大役を無事終えて私も幸せです(右写真)。これで確実にこのミュンヘンから世界平和のための波動が発信されたことでしょう。

■ 2003年10月29日(水) フィレンツェの印象

今日は朝から雨、昨日のうちに主なところを歩いておいて良かった。11時半にあらかじめ予約しておいたウフィツィ美術館へ行く。1400年から1700年代に掛けてのイタリアの名画が年代順に並べられており、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ボッチィチェリ、ウルビーノの絵などがさりげなく飾られていて、絵画ファンならずとも1度は訪ねるべきところです。
 結果として1時間あまりでそこを辞した我々は、なぜかとても疲れてホテルに戻ることにしました。そして少しばかり昼寝をした後この日記を書いているところです。フィレンツェの印象は、去年ローマに行った時にも感じたのですが、僕には少々重い町というところでしょうか。それぞれの町、とても素晴らしい建築物だらけでまことに圧倒されます。教会の荘厳さは流石に大したものです。いろいろな宮殿も然りです。でも僕はつい思ってしまうのです。"これは本物ではない"と。
 こんなことを言ったら、イタリアやイタリアびいきの方に叱られてしまいそうですので誤解のないように説明しなければいけません。 出来上がって現実にあるものは、その微細な美しさでかつ大胆な構成などまったくの本物の芸術作品ばかりであると思います。それらの存在は、芸術を志す者にとって格好の目標となるものであって、その意味でのその存在を否定するものではありません。
 ただどこに行っても僕が感じてしまうもう一つの何か、それは威圧感なのですが、それを感じてしまうとき、僕は息苦しくなり、重く感じてしまい、最終的に疲れを感じて一箇所に長くいることが出来なくなってしまうのです。どうもその時々の宗教家や、皇帝などの権力者のそれらの建築物を作ったときの意図が感じられてしまうと言ってもよいかもしれません。金や武器や力でねじ伏せてひれ伏させてしまうといったような意図です。
 本来、人が犯した罪を神に懺悔し、キリストの血の涙を啜り、彼らのメシアを本当に敬い愛し感謝するならば、なぜ彼をしていつまでもほとんど素裸の体に曝し続けなければならないのでしょうか。おまけにその手足首を貼り付けにされたままというまことにサディスティックな状態のままで。
 本当に人類を宇宙的な存在として思うときは、もっと違った方向性がこの2000年の間に取られるべきではなかったのかと私は考えます。逆にこれらのキリスト教文化が語るものは、私には大きな大きな免罪符文化と言うように思えてしまうのです。多分、私の血の中には全ての専制君主からいじめられた苦い恐怖の心が入っているのでしょう。だから疲れるのです。
 明日はミュンヘンです。仕事が待ってます。やはり僕は皆さんにお話をしているときが一番楽しく疲れないようです。

■ 2003年10月28日(火) 妻と合流

昨日の遅い便で妻がフィレンツェ空港に到着しました。妻は私の会社I.H.M.の専務さんで、財務経理の責任者です。もうほとんど会社が出来たときから、そう、16年間も一緒に働いています。僕の仕事は個人的にはこのところとても順調なのですが、なぜか会社のほうは相変わらず大変で、妻が気を抜く暇がありません。今回も社員の給料をやりくりするために、4日ほど遅れてヨーロッパ入りしたわけです。
 さて夜の9時にフィレンツェ空港に迎えに行ったわけですが、迎えの中に日本人がたくさんいました。そして降りてきた人も3分の1くらいは日本人でした。標準語であるイタリア語が一番使われているということで、フィレンツェには語学留学生がたくさんおり、その関係もあるのでしょうが日本人旅行者もとても多いようです。特に中年の女性客が目立っていました。
 そんなわけで予定していた飛行場での、ウェルカム・キスはまたお預けとなりました。どうも日本人がいるとこういうことは自然に振舞えません。
 さて、今日から2日間は仕事なしでフィレンツェ観光です。妻が空港で『地球の歩きかた』を買ってきて機内で入念にスケジュールを作ってくれていますから心配はありません。旗こそ持ってはいませんでしたが、たった2人のフィレンツェ観光の始まりで、今日は何も文句を言わないでおとなしく彼女に身をゆだねましょう。
 フィレンツェというところは、面積的に狭いところに超弩級の歴史的建築物がゴロゴロしている所だとすぐに分かりました。おかげで僕のように長い時間歩き慣れていない者でも、それほど負担を感ぜずに回ることが出来ました。
 今日のコースは、最初はドウオーモという大聖堂、ジョットの鐘楼、オルサンミケーレ教会、シニョリーア広場 ブエッキオ宮 ブエッキオ橋という順番でした。
 さあ、当然ここでその印象を申し上げなければいけませんが、ちょっとまた大胆なことを言ってしまいそうなので、それは明日の美術館めぐりを終えた後に述べさせていただくこととしましょう。とりあえず写真が送れていましたらそれをお楽しみください。

■ 2003年10月27日(月) ハウスワイン

今日の朝まで5回の食事は全部ホテルの中で済ませました。さすがにそれにも飽きたので、フロントの人に、観光客用ではない、おいしいスパゲティーのお店はないかと尋ねましたらすぐそばにあると言って教えてくれました。12時40分頃にそのお店に入ったのですが誰もお客はいません。ほんとにおいしい料理を出すのかなあと少し心配になりましたが、そのうちお客さんがどんどん入ってきました。確かに地元の人ばかり、しかも常連客が殆どという感じで、あっという間にお店はほぼ満席となりました。フィレンツェではランチタイムは1時からのようでした。
 僕は野菜スープと無難なところでスパゲティーミートソースを頼みました。普通の肉はだめなのですが、ミートソースだとなぜか食べれるのです。臭みがなくなるからでしょうか。まず野菜スープ、これがおいしかった。食べてる途中で何か懐かしい味がしてきました。うん!?、待てよ、何だこの味は!?昔食べたことがあるぞ、と一生懸命思い出そうとしました。そしてとんでもない昔を思い出したのです。
 46年前のことです。なぜ正確に覚えているかと言うと、中学2年のときのことだからです。中学2年のとき僕は父親の転勤で群馬県にいました。父は郵政省の役人で転勤がそれなりにあったのです。僕は4人兄姉の末っ子でした。そのとき上の3人はそれぞれ、浪人生、高3、高1でしたので学校の関係で横浜の家に残りました。僕だけが両親と一緒に前橋に引っ越したのです。
 でも直に母は子供たちの世話のために月のうち半分は横浜に帰らなくてはならなくなりました。高3の長女1人に家事のしわ寄せが行ってしまい始めたからです。その間、僕は父さんと2人だけ、なんと料理などの家事は僕がやっていたのです。(その話しを子供たちにしても誰も信じてくれません。)そしてその数少ないレパートリーの料理の中で、父さんが好きで褒めてくれた料理が、野菜スープだったのです。ほめられれば嬉しいから何度でも作ります。最初はまぐれだったのですがそのうち上手になりました。胡椒やお塩の使い方も覚えて自分でもうまいと思うようになりました。
 もちろん今日のはもっとうまかったのだけれど、亡くなった親父への郷愁も含めて、どこかで食べたことのある味だと思い起こされたのでしょう。
 それともう1つびっくりしたことがありました。お店の人がハウスワインどうですか?と聞くものですから、1杯ぐらいは昼間からでも良いだろうと思わずプリーズと言ってしまったのです。そしたら持ってきたのが写真のような大きなフルボトルの赤ワイン。よく見ると各テーブルにも1本づつ置いてあって、みんな開栓してあり、なみなみと入っています。“好きなだけ飲んでいいの?”と聞くと。そうだ、と応えます。昔の僕なら、やったー!!と言うところですが今は謹慎の身。2杯ほど飲んで、とてもおいしかったスパゲティーも残さず食べてカプチーノを飲んで勘定を払いました。なんとその額たったの16ユーロ(約1800円)、ワイン飲み放題でこの額、イタリアはやはりグルメの町ですね。でも、昨日の話とは裏腹ですが、日本人観光客が来ないところがお値打ちみたい。

■ 2003年10月26日(日) フィレンツェで仕事

フィレンツェと言うところは本来すごい観光地で訪ねるべきところがたくさんあると聞いています。でも、観光案内書もないし、何か1人で先に見物してしまうと妻に悪いような気がして、結局朝から殆ど外に出ないで部屋で、三笠書房さん用の原稿を書いていました。音楽療法の話題と写真を中心にした本です。何とかそれを終えて、今この日記を書いているところです。もったいないと言えばもったいないのですが、やはり基本的には面倒臭がり屋なのですね。でもそれにしては今回のこの日記シリーズはよくつづけているなと自分でも思います。やはり書くことがすきなのでしょう。
 ところでこのホテルには日本人の団体さんが泊まっています。ウエイトレスさんに聞きましたらここに来て日本人が帰ってきたようです。ひところはパタッと途絶えてその影響がだいぶあったようで、"帰ってきた"という表現からもわかるように彼らにとって日本人旅行客はとても有難く、必要なようです。僕も日本人はどんどん旅行に出て海外の人のためにお金を使うべきだと思います。見聞も広まり島国根性がなくなって、一石二鳥です。税金を使ってあまりありがたられない国へわざわざ危険を冒して行くよりも、みんなに喜ばれて自分も楽しいお金の使い方のほうがはるかにグローバル化的だと思うのですが。

■ 2003年10月25日(土) "出産と女性"会議

僕の出番は朝10時半からでした。会場はいわゆるトスカーナ地方の夏の海水浴場で有名なところらしいですが、マリーナ・マサと言うところの大きなコンベンションセンターです。ピサの斜塔で有名なピサ市のほぼ隣町でフィレンツェからも車で1時間ぐらいのところです。3日間の期間で会場も大きいのに、お客様は300名足らずで、これでは大赤字だったでしょう。同時通訳のブースやイヤホーンも用意して有り海外からの講師の方も多いようでした。
 何でもこの地方は数週間前に大嵐に襲われて、すごい洪水の被害にあい開催も危ぶまれたようです。でも"出産と女性"(水中出産の会議ではありませんでした)というテーマのせいでしょう、7割がたは女性の参加者で僕の話を熱心に聞いてくれました。終わったあとの万雷の拍手がいつものように僕の疲れを癒してくれました。
 更に会場の外まで尼僧の方と偉そうな感じの司祭が僕を追いかけてくれて素晴らしかったと、わざわざ言いに来てくれました。宗教関係のこと、祈りのことなどもお話したものですから受けいれられてホット一安心です。写真集第3集のテーマは"水と祈り"ですから、ちょっと気にしていたのです。
 午後はフィレンツェに移動するために失礼しました。たまっている書き物があるため27日に妻がフィレンツェに来るまでホテルで一仕事です。 

■ 2003年10月24日(金) ヨーロッパに旅発ち

今日から約1ヶ月間ヨーロッパセミナーです。1時の成田発ミラノ行きにのって現地時間午後6時着。約2時間のトランジットの後、ピサ行きに乗り午後9時過ぎにピサ着、迎えの運転手の車に乗ってホテルに着いたのが午後11時、日本時間25日の朝7時ですからさすがに疲れます。
 いつも最初の日はこんな調子です。特に今回は27日までは僕1人なので、荷物も重たいし、話し相手もいないし、退屈さと疲れでいつもより5割り増しぐらい時間がかかったように思えました。したがって今日は何も書くべきことがないので明日からの日程を記すことにしましょう。

・25日(土)マリーナ・ディ・マサでのシンポジウム参加、 水中出産など出産に関するシンポジウム
・31日(金)ミュンヘンでの平和の祈り大会、名指揮者で有名だったカール・ベーム氏の義理の娘さん主催

この後はまた明日。眠くなりました。お休みなさい。 
■ 2003年10月23日(木) 結晶写真展始まる

今日から29日まで、有楽町の交通会館地下1階のドイフォトギャラリーで、待望の結晶写真展が開催されます。今日はその初日ですが僕は明日から1ヶ月間ヨーロッパへセミナーツアーのため出かけますので、午後から会場に詰めていました。
 この写真展は僕の企画です。いつも冷たい冷蔵庫の中で黙々と写真を撮ってくれている6人のスタッフの労をねぎらいたかったのが第1の理由、そして第2の理由としてはこの技術のとりあえずアート部門での確立を目指したものです。もしそれが出来たならこの技術の後継者を心配することがなくなるからです。
 それにしてもドイフォトさんが紹介してくれたDPEの技術は見事でした。写真の大きさが4つ切り以上であることもあるのかもしれませんが、普段僕が見ている会社のそばの写真屋さんの手札型の写真とは、まったくその質量および美しさ、そして色の出具合が違うのです。10 年近く数多くの写真を見てきた僕がはっきり申し上げます。いつもより3倍ぐらい美しいと。
 もちろん入場無料です。ぜひ皆さんのご来場をお願いするものです。その目でこの美しさを確かめてください。

水からの伝言〜美と癒しの共鳴〜
10月23日(木)-10月29日(水)
10:30-19:00(最終日-16:00)
ドイフォトギャラリー(東京交通会館B1)
JR有楽町駅京橋口出口から徒歩1分
有楽町線有楽町駅A8番出口から徒歩1分


■ 2003年10月20日(月) 自宅で役員会

今日は新しいマンションのお披露目もかねて、会社の役員会を自宅でやりました。よくアメリカなどでは経営者の自宅で何かとパーティーなどを開くようですが、日本ではあまりそのような習慣はありません。これはやはり住宅事情の差でしょう。いくら社長といえども、日本では社員を集めて会議やパーティーを開けるほどのスペースのある家を持つことは至難の業です。
 僕の家にしろ、大して広くはないのですが夫婦二人だけとすれば十分です。(実際は息子が二人戻ってきているので同居中ですが)。そして海の眺めが良いものですから、一度幹部を呼んであげたいなと思っていましたので、今日の役員会が開かれることになりました。
 終わったあとは、もちろん食事会です。今日はちょうど山口県の千佛寺、隅井住職から新鮮なマツタケ、新潟のひむかさんからコシヒカリの新米が届いていましたので、監査役の川島女史が腕を振るってのマツタケご飯です。素材が素材ですから腕を振るう必要も無いほど十分にうまく、日本人として生まれてよかったなあ、などと思ってしまいました。
 24日からまた1ヶ月間ヨーロッパツアーです。しばらくは日本の味が楽しめません。マツタケご飯と、秋刀魚の塩焼き、うにの瓶ずめ、エビやカキのフライ、豊富な生野菜の煮つけと僕の好きなものばかりを川島女史が作ってくれました。さすが僕の実姉です。台所に立つ姿は昨年の正月に他界した母と見間違えるほどにそっくりとなってしまっていて、僕はいつまでも母に支えられているような感じです。姉さんありがとう。

■ 2003年10月19日(日) 三浜商事セミナー

今日は渋谷で中井貴一さんがキャラクターをしているミキプルーンの大手販社三浜商事さん主催のセミナーが午前と午後に分けて2回行われました。30年以上もそのお仕事を継続されている社長の浜田さんは、どう見ても50代前半にしか見えないのですが、なんと67歳になられるということでびっくりしました。私ならずともミキプルーンとかやらを食べてみようかなと、思うほどの若若さしさです。やはり健康食品などを扱う経営者は、いつまでも若く、健康でなければいけません。(僕は心は若いんだけどな)
 なぜ2回に分けて行われたのか、300人の会場で600人も参加希望者が出たためです。そして、その95パーセントが女性という僕のもっとも好むパターンでしたので、疲れも感じずに熱くお話しをすることが出来ました。参加された方はもちろんミキプルーンのセールスマンですが、そのパワーは大変なものがあると思いました。プルーンを世に広めた勢いで僕の愛感謝理論も彼女たちの手によって広がっていくことでしょう。楽しい1日でした。

■ 2003年10月18日(土) 船井幸雄先生

久しぶりの船井先生はとてもお元気でした。KBSのユンさんから、ぜひ船井先生も取材をしたいという申し出があり、私が火曜日にお願いしたところ二つ返事でOKが出て、昨日コスモスクラブ開催中の新高輪ホテルにお邪魔したものです。
 先生の講演前の1時間をいただいてユンさんからインタビューがあったわけですが、いつも変わらぬ私への信頼と思いやりにただ頭が下がるのみでした。
 先生が私の小さな事務所、五反田の2DKのアパートでしたが、そこに来ていただいたのは、もう12年も前のことです。当時から先生は、本物と思われる新しい技術探しのために自ら赴かれ、それを世に紹介することを体と時間を惜しまずされていました。私の場合にはトータルヘルスの近藤社長のご案内でこられたのです。
 私は近藤さんが誰かを連れてこられるということは聞いていましたが、まさかその方が船井先生とは思わず、大変にお待たせしてしまって(ちょうど、難病の方の波動相談をしている最中で、長引いてしまったのです)、後で冷や汗をかいたことを覚えています。しかし少しもいやな顔をされず、にこやかに私の話を聞いてくれていたことが思い出され、そのにこやかさはその後の長いお付き合いの中で一度も消えたことがありません。
 先生には私の初めての著書『波動時代への序幕』の発刊に寄せて、"[21世紀の入門書]−私の体験からも、本書を推薦しますー" という推薦文を書いていただきました。
 つい最近、この推薦文を読み返してみたのですが、大変びっくりし感動しました。最初から、"私は本書に書かれていることはすべて正しいと思う。"と書いてくれているのです。そして最後は、"ともかく、私の直感では21世紀は、波動時代になることはまちがいない。そして本書はそのための最高の入門書である。以上のような意味で本書を心より推薦したい。"と終わっています。つまり最初から最後まで、確信を持って僕の書いた初めての本を本当に推薦してくれていたのです。
 波動というまだメジャーでない技術・考え方、江本勝という無名の新人かつ素人、サンロード社というちっぽけな出版社が出した不思議な本に対してメジャー中のメジャーですでにあった経済人船井幸雄先生が、いわば太鼓判を押してくれたのです。その勇気と決断は大変なものがおありになったであろうと推察されますし、そのご慧眼に対して改めて心より畏敬の念を持つものです。
 インタビューを終えてユンさんがうれしいことを仰ってくれました。
「先ほど船井先生にご了解を得たのですが、次は船井先生を韓国にご紹介させていただくことにしました。」
と。船井先生の21世紀的経済観が日本を必死に追い、追い越そうとしている韓国経済人にカルチャーショックを与えることができれば、わが国がたどってきた無駄な道を歩むことなく、かの国は健全にその発達を遂げることができるであろうと、ユンさんのその企画が成就することをこころに願って、新高輪ホテルを後にしたのでした。

■ 2003年10月17日(金) 朝から大忙し

今日はとても忙しい日となりました。まず朝10時から中野裕弓先生との打ち合わせです。中野先生は、ご存知の方も多いと思いますが、次のような方です。


中野裕弓
キャリア・コーチ 人事カウンセラー
横浜生まれ。
19才で語学研修のためロンドンに渡り、その後、通算9年に渡る英国生活を経て、東京にある外資系銀行で人事、教育研修などに携わる。15年程前、時間に追われるストレス過剰の毎日の中で始めた瞑想の実践をとおして、誰もが持つ自然治癒力、気、またストレスケアに関心を持ち、独自の研究をはじめる。
1993年9月、ワシントンD.C.にある世界銀行本部から日本人初めての人事マネージャーとしてヘッドハントされ、その後4年余り勤務する。世銀では世界中から集まった職員に対して職場の人間関係、効率的な組織作り、チームワーク、キャリア・プランニング等のカウンセリング、アドバイスにあたる。また終末ケアに関心を持ち、ボランティアとして不治の病に直面する人々やその家族の心のケアにあたる。1998年以降、独立して現在は全国各地での講演活動、キャリア・コーチおよび企業の人事コンサルティングをおこなう。講演のテーマは「日常生活を輝かせるためのコツ」「たたかわないコミュニケーションスキル」「新しい時代の新しい考え方」など。参加者の直面する実際のケースについてアドバイスするケーススタディ方式の講演会が人気。
2001年3月にアメリカの友人から受け取ったインターネットのメッセージ「100人の村」を訳し、発信したものが日本中を駆け巡る。その訳文が後に『世界がもしも100人の村だったら』というベストセラーを生み出す元となったため、原文の訳者としても注目されている。

 中野先生と僕とはとても気があって、いろいろなことでお付き合いを頂いておりますが、例えば、3年前の幣立神宮の五色神大祭で、奉納講演をお願いしたとか、『月刊波動』に何回か出ていただいたり、今回は波動塾ビジネス講座の講師をお願いして久しぶりに親しくお話をするうちに、私どもの会社のコンサルティングをお願いすることになったのです。
 今日はその打ち合わせの日でもありました。会社内の人事問題を、あまりにも忙しくなった僕では見きれないということでご相談をすることになったのですが、さすがに中野先生、そのご指導は胸のすくような潔さがあり、経営のパートナーである妻もとても頼もしげです。
 さらに午後2時からはウオーターデザイン研究会の久保田昌治先生がお見えになりました。久保田先生は水の研究者として日本でもトップクラスの人です。つい最近世界で始めての水の百科事典が丸善書店から出版されましたが、その中のメインの執筆陣のお1人です。KBSのユンさんが、取材の中で水の専門家にインタビューしたいと言うことで私がお願いしたところ快くお引き受けいただいて、来てくれたのです。私とは10年越しのお付き合いで、サトルエネルギー学会が誕生したのはこの先生のご努力によるものでした。この辺りのことはいずれ、本欄でご紹介することにしましょう。
 そして、3時半に会社を出て、われわれは品川の新高輪プリンスホテルに出かけました。船井幸雄先生へのインタビューのためです。この続きは明日の日記にさせてください。
■ 2003年10月16日(木) KBSの取材(2)

僕の家は新浦安にあります。もう15年以上この町に住んでいます。東京駅まではJR京葉線で20分、羽田には車で30分、成田には、車で40分と、国内外の出張がとても多い僕にとっては、絶好のロケーションなのです。
 東京デズニーランドも近く、毎晩8時半からは花火も楽しめます。今までずーっと、借家住まいでしたが今年になって初めてマンションを購入し、さる9月15日に、もっと海に近いところに引っ越しました。19階建ての高層マンションで、妻が高いところが好きなものですから、その最上階を選びました。東京湾が殆ど一望出来て、海の風景が好きな僕にとっても毎日が楽しい環境を得ることが出来ました。風水的には、埋立地でもあり高層階はちょっと問題ですよと言う方もおられると思いますが、今回は夫婦の好みを優先させていただきました。
 その新居にKBSさんの撮影スタッフが朝の10時には到着です。実は前回来られたときにも自宅で撮影という話があったのですが、どうせなら新居でということで、今日になったのです。ベランダからの眺望にしばし見とれていた、社長兼プロデューサーのユンさん、"これは、素晴らしい。私もソウルの家を売り払って、ここに引っ越してきたくなりましたよ"と本当に気に入られたようでした。
 そんなゆったりとした環境の中で私への収録は順調に進みました。妻が作った手作りのビビンバも、おいしそうに食べてくれて、"これはうまい。特許をとるべきだ"、とお世辞を言ってくれました。ただ朝から猫ちゃんたちがパニクって、押入れにかくれたまま出てきません。家には2匹の猫がいるのですがどうも人見知りが激しくていけません。猫をひざに乗せての取材風景を考えていたのですがやはり無理でした。取材撮影は18日(土)まで続きます。

■ 2003年10月15日(水) KBSの取材

昨日から韓国KBSの取材チームが見えています。昨日福岡に入り九大の高尾先生を取材されました。高尾先生と僕は同年輩でもう5年以上のお付き合いです。九大では本来化学の先生なのですが、それよりも哲学の道にはいられ、その関連の本『脳内パラダイム革命がもたらす新しい宇宙生命像』(徳間書店)は中々の大作です。
 なぜKBSが高尾先生のところに取材に行ったのかという理由は、高尾先生がいわゆる水に対しての"ありがとう効果"を最新式のICP質量分析装置によって科学的に証明されたデータをお持ちであるからです。この実験は僕が依頼したわけでもなんでもなかったのですが、高尾先生が独自のご判断でされたもので、僕もまだよく把握しているわけではありませんが、とにかく貼った文字によって水の内容分析が、僕の実験と同じような形で出たというもののようです。
 KBSさんが日本に来るのはこれで3回目、なんと7月25日のガラリアにも来ていただいたのです。私のことを熱心に追ってくれて、来月かさ来月を頭にして、1時間番組を3本ほど考えておられるようです。
 KBSと言えば韓国のNHKです。日本のNHKからはまだなんのお声も掛かっていませんが、その前向きさは僕にとって、とても新鮮な驚きです。ですから、18日まで続くこの取材、何とか最高の段取りと良い材料を提供して差し上げたいと思っています。明日は我が家まで来られての撮影となります。

■ 2003年10月14日(火) 家でお仕事

さあ、今日は1日中家で、徳間書店の本の校正及び不足原稿の執筆です。なんとしても今日中に仕上げなければなりません。先日の豊島さんとのやり取りでは、家にまで原稿を取りに来かねないような雰囲気でしたから。朝から黙々と東京湾の見える19階の書斎で、赤ペンを走らせたり新たに原稿をワープロで打ったりしていました。…………………。
 夕方、その豊島さんから、やはり原稿を取りに来たいという電話がありました。7時半に来るそうです。…………………。
 9時に豊島さんが帰りました。でもまだ終わっていません。 というわけで今日は日記どころではありません。また明日。

1週間の沖縄・韓国出張を終えて昨日の夕方、自宅に戻りましたが、そこには宅急便で徳間書店さんから10月末出版予定の『水が伝えてくれた愛の形』の最終校正原稿が届いていました。15日までにすべてをチェック、加筆して欲しいと添え書きがしてありました。
 さすがにその日はそれには手をつけず、早めに就寝、翌日今度は1人で大阪でのホリスティック協会での特別講演に出席のため9時13分の新幹線に乗り、そこでの約2時間を校正のための時間に当てました。
 12時半に会場である東大阪市のサーティーホールというところに到着、控え室には同協会の理事長である帯津良一先生がすでに来ておられ、久しぶりにしばし歓談をしました。相変わらずにこやかなお顔をされていて、いろいろな要職にある大変忙しくされている大先生ですが、いつものようにどなたに対しても腰が低く謙虚なお姿には敬服されます。
 その先生を差し置いて僕は今日のメインスピーカー、振動医学について熱くお話をさせていただきました。会場には女性を中心とした方々が350名ほどおられ、熱心に僕の話を聞きながらメモなどを取っておられました。やはり何らかの形で代替医療に関係ある方がたのようで、僕の話だけではなく、他の先生のお話も同様にされて、中々勉強家の方が多い会のようです。
 しかし、帯津先生を含めての3人の講師によるパネルディスカッションのときの、会場からの質問のときは、女性の方が次から次へと結晶についての質問を僕に集中してされるので、他の先生に何か申し訳ない思いがしましたが、やはりこれも世間がいかに水の結晶技術に注目をしているかということの現れであり、致し方のないことなのでしょう。
 懇親会にも出席を要請され、雰囲気的にも出たほうが良いなと思ったものですからそれに出席、結果的に8時半の新幹線で帰途に着きました。のぞみはかなり混んでいて、校正用紙を広げられないほどでしたから、チェックの時間はなし。ただひたすら寝るよう努めましたが、ほとんど寝れず、帰宅したのは11時半で、あーやっぱり疲れてしまったという感じでした。明日は休みにしようとあらかじめ決めていましたから、良かったものの、もうこんなスケジュールを作ってはいけないなと、反省した次第です。

■ 2003年10月11日(土) サイン会

昨日と今日は韓国で1番大きな書店教保書店での、ショートセミナー及び質疑応答、そしてサイン会が予定されていました。前来たときにも1度、サイン会を行ったのですが、今回は同じチェーン店がアジア最大の売り場面積を誇る新しい店を出したということで、2回のイベントとなりました。
 前回行った書店の広さは2700坪、今回、今年の5月に出来た店はなんと3600坪と言う巨大な広さで、もちろんワンフロアーとしては東洋一、広い広いと言われている新宿紀伊国屋の南店が1430坪という大きさですから、いかに大きいかがお分かりになると思います。
 今回の企画は『水からの伝言』韓国版の出版を記念してのもので"木を植える出版社"の主催によるものです。それぞれの会場には小さなイベント会場が用意されていて、どちらも満席、熱心に結晶に対しての質問がきりなく続きました。
 実は僕、この質疑応答が大好きです。真剣な質問に対して真剣に答える、その中からまた新たなる真理に気がつくことが多いからです。もうこの3年間でいったい何回の質疑応答をしたことでしょう。そしてその中で新しい気づきを得たことが何回あったことでしょうか。特に海外では質疑応答はセミナーの必須条件です。聞き放し、ということは彼らのスタイルにはないようです。できるだけ参加したい、疑問のあるところは徹底的に正したい、そんな姿勢が強く見られます。
 日本の場合は今まではそうではなかったように思います。それは日本人の引っ込み思案のなせる業かもしれませんが、もうそろそろ欧米並みに、聞きたいことは聞き、言いたいことは言うというような習慣を身に着けなければいけないと思います。もっとも、日本ではお話をしたいことが多すぎて、いつも僕が時間一杯喋ってしまう傾向にあって、なかなか質問をいただく時間が作れません。これからは、2時間時間があるとしたら、30分は質疑応答の時間にしようと思います。ですから皆さんも積極的に参加してください。そして互いに高めあいましょう。

■ 2003年10月9日(木) 韓国ビジネス波動塾

韓国では有料のセミナーは殆どないそうです。ですから僕が会費1万円でビジネス講座をやろうと言ったら、前述した水野君たちが大反対しました。しかし僕としては韓国に期待するところ大なわけで、貴重な情報を得るのにただでよいという習慣は、その国の文化の発展に良くありません。だいたいがその風習、選挙のときの人集めに講演家が使われたということから始まったようです。だとすればそのような風習が韓国政治家の汚職構造を作っているとも言えるわけで、そう思ったら余計やらなければいけないと思いました。
 韓国で初めての試みのセミナーです。会場を1流ホテルにしました。韓国ハイアットです。会場費50万円、広告費その他の経費で80人ぐらい来てくれないと採算が取れません。そして今日ふたを開けてみたら、「アーっ、郷に入れば郷に従えだったな」という結果でした。有料参加者9名だったのです。水野君の友人達が10人ほど来て桜の役割を務めてくれましたが、豪華に山と並べられた、ケーキやお菓子、サンドウイッチそしてフルーツがいつまでも減らず女房が恨めしげにそれを見ては、パクパクとケーキを頬張っていました。そう、今日の主催は彼女の会社波動教育社だったのです。
 それでももちろん僕はめげません。午後1時から6時までたっぷりとお話しをさせて頂きました。桜の方が途中で帰るのには少しいらつきましたが、有料組みは思ったとおり、熱心に聴いています。中には深くうなずき、実に感じ入ったと言う表情を見せてくれる方もいました。
 あっという間に5時間が過ぎて、お開きとなりましたが9人のうちの6人と我々スタッフで食事を取ることになりました。これが良かった。最初に挨拶された方は講義中にも積極的に発言し、うなずいたりしていた方でしたが、この方はご夫婦で見えていました。そしてなんと遠い町から飛行機で見えたと言うのです。そして次のような話をされたのです。
 「私は産婦人科医です。でもつい最近やめました。そのうちの1つの要因は江本先生の本『水は答えを知っている』を読んだことです。私はクリスチャンでもあるのですが、堕胎手術をしなければなりません。病院はそれをしなければ経営が成り立たないので、どうしてもやらざるを得ないのです。江本先生が今日おっしゃったように医は仁術であるべきですが、現状の多くはそうではありません。MRAなどの波動測定器を使用した代替医療の仕事に尽きたいと思って今準備中です。先生どうかよろしくご指導お願いします。」
 僕は心のそこから吐くように、あるときは懺悔するように話し続ける、彼の話しを聞いて、涙を禁じえませんでした。隣に座っていた妻もそうでした。そしてもちろん出来るだけ相談に乗るということを約束しました。尾竹君が今後対応することになるでしょう。
 そのほかの4名も素晴らしい方でした。そのうちの1社は、超音波処理の水を作っているということで、あさって会社に見学に行くことになりました。
 決して今回の投資は無駄ではなかったと、妻がそっと言ってくれたとき僕はまた涙しました。

■ 2003年10月8日(水) 水野君のこと

今回韓国でいろいろなイベントが組まれた影にはやはり韓国での協力者の存在があります。その人の名を水野雅行さんといいます。水野さんは日本人ですが奥さんは韓国人、二人の間にはもう3人の娘さんがいます。2人は10年ほど前に結婚、しばらくは水野さんの実家がある札幌で住みましたが、2年ほど前に奥さんの実家に移り住んで、今は韓国住まいです。
 水野さんは自分たちの結婚を契機に何とか日本と韓国の橋渡しをしたいと願うようになりました。でも現実は厳しく、生活に追われて中々そんなチャンスは巡って来ませんでした。そんなある日、水野青年は『水は答えを知っている』という本を読んで感動しました。この本を韓国で出版したいと思いました。しかし調べたところもうすでに"木を植える出版社"というところが版権を持ち、出版準備中であることを知りました。それでも彼はめげず、『水からの伝言』がまだ韓国で出ていないことを知り、波動教育社の社長、僕の妻に熱い手紙を書いてよこし、面会に成功、最終的に彼女はその熱意にほだされて、彼にその出版の韓国でのエイジェントを任したのです。
 それから1年たったわけですが、1昨日『水からの伝言』の韓国版が発行されました。また、韓国KBC放送、MBC放送などが相次いで日本に取材に来たり、今回のような各種のイベントが行われるようになったのは彼の存在のおかげです。やはりその国にその国の言葉を話せるエイジェント的な存在の人がいるかいないかによって異郷でのお仕事は大きく変わってしまうわけです。明日の波動塾ビジネス講座韓国版がとても楽しみです。

■ 2003年10月7日(火) ソウルカソリック教会セミナー2

今日は10時から信者を中心としたセミナーが大ホールで開かれました。僕の前に知恵遅れの子供たちによるアルプスベルによる演奏が行われましたが、皆さんとても熱心にそして真剣に演奏されている姿に感動しました。
 特に、左から2人目の女の子は、沢山の人の前で舞台に立つのは初めてなのでしょうか、指揮者のほうをじっと見ながら緊張と感動のあまり涙をぼろぼろ流しながらの演奏で、当然僕も涙の共鳴です。
 次に教会の付属小学校の生徒によるコーラスが始まりました。これまたよく訓練された美しい子供ソプラノの歌が数曲続き、500人近くの来場者の大きな拍手を誘っていました。
 最後の曲になったとき僕はすぐに「あっ、これ水の歌だな」と分かりました。当日は僕が来るということで、教会側は1日中、水にちなむ音楽会や、講話会を企画していたようです。もちろん全ては韓国語ですから何も分かりませんでしたが、音楽は言葉が分からなくても理解できる世界の共通語だなと改めて感じさせられました。(後で通訳の方が、最後のコーラスは今日のために創作された水の曲であるということを伺いましたので。)
 環境庁の次官さんも出席されたそのセミナーを終えて、次のセミナー会場に車で向かいました。同じ教会の系列の教会でのセミナーが予定されていて、ソウル市から1時間ほどのところの高台のところに建てられた綺麗な教会でした。
 100人ほどの信者の方が待ち受けてくれていましたが、案外年配の方が多く、したがって日本語をお話しされる方も何人かおられて、私たちに優しい言葉を日本語で掛けてくださいました。驚いたことは話の途中で、拍手が起きたり、日本語で「ありがとう」と言ってくれたりしたことです。どうやら韓国の方は日本人より、その表現方法が素直のようです。より国際感覚があるといっても良いかもしれません。
 いつも思うことですが、日本人のいつも周囲を気にして思ったこと、感じたことを素直に表現できないあの島国根性、何とかしたいものです。
 しかし、あーあ、今日もくたびれた。

■ 2003年10月6日(月) ソウルカソリック教会セミナー

朝、那覇からアシアナ航空でソウル仁川空港へ。成田に帰るのより少し早いかもしれません。2時間ちょっとで着く。空港には教会のシスターが2人と、今日からソウルでの仕事に立ち会ってくれる尾竹I.H.M.新常務が迎えに来てくれていました。尾竹君には10月から営業のお仕事を見てもらうことにしたのです。もちろんI.H.M.トレーディングの社長の仕事は兼務のままです。
 尾竹君は韓国は初めてのことということで、張り切っての来韓です。今回は9日にはじめて韓国でビジネス講座をやるので、ビジネスアイテムがたくさん出てくるかもしれないということで、来てもらうことにしました。
 中々風邪が抜けません。考えてみれば無理もない話です。もう何十日も働きづめなのですから。今日も会場の修道院に着いたのが2時、そして2時30分から2時間半のセミナーがありました。申し訳ないことにステージで咳き込むことしばしばで、皆さんに心配掛けてしまいました。
 でも200人の尼僧の前で愛・感謝のお話をしているうちに、皆さんの熱い心が手に取るように分かるようになり、その熱が僕の体に伝わってきてとてもエネルギーを頂きました。何度か声を詰まらせるほど感動してしまいました。例えばこんなお話しのときです。
 「そう言うわけで、人のこの世での役割は全ての存在に対して愛を惜しみなく与えることだということが僕には分かってきました。そしてその愛を素直に受けうるためには感謝の心がなければならないということもです。愛と感謝、この二つがあって初めて和合が生まれてくるのですね。」
 400の眼が僕をじっと見つめながら大きく頷いてくれます。それはあたかも、自分たちの人生の選択が間違っていなかったのだ、という安堵と確信のうなずきにも見えました。「そうだ、彼女たちは言ってみれば愛・感謝のプロだ」と思ったとき、声が詰まり、涙を抑えるのに必死の自分がそこにいました。
 僕の話が終わった後、20名ぐらいのコーラス隊が僕たちのために歌を歌ってくれました。その声の清純で美しいこと、まるで天使たちのコーラスのようでした。もちろん、ここでも涙です。
 夜はホテルのそばの韓式レストランで楽しく食事です。これがまた豪華で美味く安い。1人2000円(ビールも飲んで)ぐらいで韓国の野菜中心の料理が、大きなテーブル狭しと次から次へと並べられてゆくのです。これで明日の英気が養えます。

■ 2003年10月5日(日) 沖縄セミナー

今日は約2年ぶりの沖縄セミナーです。お昼過ぎに那覇空港に着くと波動インストラクターで、HCC沖縄も経営されていたことのある中村和博さんが、いつものようににこやかな笑いと共に私たちを迎えてくれました。沖縄で何か企画があるといつも私たちをエスコートしてくれるのが中村さんです。もう、8年以上になると思います。昔はご自分でいろいろと企画を立ててくれていたのですが、最近では沖縄の若い人のよき相談相手、波動のお兄さんという感じで、波動インストラクターとしての役割を立派に果たしてくれています。
 今度のセミナーの主催者は新屋さんという方で前回のセミナーのサポーターをされていた方です。その当時は散髪屋さんで、ちょうど床屋に行く暇もなく髪の毛がかなり伸びてしまった僕を、滞在先のホテルのベランダで調髪をしてくれた青年でした。そしてセミナーの翌日、とても素晴らしい若い女性の占い師がいるからということで、そこに連れて行ってくれた人でした。
 その占い師さんは久美子さんという名前の方で、なるほど大変な能力のある方だったことを覚えています。(僕と妻と息子3人でたずねたのですが、占ってもらったことが、その後良く当たったのです。)
 実は今回誰が主催者なのか行くまで分かりませんでした。会場の読谷村文化センター(例の象の檻という通信基地で有名になったところのすぐそば)に行って新家さんが、お久しぶりとご挨拶をされて、初めて知ったのです。しかも、久美子さんとその直後に結婚されて、すでに1歳ちょっとのお嬢さんと来月出産予定の子がおなかに、堂々と鎮座しているのです。新屋さんは床屋さんをやめて、奥さんのお仕事を企業化して今では従業員3名を持つ立派な社長さんで、お仕事も中々順調のようです。
 なるほどそういうことだったのかと僕は全てを納得しました。2年前のときこの2人がなぜか印象に残っており、また会いたいなと思っていたからです。こちらがそう思っていれば相手もそうなのですね。2人もそう思ってくれていて、それが僕のセミナーを企画するようなエネルギーになったということだと思います。
 そんな2人が主催したセミナーはもちろん大成功でした。特に若い女性層の参加が目立ち、僕の話を本当に熱心に聞いてくれました。終わったあとのサイン会の凄かったこと、久しぶりに腱鞘炎になりそうな感覚を持ちました。また別の団体から来年の4月頃に、セミナーの依頼が正式にあり、これでまた来年僕の大好きな沖縄にこられます。新屋さん、久美子さんありがとうございました。元気な赤ちゃんが授かりますように。

■ 2003年10月3日(金) 韓国行き

明日からまたセミナー出張です。まず、5日の日曜日の夜、沖縄読谷村文化センターで2年ぶりの沖縄セミナーがあり、楽しみいっぱいです。皆さんもそうでしょうが僕は特に沖縄の風土、人々が好きです。今回は過去最高の入りになることが予想されていて、700名収容のホールを借りてくれたそうです。
 翌日、那覇空港からソウルに行きます。お昼頃仁川空港について2時半からミョンドン(明洞)のソウル1の教会で、翌日もまた同じ系列の教会で計3回のセミナーが予定されています。
 そして8日には『水からの伝言(韓国版)』出版記念セミナー、9日にはビジネス関係者のためのワークショップ、10,11日とソウルに最近オープンした巨大書店でのトークショー及びサイン会とぎっしりと予定が組まれています。
 実は韓国では『水からの伝言』より先に『水は答えを知っている』が出版されました。昨年の8月のことです。それが大変なベストセラーとなりました。日本の人口の約5分の2、約1年も遅く出版されたのにもかかわらず、5月に韓国を訪れた時分で、25万部に達し日本の24万部を追い抜いてしまったのです。
 何がそうさせたかは、まだ僕には分かりませんが、とにかくいろいろな面で韓国は日本よりスピードアップしているなとは感じます。日本もうかうかしておれないのではないでしょうか。
 その本を出してくれた出版者の名前は"木を植える出版社"といいます。その名前が示すとおり、新しい国づくりという観点から出版活動を始めたまだ歴史の新しい会社で、女性の社長です。僕の本が初めてのベストセラーということで勢いをつけることが出来たようです。そしてこのたび『水からの伝言』の出版の運びとなったのです。
 僕としては9月5日の日記にも書いたように、来年は韓国に力を入れるつもりです。その理由はいつか同じ言語を話す北朝鮮にも行って講演会が出来たらなと思うからです。

■ 2003年10月2日(木) お宮参り

皆さんごめんなさい。さすがに疲れて3日ほど本欄休ませていただきました。
 9月28日まで9日間続いたセミナーの後はまたまた忙しい日が続きました。
 29日はオーストラリアメルボルンからのお客様、波動インストラクターの染谷さん久しぶりに来訪、そして徳間書店の豊島さんと今月末に出る本の最終打ち合わせがありました。
 30日は、オランダから娘の洋子が孫のお宮参りのため夫君の実家、千葉の富津に帰っていて、僕も初めて夫君の実家にお邪魔しました。近くの神社でのお宮参り、そのあと記念撮影のため地元の写真館へ、午後にはやはり近くのお寺へお墓参り、田舎は何でも近くて便利です。夕方には東京湾の海のもののご馳走をたくさん頂いて、満腹、運転を婿殿に譲って東京湾の対岸にある町浦安に親子3代で帰りました。
 婿殿の実家は海産物加工販売をやっておられます。何でもそのお仕事は昔は浦安が本家だったらしくよく行き来をされていたようです。僕も昔は横浜本牧のやはり漁師町のすぐそばに生まれ育ちましたし、僕の母も外房の出身です。今回東京湾の対岸同士のご親戚誕生ということになったわけです。また面白いのは、江本(川)が山本(山)に嫁いで、陸玖(陸)が出来たことです。そしてこれはまったくの偶然だったのですが、陸玖がお宮前りのときに着た羽織の家紋を見たら江本家とまったく同じ、丸に鷹の羽だったのです。これは大石蔵之助と同じ家紋なのですが、まるで忠臣蔵のような縁組となりました。(ヤマ!! カワ!!)きっと後世まで伝えられるような美談を残す家族となることでしょう。
 10月1日は家で執筆です。何せその日のうちに10,000字を書かねばなりませんでしたが何とかこなしました。実は先月の15日に浦安の海辺に出来た高層のマンションに引っ越したのですが、その19階から見る東京湾は中々のもので、筆が進みます。やはり僕は水辺にいるときが調子が良いようです。
 2日は出社しましたが、何か疲れました。何かビジネス的なことを考えると最近疲れるようになってしまいました。歳のせいなのでしょうか。いずれにしてもそろそろ良い後継者を考えなければいけないと思うようになりました。

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